クレモナの伝統をロンドンへ
今回はイギリス製作史に大きな功績を残した優れた一族の始祖である、ヴィンチェンツォ・パノルモ(Vincenzo Panormo)を紹介いたします。
写真:1788年当時の王立取引所
“The British Violin” - British Violin Making Association, 2000, 59page "Interior of the Royal Exchange in 1788" より一部引用
ヴィンチェンツォ・パノルモ(
Vincenzo Panormo)は1734年頃にイタリアのシチリア島・パレルモ(Palermo, Sicily, Italy)で生まれ、父親のガスパーレ・トルジアーノ(Gaspare Trusiano)より製作技術を学んだと考えられています。
1759年頃、パノルモ一族は南イタリアのナポリ(Naple, Italy)に移住し、この時期に元々のファミリー・ネームである”トルジアーノ(Trusiano)”から、彼の出身地であるパレルモ(Palermo)の変形である”パノルモ(Panormo)”へ改名したといわれています。
彼の息子であるジョゼフとルイ(Joseph&Louis Panormo)も優れた楽器を多く残しており、現代においても演奏家から高い評価を得ています。
ナポリからパリ、そしてロンドンへ
当時ナポリにはジェナーロ、そしてニコラ・ガリアーノ(Gennaro,
Nicola Gagliano)らが活躍しており、パノルモもこの時期、彼らの作風に影響を受けたと考えられています。1770年頃にはフランスのパリ(Paris, France)へと渡りましたが、1789年のフランス革命をきっかけにアイルランドのダブリン(Dublin, Ireland)へと亡命し、最終的にイギリスのロンドン(London, England)へと移り、生涯をその地で過ごします。
ロンドンではジョン・ベッツ(John Betts)の工房で働き、多くのクレモナ名器を手に取る機会に恵まれ、イギリスの楽器製作に欠けていたイタリアの伝統技術より、大きなインスピレーションを得ることができました。
1770年代のパリにおいてはアマティ・モデルを多く採用していましたが、ロンドンに移って以降は、これまでのブリティッシュ・メーカーたちが用いることが少なかった、ストラディヴァリなどのクレモナ派名器をモデルに採用した楽器を数多く製作しました。
写真:VIOLIN Made by VINCENZO PANORMO, London, fecit ca1795
“The British Violin” - British Violin Making Association, 2000, 270-271page
製作上の功績
長らくブレシア派の楽器モデルを用いてきたイギリスの製作者たちは、彼の用いたアマティやストラディヴァリモデルの楽器としての実力の高さと、芸術性を認めざるを得ず、彼らも積極的にクレモナ派の作品をモデルに取り入れるようになります。こうした意味において、パノルモがイギリスのヴァイオリン製作史に与えた影響は非常に大きく、18世紀後期から19世紀初頭にかけて飛躍的な進歩を遂げることに至りました。
名器の研究・修理修復へ
ジョン・ドッド(John Dodd)やジェイムス・タブス(James Tabs)らによる弓製作が盛んになる一方で、1860年以降、安い輸入品の大量流入などにより、楽器製作は厳しい時代を迎えます。
その境遇のなか、弦楽器製作者の出身であったウィリアム・E・ヒル(William Ebsworth Hill)は、当時の製作者らがあまり真剣に取り組まなかった楽器修復という分野を重視しておりました。そして息子らとともに1880年にヒル商会(W.E.Hill&Sons)を設立し、クレモナ名器の高度な修理修復を通して、自社での精巧な楽器製作、ペグやテールピースなど部品類の開発、そして鑑定や研究書の発行など、世界初の総合的な弦楽器専門商となったのです。
写真:1785年当時のオペラハウス横にあるヒル商会
“The British Violin” - British Violin Making Association, 2000, 83page "The Opera House" by W.Capon, 1785 より一部引用
クレモナで製作された数々の名器が、今日これほどまでの芸術的・資産的な価値を得るに至るまでは、ヒル商会を輩出したイギリスという国の功績なくして語ることは出来ないでしょう。
次回は本編に戻り、第8回としてフランスの製作者、ガン&ベルナーデル(Gand&Bernardel)について紹介いたします。
文:窪田陽平
番外編 イギリスのヴァイオリン製作史:おわり