第5回は トリノ派のモダン製作者、リッカルド・ジェノヴェーゼ(Riccardo Genovese, 1883‐1935)をご紹介いたします。
生い立ち
リッカルド・ジェノヴェーゼはピエモンテ州アスティ県にある都市
モンティリオ・モンフェラートに生まれた。青年期はオルガニスト、ピアニスト、ヴァイオリニストとして教会や舞踏会などで演奏活動を行っていました。
1919年頃、奇しくもトリノ派の名人
アンニバル・ファニョラ(Annibale Fagnola, 1865-1939)が故郷のモンティリオに戻ってきたのをきっかけに、ジェノヴェーゼは彼のもとでヴァイオリン製作を習い始めることになったのです。ジェノヴェーゼとファニョラの信頼関係はとても深く、ビジネスパートナーとしてだけでなくプライベートでも非常に親密でした。(ファニョラが再婚した際にジェノヴェーゼは花婿の付き人として結婚式に立ち会っている。)
1922年、すでに39歳を迎えたジェノヴェーゼは、この頃からようやく一人のプロ製作者として独立を果たします。師匠と同じモデルで楽器を製作していたが、この頃はまだ技術的な部分で向上の最中にありました。1925年を過ぎた辺りから、ニスの質感には依然として改良の余地があるものの、作品の出来映えが劇的に良くなっていきます。
1926年以降は、もはや徒弟ではなく、ファニョラから正式な共同製作者として仕事を請け負うようになった為、この時期のファニョラ作品群には、実際はジェノヴェーゼが製作したものも含まれています。
楽器のモデル
1927年製の本作品は、ジェノヴェーゼの最盛期にふさわしい作品である。この年に彼は
レッコに工房を移したため、ラベルは
fecit LECCO と記載されている。
スクロールやエフ字孔の形状からは彼自身の個性を感じることが出来るが、基本的には
ファニョラの正統な流れを受け継いだスタイルで製作されている。
アーチはややフラットで、裏板は厚く、パワフルで遠鳴りする音色を備えている。多くは燃えるようなディープレッドのニスで塗られており、ファニョラのニスよりやや硬質な質感を持っている。
製作上の功績
ジェノヴェーゼは短い活動期間の中で、比較的成功した製作者であったといえる。彼の受注先は主に海外からであり、現代に至るまで製作者ジェノヴェーゼの名は、イタリア以外の国で有名であったほどである。
遅咲きの製作者だったジェノヴェーゼが成功した背景には、ファニョラという商才にも優れたパートナーの力添えがあったことは言うまでもない。ファニョラはヴァイオリンディーラーとしてロンドンを度々訪れており、数多くの楽器を売って相当な資産を築いた。ジェノヴェーゼの楽器もこうしたルートを通じて、広く海外に販売されていった。
第6回はモダン・トリノ派の製作者、プリニオ・ミケッティ(Plinio Michetti)について紹介いたします。
文:窪田陽平