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連載第69回 フェニーチェ劇場の現在(2)in Venezia

イタリア・ヴェネツィアの歴史あるフェニーチェ劇場(Teatro La Fenice)は、新しい音楽監督の任命で、昨秋からニュースになっています。話題のできごとについて、同劇場管弦楽団のメンバーの声を交えてお伝えします。

開演前の長い拍手のわけ

2025年12月13日の公演は、いつも通りに始まるかに見えました。しかし、フェニーチェ劇場オーケストラの団員たちがステージに入場しはじめると同時に、拍手が強まっていきました。すべての楽団員が揃ってからも、熱っぽい拍手が続きます。時間にして5分以上でしょうか。さらに、演奏前にもかかわらず飛び交う「Bravi!」の声。

 

この日の喝采は、フェニーチェ歌劇場の全職員が表明した「新音楽監督の任命についての異議」に対する、聴衆からオーケストラへ支持が表現されていました。

 

聴衆の多くが、オーケストラが直面している問題に対する団員や劇場スタッフの姿勢を讃えて「団結」を示した瞬間でした。

音楽監督の人選と決定プロセスの問題

 

昨秋、2026年10月からの新しい音楽監督として指揮者ベアトリーチェ・ヴェネツィが任命されたことから一連のできごとが始まりました。

ヴェネツィは現在35歳で、アルゼンチン・ブエノスアイレスのコロン劇場の首席客演指揮者を務めています。イベントでの短い演奏をのぞけば、フェニーチェ劇場管弦楽団との共演歴はない指揮者です。

 

1792年創立のフェニーチェ劇場では、過去にヘルベルト・フォン・カラヤンやクラウディオ・アバドなど、世界的な指揮者がタクトを振ってきました。

フェニーチェ劇場管弦楽団の音楽監督には、最近ではエリアフ・インバルやマルチェロ・ヴィオッティ、ディエゴ・マテウスらが就任し、同オーケストラの歴史の1ページを刻んできました。

一丸になって抗議するオーケストラと劇場スタッフ

舞台で拍手を浴びていたうちの一人である同劇場管弦楽団チェロ奏者のプリアフィートさんが、事件の経過を語ってくれました。

 

「9月末、ベアトリーチェ・ヴェネツィ氏が新しい音楽監督に任命されたという内容が知らされました。

任命の数日前、ニコラ・コラビアンキ芸術監督が劇場の組合メンバーと面会したとき、新しい音楽監督の名前はまだ決まっていないと言われました。そして候補は一人ではなく複数名おり、音楽監督という特別な役職を選ぶには、少なくとも1年はかかるとのことでした。

 

しかし驚くべきことに3日後、ヴェネツィ氏の任命の発表があったのです。その時点で、オーケストラは任命の取り消しを求める書類を作成することを決定しました。

 

私たちフェニーチェ劇場管弦楽団の音楽監督は芸術監督の役割も兼任しており、政治的、音楽的観点から、ある意味で頂点を体現する人物であり、とても重要なのです。音楽監督はオーケストラの指揮をするだけではなく、プログラム編成など、芸術的な観点から劇場にまつわる多くの決定を下すこともあります」

音楽監督に若手が抜擢されることは珍しくないかもしれません。ですが、何よりもまずオーケストラに受け入れられなければ、指揮者が良好な関係を築くことも難しいでしょう。

 

「主に2つの理由から、議論がなかったことが明らかです。

第一に、芸術的な観点から見ると、ヴェネツィの経歴は歴代の音楽監督と比べて不十分であることです。

第二に、監督は音楽監督を自由に任命できるので、任命の方法自体は合法だからです。しかし、これはオーケストラの慣例に反しています。そのため、まずオーケストラが抗議活動を始めました。その後、劇場職員全員、つまり技術者、合唱団、管理者などが加わり、事実上劇場全体がこの起用に反対し、抗議活動を始めました。

 

私たちは抗議活動として、1公演をボイコットし、劇場のすぐ裏手にあるサンタンジェロ広場で野外演奏を行いました。

今、事態は膠着状態です。ヴェネツィは沈黙し、何の音沙汰もありません。私たちは連絡を取り、彼女の意図を少しでも理解しようと試みていますが、残念なことに返事はありません」



映像:抗議活動のようす

 

時間のかかるプロセス

 写真:2025年12月には山田和樹の指揮、エットレ・パガーノの独奏で演奏した同管弦楽団


通常ならば約1年という時間のかかる音楽監督任命までのプロセスが省略されてしまった点も、問題になっています。


「音楽監督の任命について、通常なら芸術監督がオーケストラと相談する必要があります。その後、オーケストラと指揮者がリハーサルを重ね、オーケストラの承認を得るまでには、さらに時間がかかります。

これは、音楽家、合唱団、オーケストラが一体となり、4年間彼らを率いる指揮者を選ぶという素晴らしいプロセスです。


音楽監督は、ニューイヤーコンサートなどの重要なコンサートを指揮します。オペラなども同様です。私が入団したのは20年前ですが、偉大な指揮者であるマルチェロ・ヴィオッティやエリアフ・インバルがいました。ウィーンやベルリンで指揮をしてきたマエストロが選ばれてきました。

また、若くてもダニエレ・ルスティオーニのように、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場での仕事を終えたばかりで、すでに重要なオーケストラを指揮し、ヴェネツィよりも多くの功績を残している指揮者はいます。このような例は数え切れません」


今回のできごとの背景には、任命されたヴェネツィの父親が政治家であり、指揮者自身が現イタリア首相らと近い存在だという事実があると報じられています。

「まるで政府が決定を下したかのようです。まず、イタリア文化大臣がコラヴィアンキ氏を芸術監督に任命し、その監督がヴェネツィ氏を音楽監督に任命しました。

ヴェネツィ氏は何らかの形で現イタリア首相と密接な関係にある人物で、政治的関係が多すぎる。これは問題です。なぜなら、私たちは政治的な問題からオーケストラを始めたわけではないからです。

 

政治界の大きな派閥は、彼女が任命されることは全く問題ないと主張していますが、その一方で芸術、音楽、その他あらゆる分野の音楽監督を代表する人々は、彼女のような経歴では、これほど重要な地位に就くことは明らかに不可能だと主張しています。

 

私たちが議論しているのは彼女の能力ではなく、彼女が今まで本質的に何を成し遂げたかです。彼女の経歴をみるかぎり、これほど重要な地位に就くことができる音楽監督の資質に見合っていない。こう考えています。

劇場の音楽監督というとても重要な地位に就く人物が集団によって選ばれることを確実なものにしたいと考えているのです」

団結する聴衆とフェニーチェ劇場

抗議活動を行った数ヶ月後、劇場スタッフたちは、収入の一部を減らされてしまいました。

「劇場は長年にわたり、イタリアで「福祉」と呼ばれるものの一部を確保してくれていました。食料品やガソリン、その他特定のものを買うのに必要な給付金のような制度です。年間約1,700ユーロで、買い物には十分な金額です。これが、まったく根拠のない理由で撤去されました。

私たちの劇場はイタリアでも数少ない、長年にわたって常に黒字かそれ以上を維持している劇場ですから、まるで報復措置のように見えました」


ただ、抗議活動を通して既に得られたものもあるのことをプリアフィートさんは語ります。

「この出来事を通して、私たち楽団員や劇場スタッフは、より一層団結を深めることができ、嬉しく思っています。私たちは議論を重ね、何ができて何ができないかを議論しました。通常、オーケストラや組合のメンバーはそれぞれ理想を持っていますが、今回のことでは私たちは強く団結しました。ですから、ユニークですが、素晴らしい経験でした。


すべての劇場やイタリアのすべての音楽団体だけでなく、私たちの考えを伝えようと尽力してくれたジャーナリストや芸術関係者からも支援を受けています。言葉だけでは限界がありますが、もしかしたら関係者や当事者自身も、度が過ぎたことだったと気づくかもしれません」

『文化は買われてはならない』

終演後には、最上階から客席に多数の紙片が舞い散りました。ビラに書かれたのは「文化は買われてはならない(la cultura non si compra)」という言葉。文化的なことは政治的な力によって左右されてはならない、というメッセージが込められていました。


「コンサートの始めでオーケストラがあれほど拍手喝采を浴びるのは不思議なことです。普通はコンサートがうまくいった時、観客はオーケストラに愛情を示しますが、今回の拍手はまずオーケストラに捧げられた美しいものでした。

私たちがオーケストラとして、新しい音楽監督の人選に反対するという書面を提出した直後から、この拍手の時間が始まりました。現在の状況を真剣に受け止めている定期チケット保有者もいます。私たちは音楽監督についての意見交換が行われるまで、抗議活動を続けることでしょう」


「ヴェネツィ事件」はイタリア国内外で報じられ、抗議活動やメッセージが徐々に広まりつつあります。

「私たちの問題はイタリアやヴェネツィアだけのものではありません。コンサートを聴くのは皆さんであり、ヴェネツィアの劇場には世界中から人々が集まっているので、バイラルに拡散されています」

指揮者とオーケストラの関係や、私たちが聴衆として何ができるのかを考えさせられるできごとでした。今後の動向にも注目が集まります。

Photo・Text : 安田真子(Mako Yasuda)
2016年よりオランダを拠点に活動する音楽ライター。地域のイベントや市民オーケストラでチェロを弾いています。 http://makoyasuda.com/