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写真:“19世紀のドイツ、ベルリンの歴史的白黒写真” Historic B&W photos of Berlin, Germany (19th Century)by MONOVISIONS

バイオリン商 デビッド・ローリーの回想録
帰途の旅・その1


■横板の丸い穴

私は彼らに別れを告げてから、ドイツの官吏が私のケースをどのように取り扱うかを見に行くことにした。国境に着いたので、ここで列車を乗り換えるのと同時に、パスポートの交換もしなければならなかった。
写真:ベルリン中央駅

ドイツの列車の方へ、小荷物とケースの移し変えが可能かどうか見に行くと、 荷物はプラットホームの上に放り出されたままにされていた。事務員にサンクトペテルブルクからの運賃を尋ねると、とても適正な金額だったのですぐに支払った。

次に駅長に挨拶して、私の荷物をベルリンまで運んでもらえるかを尋ねた。駅長は、荷物は税関の検閲を受けなければいけないので、今の列車でも無理だから、十二時間後に発つ郵便列車ならば検閲も済むから送ることが出来るだろうと説明してくれた。

ケースは小荷物室へ運び込まれ、全部開かれた。開けてみると、中には申告したものしか入っていなかったので、私の正直さを示したことになり、事はすぐに運んだ。

しかし、おかしな話ではあるが、従来、私を含めたすべての弦楽器業者を悩まし続けた、あるーつの問題点が今回の検閲によって解決されてしまったことには感謝している。

私は、今までヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの横板の曲部の中央に、時折見られる丸い穴が今回の検閲の時点まで全く理解出来なかった。

これらの穴には、楽器を作った材質とは全然異質な材木が埋められていて、またそれらは明らかに製作者の手を離れた後でなされたものだった。しかし、この穴はすべての楽器に見られたわけではなかった。事実、今までその様な目印を一度も見ることなく、多くの楽器を取り扱ってきた業者もあるかもしれない。

写真:“駅の税関吏による荷物検査、19世紀” / Illustrated Australian News, 1 June 1889 by Museums Victoria



さて、穴のわけをこれから説明しよう。全部の楽器がケースから取り出されると、キリを持った一人の男が進み出てきた。税関吏が一台のチェロを横に立てた。私には彼等が何をしようとしているか、すぐにピンときた。

すばやく前に出てチェロを逆さに立て、緒留糸を外してエンドピンを引き抜いてみせた。私の動作をじっと見つめていた税関吏が「何をしようとしているのか。」と私に尋ねるので、「さあ、これで楽器に穴をあけないで内部が見られますよ。」と言うと、彼は笑いながら「良い勉強をした。これからは楽器を損傷しないようにしましょう。」と言って、私の行動を理解してくれた。

この穴あけ作業は、イタリアから入ってきた楽器を、フランスの税関吏が行なったやり方を習ったものであることは疑いの余地はなかった。このことは相互啓発の良い例で、結果は残りの検閲も無事に済ませることが出来た。

それからチェロの再梱包が三時間程かかって終ったが、次の列車の時刻までまだ数時間あった。もっとも次の列車にケースが持ち込めるかどうかは、はっきりわからなかったのだけれども。そこで問い合わせてみると、 荷物を携行したいのなら特別車を買い取れば良いことがわかった。残念なことに、その列車はベルリンまでしか行かず、もう一度乗り換えねばならなかったが、私はそうすることに決めた。


■国境駅の駅長

私は時間をつぶすために、この国境の地を見物しておこうと思って出かけてみたが、結局すぐに駅へ戻ってのんびりとすることにした。

ドイツとロシアの国境地方ほど、わびしく荒廃した土地は他のどこにも見られないひどさだったから。私はレストランに入ってタ食を注文した。それを待っている間に、数人の官吏が入って来て、葡萄酒を飲みに簡易食堂の方へ行くのが見えた。その中に駅長とその友人もいた。私が彼等の方に目を向けると、私の傍を通って出て行く時、駅長は軍隊式の挨拶を私にした。

私はそこで立ち上がって彼とその友人に、葡萄酒のお付き合いをお願いした。彼等は席に着いたのだが、その友人は2、3分してゆっくり出来ないことを詫びて出ていった。私は駅長にタ食を共にしてくれるようにお願いした。そこで我々は、楽しいタ食と一瓶のラインワインを飲み、さらにコーヒーと最後の一杯の小さいグラスで切り上げたのであった。

写真:“鉄道駅ベルリンフリードリッヒシュトラーセ1900” Train station Berlin Friedrichstrasse 1900 by wikimedia commons


私はつとめてケースのことには触れないように心がけ、色々な話題に興じて楽しいひと時を過ごした。食後、彼は自分の職場に戻らねばならなかったが、一時間もしないうちに戻って来て、臨時に客車が増結されるということを教えに来てくれた。

私のケースは二つの車室の片方に入れられ、さらにその隣の第三室も一人占めすることが出来た。その上、彼はベルリンの駅長宛てに書いた手紙も渡してくれたのであった。かくて私のとるにたりない好意が、色々なわずらわしさを取り除いてくれる働きをしてくれたのであった。

彼は車窓へ別れを告げにやってきて、「又お目にかかれると嬉しい」と、そしてベルリンでもし困ったことが起きたら、彼宛てに電報を打つようにつけ加えた。私には、彼が相当な才能と地位のある人だということが理解出来た。

やがて列車はベルリンに到着した。国境駅の駅長から預かった手紙を別の線の駅長に手渡すと、それを2、3度読み返した後、ベルギー国境までの郵便列車持ち込みの許可をくれたので少しホッとした。しかし、ここまで来たらもう英国の見える所まで来たわけだし、仮に官吏が私のケース類の客車扱いに反対したとしても、貨物列車で託送すれば良いのだからとは思っていた。結果的にはそのようにしなければならなかったことをあとで知ることになったのではあるが。

私は、やっとのことで特別貨車を手に入れ、荷物が無事に積み込まれるのを見てから、港町のオーステンデ到着を一日待つべくブラッセルに向かった。
第33話 ~帰途の旅・その2~へつづく