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バイオリン商 デビッド・ローリーの回想録
第4話 ヴィヨーム氏のチェロ

N.F.ヴィヨーム氏はその頃イタリア製と思える古いチェロを持っていた。

そのチェロには金言や紋章などがあちこちに描かれていた。これらの模様は、フランスのシャルル9世の礼拝堂から抜粋されたもので、ヴィヨーム氏自身は、このチェロがアマティ派の誰かの手で、特注で作られたものだと考えていたようであった。

彼がこのチェロを入手した時は破損がひどかったらしいが、辛抱強く破片を探し出すなどして復元をした。楽器の破損部は何百にものぼるのだが、あまりにも見事に復元されたので、一見しただけではプロの人間にさえも健康状態が良いものに見えるほどだった。これはまさに愛情の労作とでも言おうか。

彼はこのチェロは本来「ロンドン塔」にこそ保存されるべきだと信じていたふしがある。それを聞いた彼の兄たちはただ笑っていたものだ。
当時ヴィヨーム氏は部屋数の多い大きな屋敷に居を構えていて、彼の妹に家事一切を任せていた。2階は間貸ししていて、その頃に住んでいたのは、チェロを弾く愉快な紳士であった。

この人の演奏はずばぬけて素晴らしかったので、私は常々プロの芸術家ではないかと思っていた。ある時、ヴィヨーム氏に聞いてみると、「単なるアマチュアだけど、知り合いになりたいのなら紹介してあげようか。」と言う。「近づきになれれば嬉しいですな。」
そこで我々はさっそく彼の部屋を訪ねることにした。彼はジャンセン氏と言って、年は60歳から70歳ほどだろうか、背が高くて胸巾の広い、典型的なフランドル人であった。彼は音楽に埋没したような生活を送っている様子だった。ヴィヨーム氏が兄のJ.B.ヴィヨーム氏をパリに訪ねるときなども、いつも一緒に旅行していたようだった。

彼は部屋へ私たちを招き入れると、所有しているストラディヴァリベルゴンツィのヴァイオリンを見せてくれた。

もう1本、とても立派なチェロも出してきた。私はいつものくせで、f孔の穴から作者のラベルを読み取ろうとしたら、ジャンセン氏いわく、「その楽器には、ラベルが付いていないよ。」ヴィヨーム兄弟はこのチェロを、アマティ派のイタリア製だと鑑定していて、ジャンセン氏はそのことに満足をしていた。

私はニスなどの細かい点をチェックしてみたところ、とてもイタリア製とは思えなかった。その時、指板の下部の表板の上に、円形の飾りが刻まれているのを偶然見つけた。たしか、ロンドンでこれと同じ模様のついた楽器を2本見たことがあった。メーカーはバラク・ノーマンで、その飾りには作者の頭文字が刻まれている。ノーマンは英国の古い弦楽器製作家である。その時私と一緒にいたロンドンの楽器商の主も、それらのチェロをノーマンの作だと言っていた。ここにあるジャンセン氏のチェロは、その時の2本のチェロに似ているではないか。

多少の迷いはあったが、あまりにも似ていたので、思い切って言ってみた。「これと大変良く似たチェロを2本見たことがあるんですよ。」そして断言は出来ないが、ノーマンがイタリアの誰かの作風をコピーしたものかもしれないと付け加えた。「円形の模様」は動かしがたい事実で、明らかに3つのチェロは同一モデルに基づいて作られたものだと私は確信していた。しかし、ジャンセン氏は明らかに気色を損じた様子だった。
しばらくして帰る段になり、ジャンセン氏は階下まで我々を送ってきた。その時ジャンセン氏に先ほどの話を聞いたヴィヨーム氏は、「あのチェロはイギリス製ではなく、イタリア製としか考えられない。」と言った。しかし、そう言うヴィヨーム氏自身、表板の円形飾りを見落としていたのである。

2~3ヶ月経ってからヴィヨーム氏の所を訪ねると、おかしい程の敬意を表して私を招き入れるではないか。そしてすぐジャンセン氏を呼んできたのだが、彼もまた、どういうわけか私に大変な尊敬の意を示したのである。

第5話〜難しい鑑定〜へ続く