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プレッセンダのヴァイオリンと出会うまで、私はずいぶん回り道をしたが、その結果は満足のいくものではなかった。
はじめてクレモナを訪れたとき、すぐにあの不滅のストラディヴァリウスの子孫を捜し、一人の父とその息子に会うことができた。
写真:"ストラディヴァリの墓石 "Gadenkstein an Stradivari in Cremona by wikimedia commons
父親のほうは市役所の戸籍係、70才過ぎのかくしゃくとした老紳士で、丁重に私をもてなしてくれた。何の紹介もなく訪問した非礼を詫びたが、彼はとくに気にした様子もなく、持っていた鍵の束から一本取って、重厚な木製の書棚から厚い書物を取り出して、私に見せてくれた。
ページの何枚かを操って、女性のように細かいイタリア語で書かれた箇所を指差した。そこには、アントニウス・ストラディヴァリウスの出生が記録されていた。
別の書棚からも書物を抜き出して、今度は死亡記録を見せてくれた。
そのあと、彼は地下の広い部屋に私を案内した。大小さまざまの墓石が雑然と置かれてある部屋の壁に「アントニウス・ストラディヴァリウス」と書かれた墓石がある。しかし、書物で見た死亡の日付とは違っていた。
老紳士に、日付の相違について説明を求めたが、うまく意図が伝わらず、私は諦めて外に出た。
老紳士は、その日のうちに弁誰士をしているという息子を紹介してくれ、翌日息子から夕食の招待を受けたのである。夕食のおり、息子に日付について尋ねてみた。
「当時のイタリアのブルジョワのあいだでは、生前に自分の墓石を準備するという慣例があって、ストラディヴァリウスもそれに倣っただけのことですよ」
別れぎわ、ほかに事情を知る年配者を紹介してほしいという私に、息子は骨董屋を営む老婦人の名前と住所を教えてくれた。何でも、正真正銘のクレモナのヴァイオリンを所有しているという。
ところが翌朝、同じヴァイオリンをむきだしのまま持って、老婦人がひょっこり現れたのである。
私たちは再び取引を始め、長い押し問答のすえ、やっと20ポンドで話がまとまった。当時としては破格の値段であったが、この町の偉大な一派の手になる、本物のヴァイオリンを手に入れられるだけの幾ばくかの余裕はみてあった。
私は、現存する製作者であるチェルーティのものを手にいれたかったのだ。
ただでさえ高齢の彼は、18世紀の偉大な楽器製作者たちと面識がある、クレモナの年寄り連中を知っているといういい分をもっともらしくするために、年齢を10歳偽って、実際以上に老齢に見せようとしていた。彼が実際に何人かの年寄りを知っていたのは確かだと思うが、そうした人たちから彼が聞いたことは単なる風聞に過ぎず、取り立てていうほどのことではなかった。
不在勝ちのこの人にやっと会えたときも、ドイツ製の古いヴァイオリンを私に売りつけることばかりに気を取られ、話をするどころではなかった。彼はさすがに、どのアマティのものかとはいえなかったものの、この楽器をアマーティとぬけぬけと呼んでいた。そのくせ、彼自身が作った楽器を見せてほしいと頼むと「そんなものはひとつもない」というのである。
私はすっかり落胆して、偉大なる老製作者たちとの絆―それもいまにも切れそうな絆―との邂逅をあとにしたのであった。