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バイオリン商 デビッド・ローリーの回想録
第3話 ストラディヴァリとの出会い


私の目は、部屋の片隅に立てかけられていた1本のヴァイオリンに釘付けになってしまった。どの楽器を試奏しても良いという許可をもらっていたので、立ち上がってその楽器を手に取った。外観は他のどんな楽器よりも美しく、私は思わず見とれてしまった。

容姿は幅と比してやや長めの小型サイズである。裏板は木目のある二枚板の美しい楓材、表板は美しく整った木目の、柔らかそうな銀松が使われていた。私はゆっくりと弓を取って弾き始めた。その音色こそ、私が長い間求め続けてきたものだった。

ニスの色は、一見したところかなり深い層に見える、透明感の強い美しい黄褐色をしていた。渦巻きは大きくて美しく、男性的な印層を私に与えた。これこそがこのメーカーの作風であることは後で知った。

私はイーディさんにしつこく、そのヴァイオリンメーカーの名を聞いた。彼はようやく、ぶっきらぼうに答えた。「フランス製のヴァイオリンだろうさ。でもクラークさんに聞けば、多分イタリア製というだろうがね。」

思い切ってクラークさんに聞いてみると、「それはトムソンさん所有のロングサイズのストラディヴァリだ。彼に100ポンドで譲ってくれと言ったら拒絶されてしまったがね。」

「それでは、このヴァイオリンが、本当に正真正銘のストラディヴァリなのですか?」私は叫んでしまった。

「まさにその通りだよ。しかも、かなり有名なものだよ。」とクラークさんは言った。
この時、私がストラディヴァリを持つという夢はかなえられなかった。イーディさんは私のためにレベルに合った楽器を探し出してくれた。そして、「君がクラークさんの所で夢中になったあのばかばかしい代物よりはるかに立派な楽器だよ。」と言った。

しかし私は彼の説には残念ながら同意出来なかった。それでも彼の求めてくれたヴァイオリンはそれなりに気に入ったし、親切な心遣いには大変感謝した。その後、長い間このヴァイオリンは私の元にあって、喜びを与えてくれた。


私は偶然にも二つのことを学ぶことができた。 

一つは満員の音楽ホールと静かな私室という、二つの全く違う場所でクレモナの名器の音色を聞くことができたこと。二つ目はヴュータンの演奏を聞いたときの、あの美しい響き、独特の張りのある音色が自分で弾いた時にまったく出せなかったことである。

もっとも、自分で理由付けをして慰めた。彼はヴァイオリンを弾くのが生活をかけた勉強と仕事であったのに対し、私ときたら、暇を見つけて練習をする程度のアマチュアだった。楽器を鳴らせるか鳴らせないかという違いがあってごく当然だったのだ。
1867年、当時私は新しい仕事を手がけることになった。それは、海外に市場を開拓する仕事だったので、いろいろな国の大小の都市に出かけなければならなかった。その結果、英国に住んでいた頃とは比較にならぬほど、最高級の名器に接する機会を得ることになった。私は行く先々の都市に住む弦楽器製作家や業者を訪ね、たくさんの人たちと面識が出来るようになった。

とりわけ、N.F.ヴィヨームにはよく会った。彼は有名なJ.B.ヴィヨームの弟で、当時ブラッセルで職についていた。その職というのが、ブラッセルの国務大臣によって任命された同国の音楽院の御用ヴァイオリン製作者というものであった。外国人の起用ということからして、彼の才能がいかに高い評価を受けていたかをうかがわせる。彼は中背で胸巾が広く、がっしりとした体つきの人で、ミルクール生まれの、れっきとしたフランス人であったが、どちらかというと、スコットランド低地方の人のような風采をしていた。

彼は大の旅行好きで、ロンドンは二度行ったことががあると言った。ただ二度とも、ひどい船酔いに苦しんだので、イギリス海峡横断だけはごめんだが、ロンドンだけは是非また行きたいとしきりに言っていた。

第4話〜ヴィヨーム氏のチェロ〜へつづく