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写真:ケルン大聖堂

バイオリン商 デビッド・ローリーの回想録
珍しい体験・その2


■ 旧友との再会

さらに私は数年前にケルンで知り合った旧友を訪ねることができた。彼の名はオットーといい、その名はバイオリニストから常に尊敬されていた。そして、彼のヴァイオリンに関する著書は、この種のものではかなり長い間唯一のものであった。

私の旧友というのが、オットーの子孫にあたる人だった。この本は最近では非常に珍しいものとなったので、その写本ですら持っている入といえば金持ちのアマチュアくらいしかいなかった。

写真:写真:“FOUR CENTURIES OF VIOLIN MAKING”,John Dilworth,page292

この人の著書の中で、イタリア楽器に関する解説はとても優れていた。
しかし、彼自身はそれらの楽器には直接接することが少なかったため、充分に突っ込んだ内容にならなかったのは致し方なかった。何しろその当時は旅行の手段が郵便馬車だけで、国内の主だった所へはどこへでも行けたけれども、台数は少ないし、経費もやたらかかる有様だったために、この本にこれ以上の内容を望むのは困難だった。

しかし、この本の中で、ドイツの楽器及び製作者のリストは雄大なもので、もちろん彼自身の作も含まれていた。彼は自分の作品に対しては大いに自惚れを持っていて、やがては自分の作品がイタリアの作品を越えるようになるだろうと考えていた。

さらにその本の中で一ケ所、一製作者として非常に独創的な考えを述べていた。それは、水力によって水車を回し、昼夜となく楽器の弦上に弓を働かせようということであった。この目的は、新しい楽器の音の粗さを、あの古楽器の滑らかな音にすり替えようというのであるが、その後この計画がどうなったか、私は聞いていない。


さて、私の友人の話に戻ってみると、 彼は主として、ドイツ製の楽器をたくさん所蔵している立派な楽器店の主人をしていた。私に差し出して見せてくれたのは、一本のイタリアのヴァイオリンだった。 それはピアチェンツァのJ.B.ダニーニのグァダニーニの素晴らしい逸品であった。
でもそれは売り物ではなかった。もしそうでなかったならば、私は何とかして手に入れようとしただろう。

我々は、旧のケルン時代を懐かしみながら、非常に楽しいひとときを過ごした。彼もまた、私の訪問をとても喜んでくれたのだった。

私はまた他の幾人かのドイツ人業者を訪ねてみた。彼らは私を個人的には知らなかったが、私の差し出す名刺を見ると私のことを知っているふうに接してくれた。

彼らが私に見せてくれたのは、さして重要なものではなかった。なぜならこの町では安物の楽器の売買しか成り立たず、金持ちの客は高価な物が欲しい時、パリから直接取り寄せるとのことだったからだ。


■ 芸術品の宝庫・ロシア

四日目になると、ピリーが約東通りやってきた。我々は、すぐにケースを取りに出かけた。
ところがこれらのケースはでき上がっているどころか、まだ手もつけられていない状態であった。

ピリーは、自分の予言が当たったことが証明されて、得意顔でいるようだった。しかし、私はそれどころではなく、非常に気がかりであることをピリーに話し、翌日までに仕上げるよう厳重に言いつけてその場を去った。

そして気船の発着を調べに、船会社の事務所へ向かった。

写真:19世紀頃の船

最初に我々はハル・グール共同会社へ行ってみた。そこでの説明によると、近々到着の予定はあるが、出発の日時は発表されていないので、いつ頃になるかはっきりとした日時は言えないが、たぶん半月以上先になるのは間違いないでしょうと言われてしまった。

それではどうにもならないので、次にエディングロ・レース社という所へ行ってみた。この会社は前の会社よりも楽観的で、当社の船が到着も出発も一番早いと自信満々で答えるのだった。

そういう状況から、私は後者の会社の方が有望だと考えて、「汽船の到着まで、私の荷を安全に保管してくれるならばこちらの船で帰りたいのだが。実は重量はあまりないが貴重な楽器が入っている大きなケースが、四つもあるのです。」と言ったら、「いいですとも。汽船の碇泊地のそばの岸壁に置けます。あそこなら全く安全、かつ誰にもいたずらされないし、他の船舶会社もすべてその場所に品物を置いておきますから。」と言う。

私は「どういう種類の品物なのかね」と尋ねると、「様々ですが、主として牛皮、麻、獣脂が多いです」「では、私のケースを保管できるのは、そこだけなのですね。」と私が問うと、「そうです、そこだけです。」と平然と彼らが答えたので、 私が彼らの申し出に応じなかったのは言うまでもない。

私は次に鉄道の駅へ出向き、ドイツ国境まで荷物を運ぶために一車貸し切りたいと申し出た。

しかし、今までそのようなことをしたことがないし、定期の荷物だけで貨車が足りないくらいなのだ、と断られてしまった。その上、ケースの中身はガラスのように壊れやすいし、芸術品であれば重い関税がかけられるだろうとのことだった。

私は関税額がどれ程かと尋ねると、半時程も分厚い本を調べた後、税率は75パーセントになると言われてしまった。

これには全く仰天してしまった。なぜなら、この税金を支払わぬ限り国外へ持ち出すことが全く不可能になってしまったと、当然考えたからである。なるほどロシアという国は、一旦この国へ入った物は、容易に国外へ持ち出せないから芸術品の宝庫だと言われているのかと得心がいった。

私はピリーと共にすぐその場を退却せざるをえなかった。

第31話 ~サンクトペテルブルクにて~へつづく