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心に響く、レジェンドからのメッセージ

1984年から1993年まで、文京楽器が発行していた季刊誌Pygmalius(ピグマリウス)より、インタヴュー記事を復刻掲載します。当時、Pygmalius誌では古今東西のクラシック界の名演奏家に独占インタヴューを行っておりました。
レジェンドたちの時代を超えた普遍的な理念や音楽に対する思いなど、心に響くメッセージをどうぞお楽しみください。

 

第5回 久保 陽子(ヴァイオリニスト)

写真: ピグマリウス第27号より
引用元:季刊誌『Pygmalius』第19号 1987年10月1日発行

久保 陽子 / Yoko Kubo ,1943 ー

鹿児島県奄美大島出身。3 歳より父の手ほどきを受け、その後、折田泉、村山信吉、J.イスナールおよび斎藤秀雄らに師事。1962年桐朋女子高等学校音楽科卒業、同年チャイコフスキー国際コンクール第3位入賞。1963年よりフランス政府給費留学生としてパリに留学しR.ベネデッティ、J.カルヴェに師事。1966年マルセイユ音 楽院ディプロマコースを卒業、同時に名誉市民のメダルを授与される。
1964年パガニーニ国際コンクール、1965年ロン=ティボー国際コンクールにて第 2位。1967年からJ.シゲティに師事。その後クルチ国際コンクール第1位。ソリストとして世界的な演奏活動をする他、ピアニスト弘中孝と共に桐五重奏団、ジャパン・ストリング・クヮルテットを主宰するなど室内楽奏者としても活躍中。2011年3月まで東京音楽大学教授として後進の指導にあたる。

1.自身の楽器について

“楽器の大切さを再認識。弾くのがうれしくて!”

 

ー私と楽器というテーマでお話を聞かせて頂きたいのですが、まず、今使っていらっしゃる楽器は何ですか。

 

 ストラディヴァリウスを弾いています。素晴らしく良い楽器です。それまで使っていたヴァイオリンはあまりひどかったせいか、ストラドになってやっぱりヴァイオリンというものはこういう物なのかという認識を新たにさせられたという感じです。

今まで本当に、ヴァイオリンに頼るよりは腕を磨けばいいんじゃないかと思っていた人だったんです。

それで私の恩師のイスナール先生というフランスの方で、もう90歳くらいになられますが、彼女が45年間使ったというモンタニャーナというラベルの入っている楽器を使わせてもらってました。

その楽器も音色は味のある甘い音のするものだったんですけれども、どうやら裏板の魂柱があたる部分が割れていたようで、本当に力がなかったんです。だから弾くところによって音が出やすいとか、出にくいということがよくあって、今考えてみると、とっても弾きにくい楽器だったように思えるんです。

 

ーその楽器に比べると、今のストラドはどうですか。

 

ストラドは本当に弾くのが楽です。だからすごく嬉しくなっちゃってね、練習するのがうれしい訳ですよ。弾くことが嬉しいって感じなんです、今は。

こういうことは絶対あり得なかったんですよ、今までは(笑)まったく怠け者で有名な人ですから。

 チャイコフスキー・コンクールに行ったのが25年前だったんですが、ちょうどその時使ったヴァイオリンというのが、なんとフランス製のまったく出来たばかりの新作だったんです。

ジャン・ボーエルという名のヴァイオリンだったんですが、ニスなんかも弾いていると溶けてきそうな感じがして。まあ、それを持っていってコンクールに出場したんです。

すると本選の時に、「あなたの楽器は何ですか」と聞かれたんです。何のためにそんなことを聞くのかと思ったら、要するに本選に出てくる人の紹介というのを、まず必ずステージに出る前にやるんです。その時に、使用している楽器の名前まで説明するんです。

それで私の前後はみんなストラディヴァリウスやグァルネリウスって感じなんです。ソ連から出場している人はみんな国から良い楽器を借りていますし、アメリカやヨーロッパの人も本選まで残るような人は、みんなやっぱりかなり良い楽器を持っている訳ですよ。

そんな中で私だけ"ジャン・ボーエル"なんて紹介されて(笑)そしたら他の人達はみんな、あなたの使っている楽器は何かと言って聞きに来たりして面白かったですよ。そういうコンクールの中で使っていると、どんな楽器でも良い楽器に見えるみたいですよ。

 

写真:1962年チャイコフスキー国際コンクールで演奏する久保陽子
引用元:https://www.kubohironaka.com/

2. 理想の楽器とは

“理想はキラキラ輝く音”

 

ー今の楽器は先生にとっても理想的なものですか。

 

まあ、黄金期のストラドというのを全然知らない訳ですから、本当にストラドを弾いたのはこれが初めて。ストラドの音というのも、実際弾いたことがなかった訳ですから、自分の感触ということではわかっていなかったんです。

だからストラドだからという訳ではなく、一本のヴァイオリンとして気に入ったものが、たまたまストラドだった訳です。まあ、もっと良い楽器はあるといわれますけど、私にとってはそれくらい今の楽器と前の楽器が違うということなんです。

 

ー先生が理想的と思われる楽器はどんなものですか。

 

やはり非常に明るくて、透明で通る音が好きですから、それにパワーがあるというのが理想的な楽器です。ヴァイオリンっていうのはヴィルトゥオーゾの音ではないとつまらないと思うんですよね。そうするとやはりキラキラ輝いた音がしないとね。

だから今までの楽器だと、その音色を作り出すのに大変だった訳です。色々なことをテクニックでやってみた訳なんです。持ち方を変えてみたりとか。

だけど結局は、ストラドを弾いてみると、何もしなくてもその音が出るんです。私の欲しかった音がただ弾くだけで出るから、今まで音を出すのに必要だった労力を他のところへ持っていけるんです。

 

ーそれでは、その分演奏内容も上がるということですか。

 

まあ、わかりませんけど(笑)それは第三者が決めることですからね。自分では弾きやすくなっただけで・・・。

 

―弓は?

 

弓は幸いなことにトルテを手に入れました。4年位前ですけど。
そのトルテが今までの楽器ではあんまり良さが出てこなかったんですよね。楽器が鳴らないということがあって、重たくて強い弓でないと音が出てこなかったんです。トルテは58グラム位しかなくて。

 

ー先生は軽い弓が好みなんですか。

 

そういう訳でもないんです。あんまり重さも気にせず、弓をパッと変えられるんです。全然こだわらないんです。だからいきなり重くなっても軽くなっても、あんまり関係ないんです。

でもトルテは素晴らしい弓なんです。けれども今までその価値がわからなくて、弓にかわいそうなことをしてたんですけど。とってもきれいな弓なんです。フロッグは変えてあるんですけど、なんか金金具と銀金具の2本あって、その2本で一組だったらしいんです。これは金の方なんですけど、こっちの方が良い弓という事らしいんです。だからほとんど使ってなかったんです。強くてしっかりした弓なんです。

ストラドを弾くんだったらこの弓でないと。音色の変化っていうのが本当にはっきり出てくるんですよね、この弓で弾くと。やっぱりさすがに違うんだなと思いました。弓と楽器の相性なんでしょうね。今のストラドならこのトルテが一番合っていると思います。

 
 あっ、そうそう。今のストラドを弾く以前に
G.B.グァダニーニを弾いていました、ほんのちょっとの間でしたけど。けれどもやっぱり音色の変化っていうのがなかなか出しにくくって、弾いている自分が疲れちゃうんです。音を出そうとして、なんか独り相撲みたいな感じなんですよ、グァダニーニを弾いた時には。やろうとすることが空回りしちゃって。

例えば、ベートーヴェンとかモーツァルトとか本当に音のイメージをきちんと出したい時に大変なんですよ。楽器を通じて自分の意思を伝えにくいというか。だからストラドに変えたら、ただピーと弾いただけで自分の出したい音が出ているんです。

3.幼少期、学生時代の思い出

“初めて手にしたヴァイオリンは、父が作ったブリキの楽器”

ー小さい頃はどんな楽器をお使いでしたか。

 

私は最初、ブリキの楽器というのを使ってました。
というのは、3歳の頃にヴァイオリンを始めたんですけど、奄美大島の生まれで、小さい楽器なんてもちろんヴァイオリンさえ手に入らなかったんです。 その頃はまだアメリカの占領下で、日本で楽器を買うのもむずかしかったし、ましてアメリカから買うこともできないことだったんです。

父がヴァイオリンをやってまして、それで非常に器用な人だったものですから、アメリカからの配給のカンヅメの空カンを利用してハンダで付けてヴァイオリンを作ってくれたんです。

音は出たらしいんですが、残念なことに今はどこかにいってしまって。残っていればすごく面白かったんですが。

そして8歳位の時に上京してヴァイオリンの勉強を始めました。その頃はあまりお金もなかったですから、弓なんかは使い捨ての弓で、毛替えをすると、かえって高くつくような弓を使って、毛の限界まで使って捨てちゃうって感じでしたから、良い楽器を持たなきやとはあまり思わなかったんです。

だから楽器としてまともになったのはフルサィズになってからなんです。もちろんブリキじゃないですけど(笑)。

 東京に来てすぐ桐朋に入りまして、村山信吉完生という、小野アンナ先生の代稽古をしていらした方について、それからすぐイスナール先生についてずっとやっていました。

 

ー先生の学生時代というと、いろいろ有名な話がありますが(笑)

 

非常に悪ガキだったとか(笑)

 

ーいつ練習しているかわからなかったという噂ですが?

子供の頃はそれでもちゃんと母が一緒にいましたので、5時間位は練習させられましたけど。中学生位まではそれ位のペースを保っていたんですけど、高校生になって親から解放されたとたんに、もう練習したくないと(笑)。それで今じゃ考えられないでしようけど、コンクールやなんかの前の日に映画を観に行ったりとかしてました。

 

ーそれでも試験になると成績が良かったと聞いてますが。

 

学校の試験というのが非常にチョンボでして、最初の方だけ弾ければよかったんです、あの頃は。初めの3段とか4段を弾ければ大抵、先生が『はい、もういいです』と言うんです。だから、3、4段しかさらっていかなかったんです。要するに要領の良い人だったんですね。

 

写真:作曲家ハチャトゥリアンのレッスンを受ける久保陽子
引用元:https://www.kubohironaka.com/

4. ヴァイオリニスト、母、そして指導者として思うこと

ー演奏活動はどうですか。

 

結婚しまして、子供が生まれて、そしてちょっと家庭のことで忙しかったりしたんで、なかなか時間がとれなかったんですが、今年は身体の調子も手術したりして治して。そして楽器も手に入って、これから本当にまたヴァイオリンだけに専念できるかなという区切りの時ですね、今は。室内楽(桐五重奏団)の方は今、第二ヴァイオリンの人が子育てに一生懸命で、ちょっと休みって感じなんです。まあやはり女性は子供が生まれたりすると大変ですね。母親の代理は誰もできませんからね。後で取り返しのつかないことになってもいけないから、やっぱり音楽より子供の方が大事ですものね。

 

ー現在、どちらかで教えていらっしゃいますか。

 

あんまり沢山弟子はいませんけど教えています。今年から東京音大にも行っています。桐朋の方は室内楽の生徒を少し教えています。

 

ー若い演奏家の場合、テクニックはあるが音楽表現になるといまーつという感じの人がいますが。

 

まあ、若いってことはそういうことじゃないですか。やっぱり経験を通して音楽もわかってくるんであって。私も20代の頃、コンクールに沢山出ていた頃は、なんにもわからなかったですからね。音楽の内容がどういうものなのか、何を言いたいのか。

例えばフレーズ一つにしても、こういうフレーズだからここでこう切らなきゃいけないとか、そういう感じで弾いていっちゃうんです。

それが今だったらそのフレーズ以前に、もう当然そういうことだろうということ、それが見えちゃうんですよね、ちゃんと。そういうのは若いうちには無理なんでしょうね。本当にリズム一つにしても全然わかりませんでしたよ、若い時には。

齋藤秀雄先生には、音楽の文法みたいなものを教えてもらったという感じです。だからあまり音楽を感じない人でもその文法を知っていれば、だいたい音楽を作れるということですから、私達もそれを習っていたので、20代の頃はそれで乗り切っていたってところがありますね。やっぱり作為的になりますよね。さもなければ情熱的につっ走るとか、若さの特権をフルに使ってね。

まあ結局、それはこじつけであって、経験を通して本当にいろんなことを知ってくると、それが当然のことになるんです。それが自然にわかるようになるのが、そうとう年をいってからということなんでしょうね。

 

―先生は何をモットーに教えていらっしゃいますか。

 

やっぱりその人の個性と、それからスタイルですね。バッハとかベートーヴェンとか。こういう場合はこうしちゃいけないとか、モーツァルトの時はこうして弾いた方が良いとか。フランスもの、ドイツもの、イタリアものとか。

 

―楽器を選ぶ時にこれだけはということはありますか。

 

全然わかりませんね、それは(笑)。自分で選んじゃいけませんよって、感じ(笑)。音が気に入ればいいってものでもないし、自分で弾いてそばで聴いててもちょっとわからないですもの。

よっほどストラドとか良い楽器を弾いて、自分で良い楽器というのはこういうものだというのがはっきりわかったら、初めて自分で楽器を選べるでしょうね。難しいんじゃないですか。

とにかく今、弾くのがすごくうれしいんですから、無伴奏のリサイタルができるかなと思っているんです。

 

―楽しみにしています。お忙しいところを、どうもありがとうございました。