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連載『記憶の中の共鳴弦』

音楽のまわりには、いつも忘れられない瞬間が生まれます。時間や空間を超えて、人や作品、記憶がつながる出会いの瞬間を捉え、エッセイ形式でお届けする連載です。


vol.6 家族の輪のような音楽祭で

「おかえりなさい!」

駅のホームで透きとおった白髪をした女性が、あたたかく出迎えてくれた。小柄な体格に対して、ずっと大きく広がるハグの両腕と存在感。丸いサングラスの下から笑った眼が透けて見える。元チェリストで、故障がもとで演奏からは退き、地元の学校で音楽を教えたり、チェロを指導したりしている知人のCさんだ。1年ぶりの再会だった。


ボローニャから電車で40分ほどの場所にある、人口5万人の街ロヴィーゴ。私が初めてロヴィーゴを訪れたきっかけは、音楽院を中心としたチェロのための音楽祭だった。


音楽院のホールを舞台に、地元の若い演奏家たちのコンサートが開かれた夕べ。開演10分前に駆け込むと、客席のほとんどは埋まっていた。「お隣の席、空いてますか?」と声をかけると、にこにこしてどうぞと言ってくれたお客さんに、ちょっとした下調べのつもりで話しかけてみた。


自分は音楽を聴く専門だけれど、奥さんが昔チェロを弾いていて、毎年この音楽祭に聴きにきているという。出演する若いチェリストたちやスタッフたちのことは何年も前からよく知っているので、娘や息子のように感じ、その成長を見るのが嬉しいのだと聞かせてくれた。笑い皺が優しそうな紳士だった。


翌朝、マスタークラスを見学しに同じ会場へ行くと、前方席には長い白髪をたなびかせる印象的な女性がいた。講師の一言にうなずき、演奏に耳を傾ける後ろ姿から、熱心さが伝わってくる。実際、面白いマスタークラスだったのだが。


昼食どきにマスタークラスが終わると、10人もいない聴講者たちはお互い感想を言ったり、受講生に話しかけたり。そこで、白髪の彼女が私に話しかけてくれた。チェロを少し弾くことや今回は取材に来ているのだという話をして、一区切りつくと彼女はこう言った。


「もしよかったら、我が家のランチにいらっしゃらない?パスタくらいで、特別なものはないけれど」


直球の誘い文句を受けて、お邪魔することにした。朝からろくなものを食べていなくて、お昼もバールでサンドイッチをかじるくらいしかないかなと思っていたこともある。


炎天下を10分ほど歩いて、お家にお邪魔してびっくり。旦那さんは、昨日のコンサートで私が隣り合わせた紳士だったのだ。


その旦那さんが栽培した無農薬野菜を使ったパスタやサラダ、チーズをいただいた。大学生の娘さんと高校生の息子さんもテーブルにつき、一緒に食べると、すべてが五臓六腑に染み渡るおいしさ。オリーブオイルと野菜の力が生きた、シンプルで豊かな食卓だった。

パスタは、米粉のグルテンフリーパスタ。手土産にと私が慌てて買ったクッキーには小麦が使われていたので、アレルギー持ちの彼女に食べてもらえなかったのは残念だった。

夜のコンサートまで時間があるからと言って、Cさんとその家族は、ロヴィーゴが誇る歴史的建造物の塔に私を連れていってくれた。館内ガイドをするのは、娘さんの同級生。街の名前の由来にRosa(薔薇)が関わっていることなどを教わる。
せっかく来てもらったのだから、我が街の素敵なところをたっぷり味わってもらいたい、というおもてなしの精神が伝わってきたうえ、彼女たち自身も「塔に昇るの久しぶり!」とはしゃいで楽しんでくれているのが嬉しい。


夕方のコンサートにもこの一家とともに参加することになって、予約をしてもらった。「普段は舞台美術を大学で専攻しているけど、クラシックはあまり聴きに行かない」という娘さんも、私の話を聞いて興味を持ち、一緒に来てくれることに。地元で例年開かれているイベントだと思うと価値を感じにくくても、国外からわざわざ足を運ぶ人がいるほどなら、と思ってくれたのかもしれない。


会場へと一緒に歩く途中、ロヴィーゴの音楽院で教えていたチェロの名伯楽で、多くのチェリストを育てたルーカ・シモンチーニのことが話に出た。Cさんは、なんとシモンチーニの直弟子だった。
最近亡くなったばかりの彼のことを、指導は厳しいけどとても優しい人だった、と言う。その言葉で、シモンチーニの存在をぐっと近くに感じた。彼の存在が音楽祭の誕生に結びついたのだと、昨日取材で聞いたばかりだった。求心力のある音楽家は、街の文化的な歴史にとって重要な人物であり、多くの人物とつながっている。


 

『ロトンダ』という愛称で呼ばれる、八角形をした変わった教会がコンサート会場だった。地元の人にとってはシンボル的な歴史的建造物であり、信仰も厚い教会の中は、200席以上の椅子で埋め尽くされていた。祭壇のところにステージが用意されている。彫刻や絵画で埋め尽くされた壁のインパクトが強くて驚いた。コンサートが始まってからは、蒸し暑くてたまらない教会の中で、200人以上がじっと音楽に耳を傾ける雰囲気にも、圧倒された。

 

チェロ・リサイタルとして始まった演奏会は、チェロ・アンサンブルで幕を閉じた。半ばフラッシュ・モブのようにしてどこからともなく出てきたチェリストたちは、ロヴィーゴで学ぶ若いチェリストたち。マスタークラスの受講生だったり、前日にコンサートで演奏したり、音楽祭の会場スタッフとして受付に立っていたりしたので、見おぼえのある顔ばかりだった。

 

演奏が終わると、聴衆の多くは立ち上がり、熱狂的な拍手を贈った。隣にいた彼女は、ちょっと涙ぐんでいた。この日のコンサートには、演奏者と聴き手の多くが音楽に集中し、没入しているからこそ生まれる空間の喜びがあったように思う。音楽院で学ぶ学生とは、直接面識がなくても、何度も演奏を聴いたり話しているのを見たりしているうちに、家族的なつながりを感じている人が多いに違いなかった。

終演後は彼女の友達とも落ち合って、フェスティバルの提携しているジェラート店へ向かった。皆で合言葉の「ラレソド」を唱えれば、音楽祭の期間中だけの新作ジェラートを提供してもらえる特別な場所だ。昼間の暑さとは対照的に過ごしやすくなった夜22時、コンサートの感想や近況を語り合う時間はとても豊かだった。


また来年も来てね、と言ってくれるCさん。彼女とその家族と並んで聴いたコンサートのひとときや、そこから見える景色が忘れられなくて、私はまたロヴィーゴの音楽祭に思いを寄せている。

コンサートを聴き、マスタークラスを見学して記事を書くのが目的だったので、一度来たらしばらくは来ることがないだろうと思っていた街。今はちょっと違う。音楽をともに聴き、育っていく演奏家たちを並んで見つめた人たちがいる場所だ。また一緒に音楽を味わいたい、と思える人たちがいるからこそ、毎年でも訪れたい場所になっている。

Photo/Text : 安田真子(Mako Yasuda)
弦楽器をこよなく愛する音楽ライター。2016年から2026年までオランダで活動。地域のイベントや市民オーケストラで 時たまチェロを弾いています。 http://makoyasuda.com/