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連載『心に響く、レジェンドからのメッセージ』

1984年から1993年まで、文京楽器が発行していた季刊誌Pygmalius(ピグマリウス)より、インタヴュー記事を復刻掲載します。当時、Pygmalius誌では古今東西のクラシック界の名演奏家に独占インタヴューを行っておりました。
レジェンドたちの時代を超えた普遍的な理念や音楽に対する思いなど、心に響くメッセージをどうぞお楽しみください。

第21回 ロラン・ドガレイユ / Roland DaugareiI

引用元:季刊誌『Pygmalius』第16号 1987年1月1日発行
■ロラン・ドガレイユ プロフィール

1957年フランス、ピアリッツに生まれる。ジャック・ティボーの妻でヴァイオリニストのノエラ・クザンに見出され、9歳の時ボルドー・アキテーヌ国立管弦楽団との共演でデビュー。天才として各地新聞に取り上げられ、また多くのテレビ出演を果たす。12歳でバイヨンのコンセルヴァトワール卒業。ヨーロッパ青少年コンクール第一位。 15歳でパリ、コンセルヴァトワールに入学。プルミエ・プリ(Premier Prix , 最優秀賞)を獲得、同時に室内楽においてもプルミエ・プリを得る。 ストレーザ、ナポリ、ロンドン、ベルグラッド、シオン他数々の国際コンクールで優勝。 若干22歳にしてパリ国立歌劇場管弦楽団のコンサートマスターに就任。パリ、コンセルヴァトワールのピエール・ドゥーカン(Pierre Doukan) 教授のアシスタント・プロフェッサーになる。 1984年、フランス放送管弦楽団のコンサートマスターに就任。同時にソリストとして活動を始める一方、トリオ、カルテットでも精力的に活動する。使用楽器は1708年製ストラディヴァリウス“Txinka”。

1.  日本の印象について

ー今回は何度目の来日ですか。

 三回目です。


ー日本の印象はいかがですか。

 本当に日本という国を好きになりました。食べ物がすごくおいしい。だから三回も来てしまいました。


ーどんな物がお好きですか。

 ほとんど全部好きで、納豆まで食べます。お寿司が一番好きだけれど、焼鳥なら毎日でもいいですね。チューハイと焼鳥…!



ー外国のかたの中には、なま物がだめとおっしゃる方もあるようですが…。

 とにかく最初から全部好きでした。口に合ったと思います。フランス判理を忘れてしまったみたい。(笑)だから日本の普通の料理を見ると、フランスの普通の料理と比べて日本の方がすごく好きです。ただしフランスでも一流の高級料理は好きですが…。


ー同じように演奏会の観客の反応も向こうとだいぶ違うでしょうね。

 ものすごく違います。お客様の反響がすごく違うようです。


ーよく日本人のお客様はおとなしすぎると言われますが。

 ヨーロッパの観衆はものすごく拍手はします。けれども、よく見ていると日本の観衆はじっと見ていて、拍手はそんなにないけれど、考えながら聴いているような気がします。むしろ集中して聴いていることによって拍手が少ないのではないかと思います。

音楽をよく知っているから、どのようにしてここで感じようかと思って聴いている。だからうわっ面なものではないと感じます。


 コンサートの後がすごく違ってて、そこでわかるんです。皆会いに来てくれます。会いに来ていろいろな言葉を交わしてくれるし、二回目になるとちょっとしたプレゼントをしてくれるし、そこで本当に感激していることがわかります。


 自分は間違っているかもしれないけど、例えばお客様の中ですごく意見が違う。日本人の音楽感は、やはりアメリカに影響されている面が多いのではないかと思います。日本人がアメリカ的な演奏に感動するのに慣れているのか、自分がヨーロッパ的すぎるのかはよくわからないのですが、そのへんで観客の意見が違っているような感じがしました。

 でも、アメリカ的じゃないから良いという人もいました。アメリカには慣れているから、今度はフランス人みたいなのを呼びたがるような…。今まですごくテクニックの強い音楽が望まれてきましたが、少しずつまた情勢が変わってきて、少し渋みがある音楽が望まれてくる時代になってきたという気がします。きれいで、なおかつ渋い音で、弾くのはウィーン風とか。私自身はラテン系だけれども、ドイツ風の民族から見て自分はものすごく違うでしょう。いろいろな面で、お客様の聴き方が少しずつ変わりつつあるような気がします。例えばシューベルトだったらドイツ音楽じゃないかというように…。シューベルトはあくまでもウィーン風なのですが…日本ではまだドイツ風のシューベルトがはやっているようですね。


ーええ、勘違いしている人もいますからね。シューベルトというのはドイツ人というふうに。

 ええ、そういう意味での意見の中ですごく自分と違う面が多かったんです。…今までコーガンだとか素晴らしい人がロシアから出ましたが、まったく違うクレーメルみたいなのが出てくる。変わってきたのではないでしょうか。世の中で革命が起こっているような気がします。

 だから自分は日本人のヴァイオリニストと話し合うのが、いろいろな意見が交せて非常に楽しいのです。

 

 

2.テクニックだけを見せるのは、お客様に失礼です。

ーもともとクラシック音楽はヨーロッパの文化を日本が後で取り入れたものだけに、それに追いつくために、まずテクニックを追いかける傾向があったのが、実際にハートで感じるという風に変わりつつあるのかもしれません。
 テクニックに追われるだけになってしまうと「音色と間」というものを忘れてしまうのではないかと思います。音楽で一番難しいのはテクニックと間が音色感をどのようにバランスをとって充当するかなんです。ある程度までテクニックがついてきたら、そのテクニックを忘れてそれを上げることに集中しなければならないでしょう。心に感じるというのはテクニックの事ではないんです。テクニックだけ見せるのは、お客様にとって、とても失礼な事だと思いますね。


ーそのためにも楽器というのは、大変重要な位置を占めますね。確か楽器はストラディヴァリウスですね。
 ええ、使い始めてからまだ一か月です。今まではグァダニーニを使っていました。1704年のジャン・バッティスタです。四月でしたが、たまたま文京楽器さんにお邪魔した時に、ある楽器をみせてくれたんです。けれど弾いてみたら、自分のグァダニーニの方がずっと音色が良かったんです。もの凄くうれしかったですよ。すこし自信がつきました。そうしたら「これはどうです」ともってきたのが、ストラディヴァリウスだったんです。自分のグァダニーニとは比べものにならないほどいい音色でした。それでものすごくショックを受けて帰ったんです。帰ってから早速、自宅を売ってストラディヴァリウスを買いました。いずれにしても、ソリストになるには良い楽器を持たなければなりません。いいきっかけとなって、早い時期に持てましたよ。


ー今度は弓を選ぶのが大変なのではないですか。
 ええ、そうです。今、一生懸命探しています。現在、素晴らしいドミニク・ペカットで弾いているのですが、自分に合っていないと思うんです。もっと自分に合うものがあると思うんです。弓は個人差がありますから。ヴァイオリンよりも個人差があると思いますね。腕の重さとか腕の早さだとか、スピードを要求される弓さばきとかで個人差は出てきます。ドミニク・ペカットは見た目にも良い弓なんですが、自分には合っていないと思うので探しているところです。


ー初心者が楽器をランクアップする時のアドバイスはありますか。
 自分の経験からしか言えませんが、下の方から弾き始めて、この楽器でこれ以上出せないという限界までその楽器を弾ききって、次のランクの楽器を買って…というようにして勉強してきました。


―自然に自分の能力が楽器の限界を越えてしまうのですね。
 それが結果的に自分を助けたと思います。限界までやって次の楽器に移りてまた階段を上るというふうに。突然良いものにいくというのではなく少しずつ上っていくということによって、そこにまたすごく喜びがあるのです。あまり良いものを最初から持っていたら、途中がありませんから。やっとここまできました。

ーヴァイオリンはいくつの時から始められましたか。
 七歳です。

 

ーヴァイオリンを始めたきっかけは。
 私の父は大きな建築会社の社長だったのですが、アマチュアのヴァイオリニストであり、ジャズ・トランペッターでもありました。私が四歳のある日、父はラジオの音楽に合わせて歌を歌っていたそうです。そうしたら四歳の私が飛んで来て、「お父さん、そこは違うよ。こういうリズムだったよ。」と父の間違いを訂正したそうなんですよ。父は驚いてこの子は耳が良いのではないかと思ったそうなんです。それでフランス式に七歳まで待って、それからヴァイオリンを始めたんです。

 

―今では三歳位で始める人もいますね。
 五~六歳というところでしょうか。 早くなっていますね。フランスではまだ三歳というのはないです。日本より遅いんじゃないですか。

 

 

3.音楽は、カーブ

ー音楽をやっていく上で音楽感、リズム感等はどんな風に身につけていくものだと思いますか。

 それを話し出したら、何週問もかかるのではないかと思いますね。とても一言では…いっぱい例題も出さなければならないし…。リズム感というものは、もって生まれた才能みたいなものもあります。最初からリズム感のない子というのは、どうしようもないのです。リズム感のある子は、その感覚を深くしていくという方法しかありません。とにかく音楽を聴いてあらゆるリズムの違いがわかるようになるには、ダンスをするのが一番いいようです。踊ってみてリズムの違いがわかってくると思います。


ー頭の中の問題ではなく、身体でやっていくことですね。

 それをやっていない場合が多いようですね。それだと頭では感じていても身体がついてこない。


ーそれは意外と日本の歌舞伎や、能の「静と間」のとり方とも深い関係がありそうですね。

 静というのは音楽の一部ですよ。音楽の中でどれだけ上で待って次に移るのかまた落ちるのか、これを問と言ったり、静と言ったりするんですが、これもリズムなんです。音楽では縦線はほとんどない。いつもカーブを描いているはずです。カーブはフレーズであったり、端であったり、つなぎ目であったりします。


4. どん欲な体験をあらゆるジャンルに

ーオーケストラ、力ルテット、ソロの場合、異った解釈をしますか。

 音楽というのはオーケストラとかソロとかで分けるものではなく、音楽は皆、音楽です。ソリストになるためには、やはり室内楽をやっていかなければならないし、室内楽をやっていくにはオーケストラをやっていかなければ分からないと思います。私はオペラ座のコンサートマスターと、シンフォニーオーケストラのコンサートマスターをやってきました。オペラも私は絶対やりたかったし、シンフォニーはどうしても世界的に有名な指揮者の下で勉強したかったのです。

 それは全部自分がソリストになるときにベースとなるものだと思ったからです。ソリストは自分を聴くわけですが、カルテットをやることによって自分の事を忘れて他人を聴くことになります。音楽家になるためにはそのすべてがわからないといけないと思います。ソリストになってそれだけというのは、あり得ないことです。

 とにかく私の場合は、二十二歳くらいからすぐにソリストになる気はなかったんです。自分の音楽の文化というものを深める為には、どうしてもそういう所から始めたかったのです。最初からすぐに外に出るという事はしないで、オペラからはじめました。それをやったおかげで、自分の中の何かが少しずつ熟して来ているのを感じています。だから自分の音楽が、人のまねをするとかでは無くて、自分の中から湧いてくるのを感じます。

 例えば、私の友達や世界のランクから見たら、私の出発はソリストとしては遅れたと思います。けれども、私にとってはそういった過程は、どうしても必要だったのですね。この頃やっと自分の心の中の、ああだろうか、こうだろうかといった、しこりがなくなってきて、自分の中から自然に自分に対する信頼感が生まれつつあります。最初にソリストとしてのレッテルを貼ってしまって、ソリストとして有名になってしまったら、もう後もどりはできません。よくオケマン、カルテットと分けて言いますけれど、そうではなくて、もっとつながったものだと思います。また教えることも必要ですね。オペラ、 喜歌劇、シンフォニーオーケストラ、カルテット、室内楽…もちろん教えています。


ー尊敬している方はどなたですか。

 小澤(小澤征爾)さんです。メシアンのオペラの初演がパリでありましてね、小澤さんの指揮で。その時、私はコンサートマスターを務めていまして、彼と非常に素晴らしい仕事ができました。それ以来、彼のファンです。今はオペラをやめてしまったので、小澤さんと仕事をするチャンスがなくてとても残念です。小澤さんとの仕事 は非常に思い出深いものがあります。たくさんの素晴らしい指揮者と仕事をしてきましたが、ショルティとかね。ショルティも素晴らしかったけれども…特に小澤さんは素晴らしい方でしたよ。なぜかとい うと、彼の才能ともいうべき表現力がものすごく単純明快であって、非常に親しみやすい…なんといってよいのか…シンプルだということですね。いばってないということですね。

5. 想像して自分の色をつくろう

ーアマチュアの方にアドバイスをいただきたいのですが。

 非常にテクニックのことを気にして指を見て弾いている人が多いのですが、それよりも音楽的に笑って下さい。音楽から景色を想像したりして弾けば自然と笑みが出てくるのではないでしょうか。もちろん練習の初め、例えば最初の二時間はできるだけテクニックを深めることに集中します。その後はテクニックのことを一切忘れてしまって、頭の中で景色を思い浮かべながらというふうにして、音楽の中に入っていって下さい。日本には禅の庭もあるし、素晴らしい景色がある。そういうものを音楽に、あてはめて思い浮かべながら弾いてほしいですね。そうでないと音楽はつまらないでしょうし、いやになると思います。もしそういった風景を思い浮かべながら練習している時に、テクニック上で間違えたとしても全く気にする必要はないと思いますよ。それから音楽というのは、複製ではないと思います。例えばレコードとかを聴いてそれをそのまま真似るのではなくて、白分が弾くたびに自分で想像して自分自身の色を造ることが音楽だと思います。


ーお忙しいところを、どうもあリがとうございました。