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クリスマスイヴの2020年12月24日、ヴァイオリン界の最後の巨匠と称される、イヴリー・ギトリス(Ivry Gitlis)さんが、98歳で亡くなったという悲報が世界を駆け巡りました。影響を受けた多くの音楽家や関係者から追悼のコメントが寄せられています。
ギトリス氏はそのユニークなキャラクターで有名で逸話(伝説⁉︎)には事欠かない方でしたから、世界のヴァイオリン・ディーラーの間でもよく話題に出ました…
また、文京楽器のウェブページ等で使用されているイメージ写真を撮影してくれている、イギリス人写真家のダニエル・レイン(Daniel Lane)さんは、世界最大のヴァイオリン・オークション・サイト、タリシオの企画で、ギトリス氏のロング・インタヴューを収めた経験を、私に語ってくれたことがあり、ギトリス氏のチャーミングな性格を知ることができました。
加えて、大の親日派だったギトリス氏は、最晩年まで来日されていました。雑誌などのメディアにも数多く露出されていましたし、実は一度も演奏会に行ったことがないのですが、彼のことを知る機会が多かったと思います。
しかしながら、情報としては良く知っているのにもかかわらず、その実在は何故か不確かで、雲の上の存在のような気がしていました。そんな私に実物のギトリス氏にお会いする機会が訪れます。もちろん、それはたった一度だけ、2017年の12月のことでした。
私の友人であるノルウェー人チェリストのオイスタイン・ビルケラン(Oystain Birkland)さんの紹介でした。彼はノルウェーの弦楽器貸与の財団の創始者の一人で、財団の楽器購入部門であるデクストラ・ムジカ(Dextra Musica)の代表を長年勤めていました。
そうした関係から、ギトリス氏とはスマホで連絡を取り合うような親密な関係を築いていました。
かねてから、数々の巨匠を生み出した20世紀のヴァイオリン黄金期を知る、ギトリス氏に実際に会って話してみたかったし、彼が所有し演奏することでキャリアを築いた、名器中の名器として名高い1713年製のストラディヴァリウス(Antonio Stradivari,1713, Cremona, Sancy)の「サンシー」を手にとってみたいと考えていましたから、千載一遇のチャンスでした。
写真:中央がギトリス氏、右側がノルウェー人チェリストのオイスタイン・ビルケラン氏。左はオイスタイン氏の奥様ベントさん。
ギトリス氏のアパートがあるのは、パリのサン・ジェルマン地区で、哲学者のサルトルが執筆したカフェ「カフェ・ド・フロール」から歩いて数分のところでした。
サン・ジェルマン・デ・プレは、現在観光スポットとして有名ですが、フランスの偉大な芸術文化の源泉、カフェ文化の面影が未だ香り、洗練と混沌が共存しているパリの代表的な街だと思います。
ギトリス氏は、齢九十をすぎても、そのアパートで一人暮らしをしていました。高齢での一人暮らしなので、流石に部屋は少し雑然としていました。その風貌は、確かに年老いた雰囲気ですが、眼光が鋭く話はじめると非常に力強くて、エネルギーがほとばしるようでした。
その白髪のロングヘアは、私にアントニオ・ストラディヴァリの肖像画を思い起こさせ、最晩年のストラディヴァリと話しているのではないかと私に錯覚させる程でした。
私が自分の名前を告げ、日本でヴァイオリン・ショップの経営していて、ヴァイオリンの製作をしていおり、ストラディヴァリウスのリバース(再誕・レプリカのこと)を作りたいと考えていることを告げると、「私はあなたと会ったことがある」と言われ、「私があなたに会うのははじめてです。勘違いではないか」と答えても、私にニッコリと微笑みかけるだけで、それを認めようとしませんでした。
「来年は日本に行くから、その時に作った楽器を持ってくるように」と仰ってくださいましたが、残念ながらそれは叶いませんでした。
その後「サンシー」(Antonio Stradivari 1713 ”Sancy” )を見てみたいと恐る恐る告げると、全く勿体ぶることもなく、快く「Oui!(もちろん!)」と言って、ヴァイオリンケースを取りにいき、私の前に「サンシー」を手渡してくれました。
私がつぶさに、サンシーを観察している間ずっと、彼の楽器にまつわる話をして下さいました。ニスはあまり残っているとは言えませんでしたが、そのフォルムは上品さと力強さを兼ね備えていて、その佇まいは、まさしく名器のものでした。
その後、友人から電話があり、チャイコフスキーのコンチェルトがテレビ放送されることがわかると、寝室で一緒にみようという話になり、特大音量で(耳が遠くなっていたのでしょう…)その演奏を聞くことになりました。
音楽に関する話を、身振り手振りで熱心に語られ、日本語に訳された「魂と弦」(原題:L'âme et la corde)という本を取り出してきて、アーティストの魂(ソウル)の重要性について、力説していました。
私がお会いしたギトリス氏の肉体は確かに年老いていましたが、その芸術にかけるパッションには目を見張るものがあり、アーティストとはどういった存在であるのか、またどうあるべきなのか、感ずるところがありました。
浮世(現世)の人間や社会には様々な制約がありますが、アーティストは常に芸術への情熱がそれらの制約を凌駕し、また凌駕せんとする存在であり、大いなるものに向かうことで、研ぎ澄まされた魂そのものが、肉体を動かしているかのごとき存在であると…
私の思い出を自分自身で整理するために、この文章を書きました。
僭越ではありますが、皆さんとそれを共有することで、ギトリス氏への追悼にいたします。
最後になりますが、偉大な芸術家イヴリー・ギトリス氏と彼の不滅の魂のご冥福を心よりお祈りいたします。
12月25日 文京楽器社長 堀 酉基(ほりゆうき)