生い立ち
G.B.チェルーティ(1756-1817)はクレモナから北東へ320km、オーストリアとの国境近くにある小村、セストに生まれました。
記録によると、彼は1786年に家族を連れてクレモナに移住したとされています。当時チェルーティは布商人を生業とし、商売をするために大都市のクレモナにやって来たのです。商人という仕事柄、異業種との交流が容易であったことは明白であり、ごく自然なかたちでヴァイオリン製作者らとの親交を築き上げたと考えられます。そしてこうした交流がきっかけとなり、ついに自らも弦楽器製作の道へと進んだというわけです。
彼はこれまで、クレモナ派の製作者ロレンツォ・ストリオーニ(Lorenzo Storioni)の下で技術を学んだとされてきましたが、近年では、ストラディヴァリの後継者的な存在であったベルゴンツィ兄弟(Brothers Bergonzi)の影響が色濃く表れているという説が、研究によってわかってきています。
楽器のモデル
f字孔はボディのやや下方に位置し、外側に向かって流れるようなラインを描きます。やや横に伸びたスクロールなど、随所にベルゴンツィの影響を感じさせるものがあります。
材料選択も特徴的で、しばしば虎杢が少ない裏板材を使用しています。チェルーティのもつ甘く温かい音質はこれら作風の特徴が一役を担っているといえるでしょう。
一般的にG.B.チェルーティの作品は、ストリオーニよりもさらに正確かつ洗練された仕事で製作されていると評価されています。
写真:Violin made by G.B.Ceruti, Cremona, 1806
製作上の功績
19世紀前半はチェルーティの活動が最も盛んだった時期です。ちょうどこの時期、1802年にストリオーニがクレモナを去ったことで、彼は商売的に優位に立つチャンスを得たと考えられます。一説には、チェルーティが引退したストリオーニの工房を引き継いだ、ともいわれていますが、実際のところは不明のままです。
しかし、スクロールがストリオーニによって作られた楽器が存在することなどから、この二人の間には何らかの関係があったのでしょう。彼はベルゴンツィやストリオーニの影響を吸収しながら、自分自身のスタイルを確立していきました。
彼の息子ジュゼッペ・チェルーティ(
Giuseppe Ceruti)や、孫のエンリコ・チェルーティ(
Enrico Ceruti)も優れたヴァイオリンメーカー達であり、三世代に渡って伝統的なクレモナの製作技法を踏襲し、再度盛り立てたことが製作史上の大きな功績であるといえます。