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連載『我らが至宝―ヨーロッパの楽器博物館を訪ねて―』

第9回 ボローニャ国際音楽博物館・図書館【1】

イタリアの随一の文化都市であるボローニャ。ヨーロッパ最古の総合大学があることで有名ですが、独特の回廊がつづく歴史的地区には、いくつもの音楽好きのための名所が潜んでいます。その中でも見逃せないスポットのひとつが、ボローニャ国際音楽博物館・図書館(Museo Internationale e biblioteca della musica)です。


石造りの重厚な建物に足を踏み入れると、中庭に植えられたバナナの木の鮮やかな緑色が目に飛び込んできました。

入口で受付を済ませ、階段を上がっていくと、同博物館スタッフのエンリコ・タベッリーニさんが登場。笑顔で出迎えてくれました。

今回の案内人であるタベッリーニさんは、同博物館においてコミュニケーション・教育部門を担当する責任者であり、英語とイタリア語での館内ツアーも担当しています。私たちに会うなり、数年前に日本の現天皇陛下をガイドしたときのことを懐かしそうに話してくれました。

世界有数の音楽図書館のあるミュージアム

ボローニャ国際音楽博物館・図書館は、2004年にボローニャ旧市街のサングイネッティ宮に設置されました。基礎となる建物は16世紀に作られたもので、部屋ごとに異なるテーマのフレスコ画が優美なタッチと色合いで描かれています。古さと新しさの折衷を体現する内装は、歴史的な雰囲気を盛り上げていて魅力的です。

(写真)第一展示室の壁は庭園をイメージしたフレスコ画で埋めつくされている


ボローニャの音楽図書館だけでも、約1万2千点以上にも及ぶ楽譜や音楽の専門書、書籍などの資料が所蔵されています。この充実したコレクションを目当てに、世界各地から音楽を研究する人たちが集まってきます。世界有数の音楽図書館なのです。


「ボローニャが『ユネスコ音楽創造都市』の称号を得た主な理由のひとつは、この音楽図書館です。開館は20年ほど前ですが、コレクション自体は約250年前に始まっており、ボローニャにずっと存在しつづけています。図書館にはあらゆる資料が揃っているので、音楽の専門家にとってはまるでディズニーランドのような場所なのです」とタベッリーニさんは誇らしげに語ります。

音楽を展示することの難しさ

図書館の所蔵作品だけでも1万点以上を数える豊富なコレクションがあるなら、いとも簡単に充実した内容の展示ができるのではないだろうかと思うところです。

しかし、タベッリーニさんは「音楽博物館ならではの難しさがある」のだとガイドツアーの冒頭でこう語りました。

「音楽は目に見えないし、触ることができない。舞台芸術として誰かが演奏したり、または音が録音されていたりするとき、音楽は初めて存在します。展示ケースに入れるのは至難の業ですよね。


音楽博物館が展示できるのは、保存されている書物であり、絵画でいえば絵筆、彫刻で言えば彫刻刀など、音楽を生み出すために使われるすべてのものに相当する物体です。そういった意味では、絵筆の博物館を訪れるようなものだといえるでしょう。


来訪者に目に見えないものを理解してもらうのは難しいことですが、面白いのは、展示物の中にあるものであり、館内のすべての展示物を1本の線でつなぐ長い伏線なのです」

音楽への情熱がこめられた百科事典『世界音楽史』

現在の常設展では、コレクションのごく一部である楽器や楽譜などの資料が公開されています。その数はおよそ約200点。有名どころでは、モーツァルトやヴィヴァルディ、ロッシーニなどの貴重な手書きの楽譜も含まれています。

さらに古い楽譜のコレクションにも注目すると、それらの楽譜を収集したコレクターであるボローニャ人の姿が浮かび上がってきます。その人物はジャン・バッティスタ・マルティーニ神父(1706-1734)。

タベッリーニさんに導かれて次の展示室に足を運ぶと、質素な黒服に身を包んだキリスト教の神父の肖像画と目が合いました。実はこの人こそが『ボローニャ国際音楽博物館・図書館の父』といえるマルティーニ神父です。


「コレクションの最古の部分は、今日ではまだ十分に知られていないボローニャ出身の偉大なマルティーニ神父によって形づくられました。彼の顔を見てピンと来なかったとしてても、どうかご心配なく。来訪者の99パーセントはマルティーニ神父の存在を知りませんからね。

でも、もし私たちが 1700 年代の音楽家や音楽愛好家だったなら、彼のことをきっと知っていたでしょう。なぜなら、 マルティーニ神父は18世紀の音楽界の中心人物であり、音楽分野のウィキペディアのような存在だったからです。

彼は音楽理論家作曲家でもあり、無数の音楽ジャンルに関するデータベースを持つコレクターであり、音楽に関する詳細な知識を持っていました」

マルティーニ神父は音楽の百科事典である『世界音楽史』を1757年に他に先がけて出版しました。本のおかげで、神父の名声はヨーロッパ中に急速に広まったのだそうです。

同博物館にも、マルティーニ神父著の『世界音楽史』第1巻の原稿と豪華版が並べて展示されています。第1巻の内容は、古代のエジプト人やギリシャ人などの音楽がどのようなものだったのかを推測しながら書かれたものでした。

その後、『世界音楽史』は 5 巻にわたって刊行される予定でしたが、執筆中に神父が亡くなってしまい、全巻の出版は叶いませんでした。


ここで注目したいのは、第 1 巻の印刷された年号で、本には1757 年と印刷されています。そのたった6年前である1751年には、フランス啓蒙思想のもと、「知の体系化」を目指すロイ・ダランベールらによって百科全書がパリで印刷されています。

「マルティーニ神父は、生涯の間ほとんどボローニャから動かずに質素な暮らしを続けていました。当時の国際的な文化、さらには最先端の思想とほぼ接触がなかったにもかかわらず『辞典を作る』という同じ考えを持っていて、それを実行したのです」

マルティーニ神父のコレクションの秘密

「マルティーニ神父はあらゆる時代のジャンル、種類の異なる音楽を対象に、できるだけ多くの資料を集めて研究し、音楽の普遍的な歴史を書き上げました。

当時、神父はすでに膨大なコレクションを所有していました。フランシスコ会の修道士たちは清貧の誓いに縛られています。何も自分自身の所有物として持つことができないのです。

さらに、マルティーニ神父は裕福な家庭の出身ではなく、教会の階層でも特に高い地位にあったわけではない、ただのフランシスコ会の一修道士でした。つまり、彼は一冊の本も買わずに、たった一人で驚くべき音楽コレクションをまとめ上げたのです」


キリスト教の中でも、貧しい暮らしを自ら進んで行う『フランシスコ教会』に属していたマルティーニ神父。その彼は、国内外の数多くの楽譜をコレクションし、自らの研究に役立てて百科事典を出版するまでの豊富な情報を集めることに成功しました。

いったい彼は、どのような方法で、膨大なコレクションを築き上げたのでしょうか。


その秘密は、続きの記事でご紹介します!お楽しみに。

 

(写真)ユーモアたっぷりにガイドツアーを行うタベッリーニさん(左)と図書館スタッフのクリスティーナさん(中央)


<続く>