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1984年から1993年まで、文京楽器が発行していた季刊誌Pygmalius(ピグマリウス)より、インタヴュー記事を復刻掲載します。当時、Pygmalius誌では古今東西のクラシック界の名演奏家に独占インタヴューを行っておりました。
レジェンドたちの時代を超えた普遍的な理念や音楽に対する思いなど、心に響くメッセージをどうぞお楽しみください。
初期の頃は、桐朋の『子供のための音楽教室』の合宿で、北軽井沢の齋藤秀雄先生の別荘に泊らせていただいたり、長野原小学校に泊って合宿をしたりしながら、わいわいやっていました。お母さん達が来て給食室で食事を作って下さったりしていましたね。みんなすごく個性的で、ソリスト的といいますか、職人的な雰囲気があったように思います。
私などその頃はアンサンブルをやっていましても、自分のパート譜だけ暗譜する程弾いてしまって、それで終わりでしたね。今考えてみますと、誰が一番確実に弾けるかの競争でした。人一倍大きな音を出して他人の音をかき消し、自分の音を聞いて確認する、恐いですね。(笑)低音の響きのピラミッドの上に乗っているヴァイオリンのように、とにかく囲りを聞いてわかり合わなければアンサンブルにならないわけですから。
ところで、今の若い人達は、私達の頃よりはるかに軽いリズムを持っているし、それからアンサンブルも良いですし。たぶん生まれた時から囲りに西洋音楽があるからですね。
高校一年の時に近所の方から「私の子に教えて」と一言われまして、それが初めてでした。生まれて初めていただいたお月謝が500円。記念に英語の辞書を買いました。今もありますよ(笑)
その頃、教える内容は未熟でも、教えるのが楽しかったですね。それからずっと教え続けています。とくに、私は教えることに苦労は感じませんし、子供の目の高さになって教えるのが楽しいですね。齋藤秀雄先生は、「子供を教えなさい」とおっしゃっていました。大人はだめだそうです(笑)
私小さい頃、田舎に育ちまして、ピアノもなく、楽譜もなく、レコードも少なく、ただがむしゃらに練習していた思い出があります。"弾けない"のは練習不足で、メソードも極端に言いますと、練習の中からあみ出すしかなかったのですね。息のつまるような弾き方をしていました。
それからずーっと後になって、桐朋の音教の生徒を教える話が出た時に、はじめて、齋藤先生の門をたたきました。教則本こそ作られていませんが、"齋藤メソード"とも呼ぶべき方式に出会い、随分楽に弾けるようになりました。そんな自分の生いたちが今の自分の大部分を成していると思います。そしてその時、教える方法も齋藤先生から教わりました。
公開レッスンが今、はやっていますね。例えばそれには、コンクールで入賞した方とか、とにかく優秀な方が出ますね。ちょつと、とっぴな考えだと思うのですが、技術的な面でマイナーな子達が自分を表現出来るような、公開レッスンがあったら興味ありますね。
だめな子のレッスンって全然ないでしょ。テレビのヴァイオリンのおけいこにしても、オーディションをして、良い子を選ぶわけですね。悪かった方の子を採って教えてもらいたいですね…。才能のある子を育てるのも、もちろん大事ですが、大げさかも知れませんが、楽器を通して表現する権利、誰にでもあると思うのです。
私の現実離れした理想ですが、幼稚園の先生から大学教授までお給料をみんな同じにしてしまう。そして、だれもが勉強出来る環境をもらい、みんなが教育者としてプライドを持って仕事にたずさわれるというように…でも無理ですね。結局、みんなが地位を重んじる。地位を得る為にがんばっている人達にとっては、気の抜けるような話ですから。だからこそ一握りの真実に生きている人達は、私達のかけがえの無い目標です。
ところでうちの子供って、ちょっと変わっていましてね。例えば幼稚園で避難訓練の時、うちの子だけ「(避難訓練を)しませんでした」 と報告をいただきました。「だって本当に火事じゃないんだもん。何でするの?」 って言うのです。
幼稚園に入った当初は、親子共々そんな子ですので、苦しんだ時もありました。でも年長の時の先生がとてもいい先生で、例えばお遊戯会の時、ピーターパンの劇をやりましてね、「ピーターパンになりたい人」って聞くわけです。ハーイってほとんどの子が手を上げて、普通なら「ピーターパンは一人じゃないか。しょうがないからくじ引きで決めようか」とかって言いますでしょ。「よし、全部がなろう!みんなピーターパンになっちゃえ」と片側へ集めて、「海賊はどうする?」波とか船長とか他にも色々決めなきゃならないわけです。メンバーが足りなくて「困ったね」ということになってしまう。
そうすると、ピーターパンの中から「じゃ僕はフックでいいや」という子が現われ、これは自分がやってやらなければ、ということで自発的に引き受けるわけです。
波も船のマストもみんな子供達がやるのです。マストは劇の間中、ただ立っているだけなんです。ただし椅子の上に乗ってみんなより高い所にね。最後に、全員でピーターパンの歌を歌う場面で、マスト役に指揮をさせてくださいました。息子はマストになって一忌気揚々としていました。とにかく恥をかかせない。そして、その子供の主張をつぶすことなく、逆にそれをうまく生かして下さる、そんな先生でした。親子共々、感謝しております。素晴しいですね。
幼児教育の話になってしまいますが、幼児教育は、木の根の部分の教育です。だからこそ、木全体を見ることの出来る、例えば大学生を教えることが出来るくらいの力量を持って子供の気持ちを理解し、しかも子供の言葉がわかる、そんな先生に教えていただきたいですね。だから幼稚園の先生って大変ですし、大切だと思います。やさしいだけでなく、知識をものすごくたくさん持ってなければいけないから。
例えばヴァイオリンを一生懸命練習してきたけれど、希望の音楽学校へ入れなかった時、「これだけやってだめだったのだから、ヴァイオリンをあきらめましょう」とおっしゃる親子がたまにいらっしゃいます。特にお母さまの方が、強くそう思っていらっしゃるようで、本当に努力してがんばった子供の方は、よく聞いてみると、やめたくない場合が多いですが、とても悲しい判断だと思うのです。「そんな目先の目的に失敗したからといって、投げ出さないで下さい。たまたま、この時期のあなたへの評価が足りなかっただけで、音楽なんて何百年も続いて来ているものです、あなたの人生の何倍も何倍も。どうぞ出来たら続けて下さい。もう嫌だと思うほどつらいことがあるかも知れませんが、やっていると少しずつ見えて来ます。素晴らしいゾクゾクするものが。」って言いたいですね。
話はそれますが、学校の父母会等で、良しも悪しきも色々な意見が出ます。私達自身が、とりあえず当時の教育の結果であることを忘れてはいけないと思います。今の子供達は30~40年後の結果ですね。本当の結果は死ぬ前ということでしょうが、要するに本当に自分の人生を燃やすことが出来るのかって言うことではないでしょうか。半燃えでくすぶっていないで、充分燃えきったと思える人生、一番幸せだと思います。
私の場合、そんな激しいものではありませんが、"音楽"ということになるわけです。本当に続けていて良かったと思っています。実感として"四十年間粘り勝ち"ですね。(笑)
私自身、遠回りし、ムダをし、やっと少し弾ける所まできました。人生後半、やっとこれから音楽だと思っています。私の理想は、苦労した部分のノウハウを教えてしまうということです。けれども、あくまでこれが土台であって表現するのは "あなた" なのです。
ところで齋藤先生の教えの魅力は、もし十人の生徒を教えられた場合、十人それぞれの方がみんな個性的だったということです。そこが素晴らしいと思いますね。一から十どころか、百くらいまでおっしゃるけれど、結果がその生徒の個性になってしまうのです。チェロの生徒とヴァイオリンの生徒の違いは少しあったように思えますが、…「バッハのバロックのデタッシェはこうだよ」とか例えば「ベートーヴェンのスフォルツァートはこうだった」とか、本当に細かく具体的に奏法を教えて下さいました。それを引き出しに入れておいて、出してきて当てはめればある程度、ベートーヴェンらしく、モーツァルトらしく自力で弾けるようになったようです。
写真:2003年より元ベルリン・フィルコンサートマスター、レオン・シュピーラー氏に師事。
話は戻りますが、要は趣味でもプロでも、楽器を使って突っ込みこそ違え、良い音楽をするという点は共通です。前にも言いましたが、"表現の権利"はあるわけですから。
"ひびき"って何って言っても大切です。初めて弾く場合、最初はとても大変だから開放弦ですね。開放の時から大げさですが、音楽を楽しみます。響いて心地よい音が出ているか、出ていないか、必ず一緒にメロディを弾いてやってみます。小さいお子さん、わかりますよ。良いと笑った顔になりますね。(笑)気が付かない場合は、必ず二通り弾いて聞かせます。どっちが楽しい?悲しい?どっちがおこってる?どっちがやさしい音?どっちがいい音?っていう具合に比べてみせます。反対を言う子、いませんね。絶対にわかります。基本的な感情は十分持っているわけです。
大きくなるにつれて、難しい曲になるにつれて、 だんだんと表現が複雑になるということではないでしょうか。ですから、やさしいものを使って も、本当にたくさん勉強出来ますね。かえってやさしいもので身に付けてしまいたいですね、気持ちの表現を。言葉と同じでそのうち単語を憶え、ボキャブラリーを増やして、文学的表現も…となるものだと思います。
写真:フェリックス・ガリミア先生を囲んで。ニューヨーク1979年2月21日。後列左からPhilippe Setzer(エマーソンカルテット)、中央がFelix Galimir先生、前列右が吉村邦子氏。
よい表現、よい音楽をするためには、自分が気持ちを開いてオープンになること。そして話をして聞かせるように、"音楽を人にあげる"のと同じだと思います。でもそのためには方法を知らなければいけないでしょ。そのための練習です。
自分の持っている器量 ―よい音程、よいリズム、きれいな音とかが良くなくてはならないからです。ジュリアードのフェリックス・ガリミア先生は、"リラックス" そして、"表現すること" を教えて下さいました。今考えてみましたら、夢の様ですが、子供の頃、レッスンで一言も口をきけないほど緊張して、固くなって弾いていた子だった私にとって、その壁はとても厚いものでしたね。
写真:フェリックス・ガリミア先生。先生をはじめ皆冗談を言い合って笑ったりと、とても親密な時間を過ごした。
何でも"最初が大切"と言いますけれど最初の出合いは本当に大切ですね。まして自分が親になってみると、もっと大事にしなければいけないと思うようになりました…。とりとめもなく話してしまいましたが、ヴァイオリンを通しての出合いって本当に素晴しいです。私自身、くじけずに「七十年間粘り勝ち!」「九十年間粘り勝ち!」と言えるようにやっていきたいと思っています。(笑)