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写真:今年のユトレヒト古楽祭でレジデンスアーティストの一人となった指揮者のジュリオ・プランディと、18世紀の宗教音楽を専門とする古楽オーケストラ・合唱団が活躍


古楽の世界をひらくフェスティバル ユトレヒト古楽祭

 

オランダ中部のユトレヒトは国内で4番目の規模の都市として、またミッフィーの作者ディック・ブルーナの故郷として広く知られていますが、1930年からユトレヒト大学音楽学科では中世・ルネサンス音楽について研究が始まっていたという古楽研究の要でもあります。そのような背景があるため、1982年から毎夏、ユトレヒト古楽祭(Festival Oude Muziek)という古楽のフェスティバルが開かれています。


■晩夏を彩る一大イベント

 

今年は8月23日から9月1日までの計10日間にわたって、演奏会やレクチャー、展示即売会など228のイベントが開かれました。来場者はのべ7万人以上という国際的に見ても最大級の規模で、関わった音楽家は1千人に及ぶと公表されています。

内容は主に13世紀から18世紀までの音楽に関連するもので、古楽についての知識の多寡に関わらず、関心がある人にとっては、いろいろな角度から中世、ルネサンス、バロックの音楽に触れられる絶好の機会です。楽器や楽曲の歴史、知られざる名作や様々に異なる演奏スタイルなどが国内外の専門家によって紹介されるプログラムが目白押しです。

日ごろから古楽研究で有名なオランダとはいえ、この音楽祭の期間中ほど国際的に活躍する専門家が一堂に会する機会はそうそうありません。専門的な内容のディスカッションやシンポジウムなどの学術的な催しも一般公開され、安くて5ユーロからの廉価なチケットを購入すれば誰でも参加できる点が魅力的です。

 

写真:野外でのオペラ・ブッファ公演では、イタリア特有の3輪スクーター「アーペ」によって移動式シアターが登場

ナポリの音楽的価値を再認識

同音楽祭は毎年異なるテーマを掲げ、世界のあちこちから招聘された古楽アンサンブルや音楽家、研究者がテーマに沿ったイベントを繰り広げます。今年のテーマはイタリアの『ナポリ』。古代ギリシャやローマなど様々な文明の影響下にさらされ、15世紀から18世紀にかけてヨーロッパの音楽界において重要な役割を果たし、イタリア統一以前には文化の一大拠点として栄えた大都市として、カンツォーネだけではなく、オペラ・ブッファの誕生の地となり、数々の作曲家が活躍した場所です。現在では犯罪などの混沌とした様相が目立ってしまいがちですが、今回は歌や踊りが日常生活の中に息づく町としての伝統と活気をフェスティバルで再現し、文化的な価値を見直したいという工夫が随所にちりばめられていました。
一年を通して冷涼な気候で知られるオランダですが、今年の開催期間中は夏日も相まって、野外でのコミック・オペラの上演なども成功し、どこかユーモラスな響きを持つナポリ語や歌曲が南欧の空気を運んできてくれました。

 

レジデンス・アーティストとして招かれたジュリオ・プランディはイタリアの18世紀の宗教音楽を専門とするギスリエーリ合唱団・合奏団を指揮し、17世紀ナポリの作曲家フランチェスコ・デュランテの「Magnificat a 4 voci, 2 violini e basso continuo」とエマヌエーレ・ダストルガの「Stabat mater per soli, coro a 4 voci, archi e basso continuo」などを躍動感をもって披露し喝采を浴びました。

レジデンス・キュレーターとして招かれた作家・ディレクターのトーマス・ホフトは、同音楽祭のマニフェストの第一項目にこう記しました。
『音楽は決して古くならない。音楽は現在にあり、音楽が空気を震わせる瞬間に存在する。』
豊かな文化的価値を持つ音楽として古楽を捉えるという姿勢が強く打ち出されており、そのメッセージはフェスティバルの随所に溢れる活気にあらわれていました。

 

 他では聴けない特色あるプログラムが目白押し

 

アメリカの若手奏者を中心とする古楽アンサンブル「アクロニム」(Anconym)は、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの他にヴィオラ・ダ・ガンバ、テオルボ、チェンバロ、オルガンなどの米国を拠点に活躍中の自称『バロック・バンド』で、生き生きと自然に流れるような演奏は新鮮な響きを持ち、聖ピーター教会に集った満席の聴衆を熱狂させました。

アンサンブル・アウローラ」は、ヴァイオリン3本、チェロ、チェンバロで構成される小規模な合奏団。器楽合奏のレパートリーが充実していた18世紀初頭ナポリのピエトロ・マルキテッリによる3本のヴァイオリンと低音楽器という当時流行した構成の作品などをを紹介しました。緻密でしなやかな演奏を聴かせ、聴く人を驚かせました。

オランダの室内合奏団「ホーランド・バロック」は、アレッサンドロ・スカルラッティらに師事し国際的な名声を得た作曲家であるデュランテの作品のみ5曲を続けて演奏。音色のバリエーションが豊かで、曲ごとに鮮やかに色彩を変えて曲ごとの魅力を活かし、全く飽きさせない1時間のプログラムを披露しました。「バロックは現在だ!」というキャッチコピーを掲げて活動する同アンサンブルは、バロック音楽をベースにクロスオーバーや新作の演奏などにも積極的で人気を誇っています。

■展示会やシンポジウムなども充実

写真:古楽器や楽譜、アクセサリーなどが豊富に揃う古楽マーケットには普段は目にすることのない珍しいアイテムが並んだ

珍しい楽器やアクセサリーが並ぶ展示即売会

 

期間中の週末3日間には、同音楽祭メイン会場のロビーや会議室、廊下やカフェスペースなどの敷地をフル活用して、楽器や楽譜、アクセサリーなどを扱う古楽マーケットも開かれました。近代的なホールの建築とは対照的な、美しく装飾を施されたチェンバロやリュート、ヴィオラ・ダ・ガンバなどを始めとして、普段目にする機会がない珍しい古楽器が並ぶようすは、楽器好きならたまらない光景です。出展者もフレンドリーな人が多く、質問にもしっかりと答えてくれるので、曲が書かれた時代のオリジナル楽器について理解を深めるチャンスがあちこちに転がっています。

幅広い層が集うサマースクール

バロックヴァイオリンの演奏者であり、研究者であるミミ・ミッチェル博士は、ちょうど30年前に始まったバロック楽器の研究のための「STIMUシンポジウム」の一環として「歴史的ヴァイオリン(Historical Violin)」についてのレクチャーを行いました。朝9時半からの講演にも多数の参加者が集まりました。

「ユトレヒト古楽祭は素晴らしいイベントで、国際的な古楽のサクセス・ストーリーになっています。STIMUシンポジウムはそのごく一部ですが、今年は老いも若きも音楽家や研究者、製作者、愛好家が集うミーティング・ポイントにしたいと私は考えました。これらの人たちがシンポジウムに参加してくれて嬉しく思います。最年長93歳、最年少8歳のヴァイオリニストがいたのですよ!」

アメリカ人でオランダ・アムステルダムでも学んだミッチェル博士は、2か国のバロック音楽の研究の差異については、こう語ってくれました。
「1980年代のアメリカでは少数の場所でしかバロックヴァイオリンを学べませんでしたが、現在では多くの大学や音楽院がバロックヴァイオリンのディプロマを与えています。私がアムステルダムに来た頃、とても国際的な場であることに驚きました。アメリカや欧州、オーストラリアや日本から来た学生もいました。ヨーロッパでは古楽の演奏だけで自活できたため、私たちのうちの多くは欧州に留まりました。現在ではもちろん、これらの全ての国々で素晴らしい古楽のシーンが繰り広げられています」

バロックヴァイオリンについて、今一番魅力を感じている点について尋ねると、こう答えてくれました。
「『バロック』ヴァイオリンの最も興味深いところは、今や『歴史的』ヴァイオリンと呼ぶべきだということです! 人々は16世紀から20世紀の音楽を歴史的な手法で演奏したり、新しく発見された音楽(そして即興作品)を研究することに多忙ですが、新たな演奏者たちが私たちの耳に「歴史的なヴァイオリン演奏はどのようなものか」と問いつづけています。私たちがもう『知っている』と思っていたことすら変化しつつあります。例を挙げれば、クリーブ・ブラウン(Clive Brown)はハイドン作品でのポルタメントの使用を発見しました。それはほんの数年前には考えることすら『禁止されていた』ことなのです」

 

写真:ヴィオラ・ダ・ガンバを演奏する古楽の大家ジョルディ・サヴァールも登場


専門的でも足を運びやすいコンサート

期間中には主に旧市街のエリアを中心に、メイン会場の近代的な音楽ホールTivoliVredenburg以外にも歴史ある教会や以前は教会として使われていた建物など計32か所もの会場をフル活用して、大小規模が異なるコンサートが開催されました。以前は風車小屋でのミニコンサートもありました。オランダならではのロケーションです。
中世の時代に繁栄し、宗教上で重要な位置を占めてきた都市ユトレヒトには、美しい状態のまま維持されている教会がいくつも存在します。それらの教会を演奏会場として使い、教会所有のオルガンが活用された点も特徴的です。曲が書かれたときと重なる時代の建築様式に囲まれて聴く演奏には特別な趣きがあります。教会の独特の音響も素晴らしく、まるでタイムスリップをするような体験ができることは同音楽祭の醍醐味の一つでしょう。

コンサートの長さにも工夫が施されていました。通常のコンサートホールで行われるような2時間以上の演奏会の他にも60分程度と短く休憩のないコンサートが多く開かれたので、あまり耳馴染のない曲目であってもあまり気構えず気軽に聴きに行けるのです。
何より、国際的な本格的な古楽演奏に触れるチャンスはオランダといえども多くはないので、平日の午後であっても400人程度の公演はほぼ満席という状態も珍しくありませんでした。
また、多国籍の学生による無料コンサートも連日開かれ、有料公演に劣らず聴きごたえがあったことも嬉しい驚きです。

 

ユトレヒトの町の中央には、オランダ一の高さと音程の良さを誇る鐘塔「ドム塔」が聳え立っています。このドム塔は高さ112メートルもあり、ユトレヒト市民が誇る町の象徴です。音楽祭期間中は、オランダ中の鐘塔で一番音程が良いと言われているドム塔の鐘が、音楽祭の一環として特別なメロディを奏でました。誇らしげに街中に響き渡るその音を聴いていると、地元に根付いた音楽祭の存在感の大きさが感じられました。

 

取材・文/安田真子

プロフィール:オランダ在住。音楽ライター、チェロ弾き