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特別展示 I:モダン・イタリアン《Modern Italian Violin》の響宴

VILON FORUM Vol.2
2021年7月22日 火曜日 - 8月31日 火曜日
@ 文京楽器 店舗 & WEBサイト
モダン・イタリアン・ヴァイオリン《Modern Italian Violin》と言えば、現代の演奏家や愛好家が一度は手にしてみたいと憧れる楽器ではないでしょうか。モダン・イタリアン・ヴァイオリンは、同時期にフランスやドイツで製作されたものと比べ、製作スタイルが地方色に豊み、作家の個性が際立っていること等が、特徴に挙げられます。現在、文京楽器のショールームでは、20世紀前半に製作された作品を中心に、モダン・イタリアン・ヴァイオリン約20挺を一堂に会して展示しており、展示された全ての楽器を実際に試奏することができます。リアル展示に連動した、このWEB特設ページでは、それぞれの作品を製作スクール(派)に分類して紹介します。

スクールへの見識を深め、ヴァイオリンの審美眼を磨く

皆さんのなかにも、トリノ派のファニョーラやボローニャ派のポッジといった名前を耳にしたことがあるかも知れません。彼らの作品は、モダン・イタリアンの最高峰として有名で、世界的にも人気で近年とみに高価になりました。しかし、彼らも他から切り離された存在として、突然彗星のごとく現れた訳ではありません。当然のことながら、彼らも製作スクールの一員であり、師匠や同業者の作風、当時の流行、地域の環境等に影響されることで、そのスタイルが完成していきました。

つまり、ファニョーラやポッジのようなレジェンドを生んだ背景には、それぞれの地域でヴァイオリン製作が産業として花開き、歴史と伝統が息づいていたのです。このことは、彼ら以外にも実力のある作家や秀逸な作品が数多く存在していることを意味しており、この層の厚さと多様性がモダン・イタリアン・ヴァイオリンの特徴でもあります。

モダン・イタリアン一級の作品が大変高価となり、一般のプレイヤーに手が届かなくなりつつある現代だからこそ、多様性のある作品群の中から、好みに叶う優れた楽器を見つけ出す能力が求められているのではないでしょうか。一過性の音の良し悪しや、単に聞いたことがある名前だからといった理由だけで判断するのはあまり賢明とは言えません。長期的な視野に立って、作品の実力と価値を見極めることが理想的であり、専門家に限らず奏者や愛好家自身が審美眼を磨くことが必要な時代なのです。

審美眼を養う近道となるのが、製作スクールへの理解を深めることです。ヴァイオリンを区別して認識できるようになるためには、ひとつの作品を何らかの文脈で捉えなければなりません。言い換えると、ヴァイオリンが製作された年代を「縦軸」に、製作された場所を「横軸」として捉え、他の作品と比較することです。人間の五感は、比較なしでは微細な変化に気づきにくいものですが、領域を絞って複数を比較した場合には、かなり細かいところまで、その差を感じとることができます。その差を感じとる力を高めていくことが、感性=審美眼を磨くことに繋がるのです。

ところが、何の脈絡のないヴァイオリン同士(全く異なる時代・地域で製作されてもの)を比べるのでは、その差が大き過ぎます。審美眼を磨くには、同じ作家の年代違い、同スクールの別の作家の作品、同じ国の同時代の別スクールの作品と比較するなど、少し共通性を持った作品群で評価するのが大変有効です。例えば、同じトリノ派のファニョーラとオッドーネとグエラを比べ、「スクロールの黒い縁取りはこの時代のトリノ派に共通しているな。一方でf字孔の下の目玉がやや楕円形になるのは、ファニョーラに特有なもので、彼の作品に共通している!」というように観察していくのです。こうした手法は、まさに鑑定のエキスパートが行なっている勉強法そのものです。

このようにして作品同士の詳細な違いを明らかにしながら、同じスクールの作品の特徴を括って整理していくと、各スクール毎の特徴があきらかになってきます。ひとつのスクールの理解がある程度進めば、自ずと他のスクールへの理解は深まります。ここまでくると、ある楽器に出会った時、製作家まで特定できなくても、この楽器がどのスクールに属するのか類推ができるようになるでしょう。モダン・イタリアンの製作スクールは比較的わかりやすいので、最初に取り組むには最適です。

それでは、製作スクールの背景を知り、展示作品をグループ化して比べることで、モダン・イタリアンへの造詣を一緒に深めてまいりましょう。

モダン・イタリアン・ヴァイオリンとは?

次に、イタリアのヴァイオリン製作史を簡単に振り返りながら、モダン・イタリアン・ヴァイオリン(ここでは1800年以降に現在のイタリアで製作されたヴァイオリンと定義します。)の位置付けを確認していきましょう。
オールド・イタリアンの時代と衰退

16世紀中頃にクレモナでヴァイオリンが誕生すると、イタリアのヴァイオリン製作は17世紀後半から18世紀の前半まで隆盛を極め、各地に広がって行きました。クレモナでは、18世紀前半にアントニオ・ストラディヴァリ(1644-1737)とグァルネリ・デルジェス(1698-1744)が、現代になっても凌駕できない二大名器を完成させます。ミラノ、ブレシア、ボローニャ、ヴェニス、トリノ、ナポリ、ローマ、フィレンツェといった都市でも、個性あふれる製作家が活躍し、まさに百花繚乱の時代でした。

しかし、1701年にスペイン継承戦争が勃発します。1713年にはユトレヒト条約が締結され終戦しますが、イタリアは参加国の戦利品として分割されることとなり、国力は徐々に衰えていきました。18世紀後半になると、ヴァイオリン製作にも影響が及び、イタリア各地でもかつてのような勢いはなくなってしまいます。クレモナも例外ではなく、ストラディヴァリ工房を引き継いだカルロ・ベルゴンツィが1747年に亡くなると、ヴァイオリン製作は産業として衰退してしまいました。
リソルジメント(イタリア統一運動)とイタリアン・ヴァイオリンの復興

ナポレオンによるイタリア遠征(1796-97)と分割統治(停戦条約のカンポフォルミオ条約により、ヴェネツィア共和国、ジェノヴァ共和国は消滅)を契機として、リソルジメント(イタリア統一運動)が始まります。ナポレオンは封建制度を廃すことで、それまで脈々と受け継がれてきた地域の伝統を破壊したり、フランス語の公用語化を推し進めたりしたため、イタリア人のナショナリズムを刺激したのです。こうして高まった気運は、様々な段階を経て、1861年イタリア王国を成立させました。ちなみに、イタリア王国はトリノが首都であったサルディーニャ王国を基盤としていました。

こうした政治的な動きに合わせて、イタリア国民のアイデンティティへの希求は高まりを見せ、自国の伝統文化の見直しに繋がっていきました。ヴァイオリン製作においてもその影響を色濃く受けており、いち早く工業化と遂げたトリノ、経済の中心都市ミラノ、学術都市ボローニャ、芸術都市フィレンツェ、ヴァチカンを擁する首都ローマなどを中心に、再び活性化していきます。このように製作スクールは、豊かな都市文化を背景に発達し、その存在がエネルギーとなって、モダン・イタリアン・ヴァイオリンの品質を向上させたと言えるでしょう。

モダン・イタリアン・ヴァイオリンから現代のクレモナ・ヴァイオリン製作へ

クレモナ・ヴァイオリン製作学校の設立秘話

モダン・ボローニャ派の祖のラファエーレ・フィオリー二(1828 – 1898)(写真)の息子、ジュゼッペ・フィオリーニ(1861 – 1934)は、出身のボローニャで修行を積んだ後、新天地を求めドイツやスイスで仕事をしました。フィオリー二は、ボローニャ時代の1881年に開催されたミラノ万博で、ストラディヴァリの遺品が出展されているのを発見します。遺品はストラディヴァリ工房に残されていた道具や型で、アントニオ・ストラディヴァリの末息子のパオロが、世界初のヴァイオリン・コレクターとして知られるピエモンテの貴族のサラブーエ伯爵イニャツィオ・アレッサンドロ・コツィオ (1755–1840) に売却したものでした。これを見たフィオリーニは、ストラディヴァリの遺品を再びクレモナに戻し、オールド時代にイタリアで花開いた、至高のヴァイオリン芸術を再興する構想を持つようになります。

しかし、最終的にフィオリーニが、サラブーエ伯爵の相続人から、ストラディヴァリの遺品を手に入れたのは、1920年のことで、およそ40年の月日が流れていました。自らの資金を投げ打っての購入だったようです。ようやく手に入れたストラディヴァリの遺品をもとに、聖地クレモナでのヴァイオリン製作学校の創立を目指して働きかけますが、地域間の軋轢に翻弄されてしまいます。(クレモナはロンバルディア州の都市で、フィオリーニはエミリア・ロマーニャ州のボローニャ出身であった。)失意の中、フィオリーニは視力を失っていまいました。この時期にストラディヴァリの型や道具の研究を手伝ったのが、後にアメリカのニューヨークへ渡って、製作・修復・鑑定のエキスパートとして活躍し、不朽の名著「ストラディヴァリの秘密」を執筆した、シモーネ・フェルディナンド・サッコーニ(1895 – 1974)でした。

フィオリーニは最後の望みを託して、1930年に生涯をかけて入手したストラディヴァリの遺品をクレモナ市に寄贈します。1937年クレモナ弦楽器製作学校は、ストラディヴァリの没後200年祭を契機に、ついに設立されます。しかし、フィオリーニは1934年に既に亡くなっていて、クレモナ製作学校の設立を目にすることはできませんでした。
再びヴァイオリンの聖地クレモナへ

こうして設立されたクレモナ弦楽器製作学校が成果をあげるのは、第二次世界大戦後です。
最近になって相次いで亡くなった、現代を代表するクレモナの巨匠、ジオ・バッタ・モラッシー(1934-2018)とフランチェスコ・ビソロッティ(1929-2019)は、この製作学校の初期の生徒でした。当初ハンガリー出身のピーター・タター(1909 – 1973)が教授を勤めていましたが、その水準は高くありませんでした。1958年にミラノ派の伝統を受け継ぐパルマの製作家、ピエトロ・ズガラボット(1903 – 1990)が教授につき、その後ミラノ派のジュゼッペ・オルナーティ(1887 – 1965)やフェルディナンド・ガリンベルティ(1894 – 1982)が、ニューヨークからはフィオリーニのストラディヴァリウス研究を引き継いだサッコーニにが指導に訪れるようになり、水準は著しく上がります。モラッシーは、オルナーティやガリンベルティの影響を受け、製作手法は外型を好み、丸みを帯びた優雅なスタイルが特徴となりました。

ビソロッティは、サッコーニの影響を大きく受け、製作手法は内型を好み、精度が良く重厚な製作スタイルを確立しました。ちなみに、サッコーニは1962年から1972年にかけて、夏のヴァケーションをクレモナで過ごし、ビソロッティの工房でストラディヴァリの遺品コレクションを研究し再整理しました。その成果が前述した不朽の名著「ストラディヴァリの秘密」です。モラッシーとビソロッティは、現代クレモナ・ヴァイオリンの二大巨匠として長年に渡って君臨しました。多くの優秀な弟子や生徒を育て、クレモナのヴァイオリン製作を再び世界的にするのに多大なる貢献を果たしました。

一方クレモナ市は、サッコーニの薦めもあり、ストラディヴァリウスをはじめとするオールド・クレモネーズの名器入手に着手します。1961年には、現在クレモネーゼ《Cremonese》の号名で有名な1715年製のストラディヴァリウス《Ex Joachim》を手に入れます。ストラディヴァリの黄金期の最盛期(1714-1716)に製作されたこのヴァイオリンは、まさしく街のシンボルとなりました。

1999年に統一ユーロ通貨が採用されると、ユーロ圏の経済が活発化します。この流れを巧みに取り込み、2002年から弦楽器の国際見本市かモンド・ムジカ《Mondo Musica》が始まります。クレモナはヴァイオリン産業とヴァイオリン文化の発信地として、世界から認知されるようになります。また2012年には、クレモナの伝統的ヴァイオリン製作が、ユネスコ無形文化遺産の認定を受けます。続けて2013年には、新しくヴァイオリン博物館《Museo del Violino》が竣工しました。こうしてクレモナは、再びヴァイオリンの聖地に返り咲いたのです。

フィオリーニがミラノ万博でストラディヴァリの遺品と運命的な遭遇をしてから、クレモナの伝統的ヴァイオリン製作がユネスコ無形文化遺産の認定を受けるまで、実に約130年の時を必要としました。

製作スクールの解説と展示作品

それでは具体的に、製作スクールの概要を解説していきます。そのスクールで活躍した主なメーカーもリストに挙げておきました。展示楽器は写真点数を増やしてWEBに掲載していますので、写真から読み取れる違いを、是非ご鑑賞下さい。(スクールの解説はSNSへの投稿とともに順次公開予定です。)
期間内、展示作品の中から、お好きな作品を自由にご試奏頂けます。(お一人様最大1時間・1回3挺まで)
コロナ対策のため、完全予約制といたします。
営業時間
火〜土 10:30~18:30
定休日:日・月
※8月13日(金)〜16日(月)は夏季休業とさせていただきます。