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バイオリン商 デビッド・ローリーの回想録
第5話 難しい鑑定


驚いている私に、ヴィヨーム氏とジャンセン氏が事情を説明し始めた。話はこうだ。

ジャンセン氏は私の言葉が頭から離れず、自分で徹底的に手がかりを調べたらしい。そして、とうとうロンドンの楽器商が、そのチェロの前の所有者に発行した領収書を発見したのだった。それにはまさしく「バラク・ノーマン作」と書いてあったという。

ジャンセン氏はそれ以後、多大なる信頼を私に寄せてくれて、「ブラッセルに来た時は、是非自分達の音楽会に出席して欲しい」と心から勧めてくれた。音楽に目のない私は、すぐにご招待にあやかり、たくさんの有名な芸術家たちに接する喜びを得ることができた。

ヴィヨーム氏やジャンセン氏ほどの優れた判別能力を以ってしても、しかもメーカーの特徴が顕著であっても、時として楽器の鑑定を誤ることもあるという事実は、おそらく読者の皆さんも驚かれるに違いない。しかし、その当時は英国派の製作者の名前はほとんど海外に知られていなかったのである。

しかし面白い事実がここにある。イタリアやフランスのメーカー達、例えば、ヴィヨーム兄弟ガンシャノパノルモフェントモウコテル等はロンドンに行ってそこで製作をしていた時期があり、これはすでに良く知られている事実である。だからと言って、彼らが英国の製作者だと思う人はいないだろう。ヴィヨーム自身でさえ、英国には現在・過去共に優れたメーカーが存在したことはないと言い、その事実も認めたがらなかった。

この件に関して、7~8年前にあった出来事をもう1つ書こう。

ある日、パリ随一の楽器商を訪れたときのことだ。私が店に入っていくと、すれちがいざまに、1人の紳士が出ていった。店員は私に、テーブルの上に置かれた1本のヴィオラを見せながらこう言った。「今の紳士に、この楽器がアマティ派のイタリア名器として売れたところだ」店員は私が同調するものと思っていた様子だったが、私は「いえ、これは英国製ですよ」とありのままに言った。

英国製ですって?そんなバカなことがあるものですか」彼は信じられないといった口ぶりで言った。

そこで私は英国製であることの証拠や、それがヴィオラ作りとして有名な、ソールズベリーバンクスという人の作品であること等を述べた。店員達は私の言ったその名前さえも知らないというので、紙に書いて渡すと、店員の1人がさっそく引き出しからハート・アンド・サンの名簿を出してきた。そこで私は、ついでにさらにたくさんの英国人のメーカーの名前をずらりと書き出した。
さて、彼らは自らの非を認めるかっこうとなり、善後策を私に相談してきた。そこで、客の泊まっているグランドホテルまで送ることになっていたヴィオラだったが、事情を良く説明した釈明書を書くことにしたらどうかと勧めた。内容はこうである。

「私たちがビオラをあなたに売った後に、さる信頼のおける英国の大楽器商が訪ねてきて、たまたま目に留まったビオラを見て、『これは英国の製作家バンクスの手によるものだ』とおっしゃった。故に、私たちは道義上、この売買契約は破棄されたものと考え、返金を申し出たい」との申し入れだった。しかしこの紳士はこの申し出を断って、彼等の公正な態度に感謝しつつ、そのヴィオラを購入したとのことである。
1860年代の初期、私がちょうど海外旅行を始めた頃だが、イタリアの名器の売買には大きなかげりが見え始めていた。これは18世紀末から1840年頃まで続いた好景気の反動によるものだ。

その頃、ヴァイオリン界でも何人かの著名な演奏家が亡くなったが、その中にはパガニーニもいて、アマチュア音楽家たちをがっかりさせたものだ。しかし最大の原因は、偉大なコレクターが存在しなくなってから、長い間、それに代わる人物が現れなかったことだろう。それに気付いたのはずっと後のことだったが…。ともあれ、私の初期の輸入計画が始まったのもそのような時期であった。

第6話〜初めての取引〜へつづく