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写真:19世紀のロシア、サンクトペテルブルグの風景,"Historic B&W photos of St. Petersburg, Russia in the 19th Century"by monovisions.historicより一部引用

バイオリン商 デビッド・ローリーの回想録
サンクトペテルブルクにて


■ ピリーとの帰途

私とピリーは税関から戻ってから、夜更けまでこの問題について討議しあった。 その結果、彼のロシア官吏についての知識を活用しようということに落ち着いた。

彼の意見では、ロシア政府の民間部門の活動は不確定で、政府の出す指図は、取りようによってはどの様にでも解釈出来るということだった。
だから今回の問題に関しては、あまり考えずに図々しく行動をしてしまおうという提案だったのである。彼の計画は次の様なものであった。

私が翌日のタ方、ケースを持って午後10時発の郵便列車に直接乗り込んでしまう。というのは、この列車は乗客も荷物も少ないという情報を彼が持っていたので、余分なリベートを支払えば多目の手荷物でも持ち込むことが出来るかもしれないと言うのであった。

ピリーは私に英国紙幣の持ち合わせがあるかと問い、もし持っていたら、あらかじめ必要な時に使用出来るように持っていたいと言ったので、手持ちの紙幣を彼に渡した。

写真:19世紀のサンクトペテルブルクにあるニコライ1世の記念碑"The monument to Nicholas I in St. Petersburg in the 19th century."by Wikimedia Commons

翌晩、9時半に向けて我々はホテルを出発した。ケースはあらかじめ、荷車で駅に送ってあるのだが、赤帽にはおろさないで荷車の上に置いておくように言っておいた。
私は、帰りのキップを持っていたので、駅に着くとすぐにケースの運搬手続きをして、料金を支払うためにキップを見せた。しかし予想通り、にべもなく拒絶されてしまった。

これを見て、ピリーはすぐに荷物台を飛び越えて、事務室の中へ姿を消した。間もなく、別の人を探さないといけないと言いながら出てきた。そして、彼はその場に私一人を待たせて、またどこかへ行ってしまった。

しかし時はすぐに経ち、目の前の荷物がすっかり運び込まれる頃には、10時まであと5分しかなかった。やがて3分になり、私の大切な荷物を計量して、小荷物手続きをする時間はもう無くなってきて、私はその晩の出発はあきらめ始めていた。

と、ちょうどその時、ピリーがかけ込んで来た。

彼は室内の事務員に何か話しかけていたが、直ちに近くに立っていた赤帽へ叫ぶように命令を下した。彼らはすぐケースを荷車からおろし、貨車へまっすぐに運び込んだ。
運搬費は、最終の国境駅で私が支払うことをピリーが彼らに告げていた。私は列車がちょうど動き出すのと同時に、客室に入ることが出来た。どうやら、帰途の旅につけた実感を味わいながら...。

ところが私の乗った車両の客室は、ある紳士が夫人とその下僕のために予約していた室で、私は当然最初の停車駅で乗り換えねばならないはめになった。ところが乗り違いを詫びているうちに話がはずんで、次から次へと話が移り、いつの間にか我々は楽しく語り合っていた。

そして、最初の停車駅に到着した頃には、私が乗り換えると言っても耳を貸さない程に親しみが増していた。

 そこへ私が乗車するのを見ていた車掌が私のところへやって来て、乗り換えるように言った。しかし、この紳士が私と一緒に旅行したいと進言してくれたので、車掌は了承した。

話が進むにつれ、いよいよ私の同乗者たちは、とても親しく親切な人たちとなった。


■ ロシア紳士

写真:"シベリアの駅"At Siberian railway station by OMSK the Official Site of the City of OMSK 

彼らはいつも冬季は首都で過ごし、夏季になると田舎の所有地へ避暑に出かけるその途上とのことだった。我々は、お互いの国柄や国民の話を交互にしながら、多くのことについて語り合った。彼はスコットランド人とその風習を聞いて大変興味を持ったが、私もロシア人の話を聞いて同様に感じた。

折を見て私は“ロシア紳士というのは、馬車に乗れる階級の人々は歩ける距離でも決して歩かない”という話は本当かどうか尋ねてみた。

彼は、一時的にはそういう時代があったかもしれないけれども今ではまったくないと言い、「その様なことを言うのはホテルのポーターたちだけでしょう。また、ホテルの経営者たちにしても客が馬車に乗って来たり、出かけて行ったりする様子が営業的な名声につながると考えているので、この話が間違っているとはわざわざ言ってくれないでしょうね。」と言った。

私がかつて接してきた教養のあるロシア人と同様に、彼らは大変愛想が良く、これまでの旅行中に出会った人々の中でも最も親切な人の一人だった。

そして彼らは、私に時間があれば自分たちの田舎の家に来て、一週間でも十日でも一緒に過ごしましょう、としきりに誘ってくれた。
しかし、私には残念なことにそれが出来なかった。身の回り品だけでなく、特別に気を回さなくてはならない貴重なケースを抱えていたので決心がつきかねていたからである。国境駅に着いた時、彼らは再び親切な招待を繰り返し、この夏、後から来てくれても良いし、それが無理ならサンクトペテルブルクへ是非訪ねてくれるように言った。

第32話 ~帰途の旅・その1~へ続く