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写真:パガニーニ肖像


バイオリン商 デビッド・ローリーの回想録
第23話 ヴィヨームのグァルネリコピー・その1


さて、話は少し先へもどるが、ヴィヨーム氏がパガニーニのグァルネリウスをコピーした話をご記憶のことと思う。その後この楽器は、パガニーニの死後、シヴォリの手に渡っている。このヴァイオリンについては、過去いろいろな人達の話題にのぼり、又書かれてきた。

しかし、このコピーされた楽器を正しく評価し、詳細な点まで精通していたかといえば、必ずしもそうではなかった、と言わざるをえない。だから今から書くことは、おそらく大変興味深いことだと思う。

写真:"J.B.Vuillaume",W.E.Hill&Sons,1972,80page,"Dessin humoristique de l'epoque,representant probablement Vuillaume, a droite"

このヴァイオリンは、まず、その美しさと音質からみて、選りすぐった良い材料で作られたことは間違いない。それに乾燥させたり加熱することによって、一層柔らかくて熟した音色も得られていた。

この楽器には、黄色の地色に淡い褐色のニスがたっぷりと塗られ、いかにも年代ものという印象があった。パフリングの外側の縁の幅は、ジョゼフ・グァルネリの幅よりも狭く、偏平に作られており、四隅のパフリングのカットは、少々腕の立つ職人なら、誰にでもできそうな仕事だった。

私の意見では、音色に関しても、ヴィヨーム氏が作った他の複製にくらべると劣るように思う。しかし少なくとも、この楽器の製作者にとって幸運だったことは、このヴァイオリンが平凡な演奏者の手元にいかなかったという点であろう。いかなる音であろうと、欲するままの音を表現できるシヴォリのような芸術家の手元にあったのは幸運といえよう。

今、パガニーニのガルネリといえば、ジョゼフ・グァルネリの最上級として人々に評価されている。私自身も、所有者によって意見のまちまちなグァルネリを何本も見てきたが、パガニーニのグァルネリに匹敵するものに出会ったことは未だにない。


さて、製作後、25年経つシヴォリのヴィヨームを初めて私が見た時は、粗末に扱われてきた古いヴァイオリンといった外観であった。シヴォリが25年間弾き続けてきただけあって、手入れの悪いせいもあるが、表甲はほこりと松脂の層で覆われていた。

ところが、つい先程の話のガン氏のところで見た楽器は、どうしてもシヴォリの楽器には見えない位、 外観が変わっていた。シヴォリに聞いてみると、次のような話をしてくれた。

写真:"The Violin Masterpieces of Guarneri del Gesu",Peter Biddulph,1994,58page,"Paganini"Canon"

彼が以前、ハンガリーで演奏していた頃、とある町で彼のヴァイオリンをしきりに見たがっている楽器製作・兼修理をする人がいた。シヴォリが楽器を見せると、よく鑑賞した後で、ヴァイオリンを覆っているほこりや松脂は、外観を損なうだけでなく、音にも影響を与えるだろうと言った。

それは、以前にも他の人達からたびたび言われていたことでもあったし、そろそろ表面だけでもきれいにしてもらおうかと思っていた矢先だった。そこでシヴォリは、ヴィヨームのニスを全く傷つけることなく、ほこりと松脂をきれいに取り去るだけを条件として、その製作者に楽器を預けたという。

その男がヴァイオリンを持ち帰ってしばらくしてから、突然、シヴォリは、その男のことを何も知らないまま楽器を渡してしまったという重大なミスを犯してしまったことに気づいた。彼は、その男の言い残していった名前や住所さえ知らなかった。ただ、その男がヴァイオリンの製作者であり、修理もするということだけだ。


しかし、気づいた時は、すでに夜も深くなっており、その晩のうちにその男を見つけ出すのは不可能と思われた。シヴォリはその楽器のことが頭から離れず、眠れぬ一夜を過した。翌朝、明けるのも待ちきれぬ思いで階下へ下りてみたが、誰も起きていなかった。耐えきれない気持ちで、誰かが起きてくるのを待たなければならなかった。

下男達がやっと現われるや、彼らに男の名前と住所を聞いてみたが、結局、誰も知る者はいなかった。頭を寄せ合っていると、一人のボーイが警察にお願いしてみたらどうだろうかという提案をした。

そこでシヴォリは、ボーイに協力してもらって警察署へ一緒に行ってもらい、ようやく地元のヴァイオリン製作者の名簿を手に入れることができた。それを見ながら、二人で一軒一軒訪ね歩いたところ、とうとう探し求める人に出会うことができた。

写真:Ernesto Camillo Sivori(1815-1894),Wikipedia Commons,PDold

彼もまた早起きして勤勉にそのヴァイオリンを手がけていた。しかし、余りにも彼は勤勉すぎた。ほこりや松脂を表面から拭い去っただけにとどまらず、厚く残っているニスの部分までも、きれいに取り去ってしまった のだ。木部は、一塗りもされていなかったように白い素肌を現わしていた。

しかもその製作者は、シヴォリの落胆とはうらはらに、その仕事ぶりにすっかり満足しており、あとはただ表面にニスを塗るだけで仕上がりますと、勇んで話しかけてきた。

シヴォリは、すっかり気が転倒して、すぐにはヴァイオリンを取り上げて立ち去ることさえもできなかった。……しかし、このヴァイオリンは、この男の手によって再びニスを塗られることはなかった。こんな状態の時点で、私はガン・ベルナーデル商会でそのヴァイオリンを見たのだった。

その後、1894年に所有者であるシヴォリが亡くなるまで、このヴァイオリンはそのままの状態で弾かれていた。シヴォリにとっては、例え技術的な裏づけのある職人の手によってであっても、ニスの塗り替えなどもってのほかだった。塗り替えによって楽器の外観が変わることよりも、人為的に音色が変えられてしまうことに危険を感じるのだった。

この楽器が19世紀最高の製作者ヴィヨームの作品で、しかも所有者がシヴォリであれば、仮に売りに掛けられたとしてもかなり高値がつくかもしれない。しかし’’価値’’という観点からみれば、このようにして受けた’’傷’’によってかなり低下してしまったのは避けられない事実である。

第24話 ~ヴィヨームのグァルネリコピー・その2~へつづく