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オペラの父・モンテヴェルディに捧ぐ音楽祭 in Cremona

ヴァイオリンのふるさととして知られるイタリア・クレモナ。実は、現存する最初期のオペラ『オルフェオ』を手がけた作曲家クラウディオ・モンテヴェルディの生まれ故郷でもあります。そのことから、クレモナではモンテヴェルディとその周辺の作曲家に捧げる音楽祭が開かれています。

多面的な魅力を発信

クレモナ出身の大作曲家を記念して、モンテヴェルディの誕生日に合わせて同地で始まったのがモンテヴェルディ音楽祭(Monteverdi Festival)です。歴史あるフェスティバルで、今年で開催41回目を数えます。

(写真) オペラ『オルフェオ』の舞台 (c)Studio B12


2024年6月14日から23日にかけて、クレモナ旧市街のポンキエッリ劇場など計9か所を舞台に、コンサートや関連イベントが開かれました。

ファビオ・ビオンディ率いるエウローパ・ガランテ、イル・ポモドーロなどの古楽アンサンブルも登場。
オペラ『オルフェオ』を筆頭に、モンテヴェルディの作品はもちろん、先立つルネッサンス音楽や彼の作品に影響を受けて生まれた曲などが紹介されました。

オペラ『オルフェオ』を手がけたことで、『オペラの父』と呼ばれるモンテヴェルディ。1643年に76歳で没した当時としては長命のモンテヴェルディが遺した作品は多彩で、さまざまな側面を持つため、知れば知るほど奥深い世界を持つアーティストだといわれています。

 

カトリック教会に響くイスラムの音楽


真夏を感じさせる6月19日の夜。クレモナの聖マルチェッリーノ教会では、同音楽祭初参加のムジカ・アンティーカ・ラティーナ(Musica Antiqua Latina)の公演が開かれました。イタリア・ローマに拠点を置く古楽アンサンブルです。

 

(写真)ムジカ・アンティーカ・ラティーナ(Musica Antiqua Latina)のメンバーたち

 

プログラムの中心に据えられたのは、『タンクレディとクロリンダの戦い』というオペラでした。作品の初演から400年を迎えた今年、同音楽祭では異なる2団体によって上演された作品です。


公演では、同アンサンブル音楽監督であるジョルダーノ・アントネッリ(Giordano Antonelli)が弾き振りをしました。


「『タンクレディとクロリンダの戦い』の初演から400周年の年に、モンテヴェルディに捧げるフェスティバルで上演できたことに喜びを感じました。いってみれば、モーツァルトをザルツブルクで演奏するようなことですよね。

この作品を上演するのは4回目で、ある意味で私たちの『敵』だった文化の音楽を知ってもらうという達成感もありました。私たちはトルコ・ローマ地域の古代音楽に情熱を注いでいます。そのため、クラシックな西洋式のパフォーマンスではなく、戦いの舞台である1000年前のエルサレムに近づけた形で上演できたことにも大きな満足を覚えました」(アントネッリ)


会場となった大きな教会は、幅が比較的狭く、奥行きのある空間です。祭壇前のステージは、濃い緑の草花で縁取られていました。

一曲目の15〜16世紀に書かれたアラブの音楽が、バロック建築のカトリック教会に響き渡り、俳優たちが登場するやいなや、聴衆は物語の世界に引き込まれていきました。


多くの演奏者は、曲ごとに楽器を持ち替えます。ときには演奏効果のために舞台から降りて、袖の部分で演奏をしたり、ときには役者としてセリフを言う場面も。音楽と演劇は深くつながっています。

 

現代に通じる悲劇のオペラ


1607年にオペラ『オルフェオ』を作曲したことで、今の時代につながるオペラを生み出したと言われるモンテヴェルディ。1624年、当時彼が仕えていたヴェネツィアのカーニバルのお祭りシーズンに発表されたのが、3声オペラ『タンクレディとクロリンダの戦い』でした。

 

(写真)クロリンダ役のHersi Matmuja (c)Francesca Faelutti

 

『タンクレディとクロリンダの戦い』は、同時代の詩人トルクアート・タッソの詩をもとに書かれた悲劇。十字軍の戦いにおいて、恋人同士なのに甲冑のせいで気づかず、殺し合ってしまうキリスト教の男性とサラセン軍の女性戦士の物語です。

400年前に発表された『タンクレディとクロリンダの戦い』の作品のテーマに対して、アントネッリは現代とのつながりを強く感じています。


「誰もが人生において大きな争いの状況のさなかにいることは起こりえますが、私にとって、今回の上演は自伝的なプロジェクトとして始まったと言わざるをえません。


2年前に『タンクレディとクロリンダの戦い』の演奏を依頼された時、単に美しいだけではなく、争いの愚かさをよく語る音楽だと考えました。

登場人物がお互いのことを認識できなかった原因の甲冑は、いわばアイデンティティです。人の外見だけを見ても、内面に何があるのかを見ないことで、人の魂との触れ合いを失っていくという、アイデンティティにまつわる認知の歪みがみてとれます」(アントネッリ)

「甲冑や、とりわけイスラム教徒と私たちキリスト教徒の文化の違いというテーマは、数多くのものを象徴しています。

(パレスチナ・イスラエル戦争が開戦する2023年の)10月7日より前にリハーサルを始めていましたが、10月24日の初演時には、ガザで戦争が現在進行形で起こっていた。そのさなかに戦争の愚かさを伝えることになり、非常にストレスの多い状況でした」

 

(写真)左からアントネッリ(リラ)、Safa Korkmaz(朗読)、Giovanni Giugliano(ヴィオローネ) (c)Francesca Faelutti

 

今回、アントネッリたちは、モンテヴェルディ作品の前に『Sheikh Sanan』というペルシャの悲劇も上演しました。ストーリーは、信心深いイスラム教徒がジョージア人のキリスト教徒に魅惑され、愛のために宗教を捨て、死に救いを見出すというもの。音楽と朗読に、イタリア語の演劇が付け加えられ、聴衆に新たな視点をもたらしました。

「私たちイタリア人、ないしヨーロッパ人は『キリスト教徒はより善良なものだ』という考え方に慣れています。ですから、反対側の視点も知って欲しいとも考えました。
そこで今回、ペルシャの物語で、優れた道徳心のある人物とキリスト教徒によって引き起こされた倒錯、というテーマを持つ作品も取り上げたのです」(アントネッリ)

 


異なる時代の曲がひとつながりに

 

特徴的だったのは、書かれた時代も場所も異なる音楽がほとんど継ぎ目なく続けて演奏された点でした。作曲者不詳の伝承曲や、オスマン帝国の最初期の音楽も含む12世紀の作品から現代の作曲家(Mutlu Turun)まで、書かれた時代が異なる12曲が並びましたが、そのすべてが驚くほど自然につながっています。スケールの大きな風景を描くようなコンサートでした。


「モンテヴェルディの音楽で、エルサレムは1500年に解放されますが、1099年の十字軍について語っていて、世紀をまたいだテーマが扱われています。ですから、十字軍の時代から出発したり、トルクァート・タッソ(16世紀イタリアの詩人)やモンテヴェルディの時代に行ったりと、かなり自由に(時間軸を)移動できたのです」(アントネッリ)

 
公演では、カトリックのイタリアの作品と、イスラム教のオスマン帝国で生まれた作品がつづけて演奏されました。器楽アンサンブルのプレイヤーたちはごく自然に西洋と東洋の楽器を持ち替え、丁寧にハーモニーを変遷させていきました。

登場人物を演じる歌手たちの役の移り変わりは、とても滑らかでした。
最初にキリスト教徒を演じた歌手は、のちに対抗勢力だったサラセン人(中世のイスラム教徒)を演じて、争いのさなかにある『愛』というテーマを体現します。その場面からは、『差異』よりもずっと強烈に『共通する人間性』が伝わってきました。

東洋と西洋の古楽を結びつけることの意義

今回上演されたモンテヴェルディ作品のような初期のオペラでは、歌い語られるひとつのメロディーに器楽アンサンブルが伴奏をつける、という『モノディー様式』が使われています。
モノディー様式では、歌われる旋律を活かすため、メロディーに寄り添うようにして器楽合奏が和声をつけていくというスタイルで音楽が形づくられていきます。この点は、モノディー様式よりも前に存在したポリフォニーとは異なっています。
様式の変化は、時代や場所によって、曲の構造上の縦(垂直型)と横(水平型)の感覚が異なることをあらわしています。

モンテヴェルディが活躍し、モノディー様式に沿って作品を書いていた時代のヴェネツィアに注目し、研究を進めているアントネッリは、こう語ります。

 

(写真)共鳴弦のついたリラを演奏するアントネッリ (c)Francesca Faelutti

「以前から、私たちは東の海の帝国を築いたヴェネツィアと東洋、トルコ全域に関連する音楽に情熱を注いでいます。
私たちを熱狂させる動機はシンプルです。現代のヨーロッパでは、音楽における水平型の次元の記憶が失われてしまっていますが、イタリアのルネッサンス音楽においては、いまだ水平型のモノディー様式に、音楽の感覚上の重心が置かれていました。縦
と横の様相がどちらもあったからこそ、素晴らしい音楽だったのでしょう。
一方、東洋では今日でもモノディー様式が生きています。ですから、ヨーロッパの古楽と東洋の古楽を何らかの方法で結びつけることは、興味深いテーマなのです。

モンテヴェルディの作品『聖母マリアの夕べの祈り』は、偉大な音楽的構造物でありながら、すべてカント・フェルモやグレゴリア聖歌、アンティフォナの上に築き上げられています。モンテヴェルディの時代では、
水平型のモノディーがまだ大きな存在だったことがわかります」

楽器を声として捉えた時代


同公演で、アントネッリは2台の楽器を持ち替えました。どちらもチェロと同じように体の前に立て、弓で弾く楽器です。


まず登場したのは、共鳴弦のあるリラ。ギリシャではリラと呼ばれ、トルコではケメンチェといわれる擦弦楽器です。


もう一方のヴィオラ・ダ・ブラッチョ・バッソには、ガット弦が張られ、バロック弓が使われました。一般的によく見かけるバロック・チェロの奏法とは異なり、エンドピンもついているため、一見するとモダンチェロに近いセットアップのように見えましたが、呼び方が異なるのには理由があります。


「モンテヴェルディは、特にヴァイオリン属の楽器製作で知られることになるクレモナで生まれましたが、実はイタリアのヴィオラ・ダ・ブラッチョという楽器の概念は、のちにヴァイオリン、ヴィオラ、チェロと呼ばれることになります。そのヴィオラ・ダ・ブラッチョは、フランスのヴィオラ・ダ・ガンバとは異なります。モンテヴェルディの時代には、『ヴィオラ・ダ・ブラッチョ(Viola da Brazzo)』は、構造上の特徴からみて、より広域の楽器を指していました。ですから、ここではチェロではなくヴィオラ・ダ・ブラッチョ・バッソと呼ぶのが正しいのです」


なお、ヴィオラ・ダ・ブラッチョには、楽器が出せる音域のみに結びついた細分化がなされ、声楽と同じようにソプラノ、メゾソプラノ、コントラルト、テノール、バッソがあります。これらの呼び名は、ヴィオラ・ダ・ブラッチョが広く使われていた時代に、楽器の出す音が、人間の『声』と同じように捉えられていたことを如実に表しています。


「モンテヴェルディがヴェネツィアで使用した音叉のピッチは 440 ヘルツでした。したがって、現代のものと同じか、場合によっては 460 ヘルツでチューニングされていたためとても高いピッチだったのです。一方で、ボローニャやナポリなどの音楽を演奏する場合、通常 415 ヘルツが使用されますが、ローマではさらに低く 392 ヘルツでした。

ヴィオラ・ダ・ブラッチョ・バッソの調弦は、(現在のチェロの)C・G・D よりも低く、 F♭・ C・ Gでチューニングされていました。しかし、より
重要なのは、楽器の音域を『声域』として、モノディにおける様式上の用語で考えること。非常に興味深い点ですね」

西と東の特徴的な楽器

オーケストラで、打楽器や管楽器のプレイヤーが楽器を持ち替える姿を見ることは珍しくありませんが、弦楽器では稀です。

オリジナル楽器を多用するこちらのアンサンブルでは、弦楽器奏者を含めた多くの演奏者が、何度も楽器を持ち替えました。登場した楽器のなかで、特徴的なものを紹介してもらいました。

 

(写真)ネーイ、ヴィオラ・ダ・ブラッチョを演奏するムジカ・アンティーカ・ラティーナのメンバーたち (c)Francesca Faelutti

 

「縦笛『ネーイ』も、オスマントルコ音楽の構造を生み出した基本的なもののひとつです。アラブ音楽の音楽の構造ととても似ています。

『規範』を意味するカヌーンという楽器も重要です。すべての微分音程を持つ撥弦ツィターで、ピッチが固定されているので、オーケストラにおいてピッチを設定する役割をもちます。レバーを使用すると、音階に応じて正確に微分音を変更することもできる楽器です。 

長いネックを持つ撥弦楽器のタンブールもオスマン帝国の古典音楽にとって典型的な楽器です。微分音の調整ができるキーも備えています。

ほかに東洋のパーカッション、たとえば、中世の音楽で演奏される小型の携帯用オルガンであるシンフォニーなども使用しました」

 

古楽の魅力とは

 モンテヴェルディは、ルネサンス音楽とバロック音楽の両方にかかる時代に活躍した作曲家です。ほとんどの聴き手にとって、バロック以前の音楽に親しむ機会は多くありません。


「ブラームスを聞いて、どうしてモンテヴェルディを聞かないのか、という問いについて、個人的な趣味もありますが……私がモダンのレパートリーを捨て、より前の時代の音楽に移ったのには、理由があります。

モダンのレパートリーは作曲家自身の心理を表現しています。一方、古楽はより普遍的で、非個人的です。例えば、バッハを聞くと彼の感情の苦しみはあまり伝わってきません。音楽は非個人的な集合的なものとして生きていたことがわかります。
東洋では、メロディは作るものではなく、すべてに属しているもので、すでに空気の中にあり、ただ見つけるものだと言います。

古楽の特別さのひとつは、作曲家のエゴやナルシシズムがあまりないことです。19世紀以降に生まれたドイツの”Kunstmusik”(芸術音楽)という定義や、作曲家が自分自身に向ける用途がまだ生まれていませんでした。古楽の時代の
音楽は、踊りや聖なる儀式、王族の個人的な権利のために存在し、純粋に聴くだけの対象ではなかったのです。

古楽は『有機的な音楽』と呼べるようなものです。有機栽培の食べもののように、私たち人間の自然により近い。だからこそ古楽では、東洋でそう捉えられているように、気持ちと音というものが本当の意味で、魂のもたらす感情の表現だったのだと思います。

音というものが、まだ構造物を立てるための客観的な道具ではなく、偽りのない子どもの声のような、本質的な表現だった。直接的で原始的な何かがあることも、もう一つの大切な要素ですね」


アントネッリがプログラムの解説で書いたところによる『東洋のマカームとルネサンスの手法の様式上のはざまの対話』は、公演の主題として根底に流れ、よどみのない対話のように表現されていました。

国家や個人の間で断絶が生まれがちな今日。お互いの違いと共通点を知的な方法で感じとったうえで、対話の重要性を訴える力強い音楽が心に響きました。次回のフェスティバルにも期待が高まります。

 

♢モンテヴェルディ音楽祭 https://www.monteverdifestivalcremona.it/


Text : 安田真子(Mako Yasuda)
2016年よりオランダを拠点に活動する音楽ライター。市民オーケストラでチェロを弾いています。