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-あなたにとって音楽とは何ですか。
メイキング・ラブです。"愛"そのものを言葉とか絵画のような有形のものでは作り出せないので、私は音楽を通じて表現したいのです。つまり弦を愛し、バスを愛し、音を愛し、音楽を愛し、聴衆を愛すことにより、愛を作るわけです。
-あなたにとって音楽とは何ですか。
その質問は、ある時期、なぜ音楽が存在するのか疑問に思ったことがあったので、私もじっくり考えたことがあります。ですから、今では自分の音楽を続けるためにも、はっきりと答を持っています。なぜ音楽が重要かと考え始めたのは子供に教え始めた頃で、たくさんの子供を前にした時、なぜ音楽が重要なのかを自分で確信したいと思ったのです。
ところが、自分の学んだジュリアード音楽院には、音楽哲学のコースがないんですね。エール大学にもないし...。で、捜してみたら、アメリカに音楽哲学のコースは、音大には一つもなくて、一般大学の哲学科の中に一ヶ所あっただけでした。ですから、音大生がそういうものを勉強する所はなかったわけですね。
そこで、私は哲学の本を読み始めました。プラトンを読んで、彼が音楽を恐れていたことを発見して驚きました。彼は、音楽に力があることを認識したため、かえって音楽を恐れたわけです。音楽が悪用されることを恐れて、音楽の発展を阻止しようとしたし、アリストテレスも、ヘーゲルも同じ考えでした。
ある人々にとって、音楽は悪の力を与えるので、むしろ、コントロールされるべきだと考えていたのです。宗教指導者であるマルチン・ルターもカトリック教会もすべて同様で、歴史上、すべての哲学者達は、音楽を恐れていて、ただの一人も音楽を求め、語り合い、理解しようとする人は、この二十世紀になるまでいなかったのです。
.......二十世紀に入って、音楽に興味を持った、一人の哲学者が現われました。スーザン・ランガーという女性で、ハーバード大学の教授をしていました。で、ランガーが「フィロソフィ―・イン・ア・ニュー・キイ」という本を書いていて、私にとっては、この本が音楽上初の聖書でしたね。彼女いわく「音楽は言葉である。それは、語彙ではない。音楽は、語彙で表現することの出来ない言葉だ。音楽は人生を生きている動機の証であり、内なる感情の表現である。音楽は、音楽以外の何をもってしても表現することの出来ない、感情もしくは感覚を相手に話しかけるものだ。たとえば、絵にも描けない、言葉でも表現出来ない、どんな語彙でも伝達出来ないことが、音楽なら伝達出来る。」ということでした。この考え方、とてもユニークでしょ。(笑)
-日本人は一般に、器用で能力があるが、欧米人と較べると、まるで兵隊のようだといわれているようですが...。
そういう判断は、たぶん社会的、経済的な理由で存在すると思いますね。日本は国土が狭くて人口が多いし、一方、アメリカは広大で人も少ない。だから、アメリカでは人々が勝手にふるまったとしても、他の人間が困ることはなかった。しかし、日本では行儀とか秩序がないとやっていけなかったのでしょう。一億人以上もの人間を狭い所におしこめておけば、日本でなくて、それが他の国だったとしても、同じようなことが起こると思いますね。 むしろ、無秩序を放っておけば人殺しや戦争を始めかねない。これは人間の特性であって、日本人の特性ではないと思います。必要性が重要なポイントでしょうね。
-実際に三度目の来日ですが、日本をどうみていますか。
日本へ来て発見したことは、日本人が最も情緒的だということ、恐らくロシア人よりも感傷的だということ、そして世界の誰よりも強い感受性がありながら、それを、いとも簡単におさえてしまうという国民性です。 ...私に「心」があるということを、日本の人が、初めて理解してくれました。私は、演奏する時に、自分の心をこめて、自分のメロディを歌います。私の歌心、喜んだり、悲しんだりすることを、皆さん理解してくれました。日本人は、西洋人と同じというよりも、むしろ音楽を聞く価値のある人達だと思います。 それに、先程も言ったように、必要性に迫られて行動規制が厳しいから、音楽は日本人にとってはけ口になるに違いないという点で日本人には音楽が特に必要だと考えます。
-しかし、日本人がユニークであり続けるというケースは、少ないですね。ユニークとは、ある意味ではノーマルを否定することなのでしょうか。
幼い頃から、この練習をしなさい、近所の人を気遣いして、こうしてはいけない、ああしなさいと、ずっと自分の行動をコントロ―ルするようにしつけられていたら一体どうしてユニークとか、クリエイティブであり得ると思いますか。しかし、今のように人口が増え続けている時、日本は、これからの世の中のモデルだと思います。今、世界中の人間が日本のコピーを始めているでしょう。人口問題があるにもかかわらず、今までのところ、(笑)成功してきたわけだし。
-芸術面で、何が起こると思いますか。
昔は、誰かがそうしたいと思った時、強制して音楽をやらせたものですが、現在、芸術のコストが高くなってしまったということは間違いないですね。アーティストになったらお金がもうかるとか、(笑)そこに、誘惑があるともいえますが、ま、生活があるんですから、仕方ないですね。 私自身は、かれこれ20年ベースをやっていますが、ベースが何よりも好きなんですね。たとえ、求める人がいなくても、自分の好きなことだから、続けるだろうと思います。
-日本の若い人達に何か一言お願いします。
アメリカでは、GMとかUSラバーとか言った大企業が不幸なことに事業に失敗して、当惑しています。そこへいくと、日本の企業はうまくやっていて、興味ありますね。
-会社の社長というのは、ある意味では、キリストみたいだと思いませんか。
その通りですよ。(笑)日本人は、行動パターンが優れているんですね。私は、会社も一種の教育アカデミーだと考えているんですよね。
-新しいタイプの芸術アカデミーを作るのは、意義があるのではないでしょうか。
作るのは簡単ですが、うまく経営するのは難しいでしょう。芸術の制度化 は出来ないと思っています。教えているからわかるんですが、良い生徒だけがいるのであって、良い先生というのは、いないんじゃないでしょうか。良くおしえているつもりでも、生徒が悪ければ仕方ないですし。限界なしに学ぶ姿勢が大切ですよね。
-才能教育メソッドが日本にありますが。
それは日本国内より、むしろアメリカの方で有名になっているんじゃないですか。しかし、鈴木慎一氏がコントラバスに興味を持っていないのは、淋しいと思っています。バスの場合、9歳からですけどね。
―ある日本のプレーヤーが、あなたのことを、「なぜ、あんなに早く指が動くのか不思議だ。」と言っていましたが…。
(笑)秘密はむしろ弓ですね。日本でレッスンをした時、学生で一人だけ私の右手をじっと見ている人がいました。普通は、みんな左手の動きを見るものですがね。その人は、大変、上手になります。弦楽器の場合、総じて弓の使い方のほうが重要なんで
すよね。弓はまっすぐに使うこと、愛情をこめてやさしく、そして感覚で弾くことです。
―日本の弦楽器を弾く人達へのアドバイスをいただけますか。
自分の好きな音を出すこと、ですね。きたない音ばかり聞いていれば、音楽が嫌いになってしまうでしょう。 ...私の持論ですが、私は3通りのミュージシャンがいると思っているのです。音楽を作る人、解釈者すなわち演奏家、そして聴く人、いずれも音楽家だと思っています。
―お忙しい中、良いお話をありがとうございました。
取材して
2度目の来日中のカー氏をお訪ねした。あのひげと、神技的な演奏で、すっかりファンが定着した彼は、大の日本びいきで、お刺身が大好きである。話が泉のように湧いてきて、いくら時間があっても足りない感じだ。本誌が印刷に入る頃、大阪フィルハーモニー交響楽団と、ドヴォルザークのチェロ・コンチェルトを共演しているはずである。