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第33回 「オランダとチェロ・ビエンナーレの衝撃」

《今回は『ヨーロッパ弦楽ウォッチ!』連載の番外編として、エッセイをお届けします》


チェロを聴きにオランダへ

9年前のある日、筆者が某音楽雑誌の編集部に勤務していたときに取材でお世話になったオランダ在住の演奏家の方から、一通のメールが届きました。

"今度、チェロの国際音楽祭が開かれます。アムステルダムにいらっしゃいませんか?"

ヨーロッパのどこにオランダがあるのか正確に知りもしなかったのに、筆者は2つ返事でアムステルダム行きを決めました。理由はその音楽祭『チェロ・ビエンナーレ・アムステルダム』の公式サイトには、いずれの開催日にもチェロ好き垂涎の演目がびっしりと並んでいたからです。バッハの研究で知られるチェリスト、アンナー・ビルスマがマスタークラスで登場することにも、強く興味を引かれました。

当時勤めていた書籍出版社で休暇の申請を出してすぐに1週間の旅程を組み、貯金をはたいて航空券を買ったはいいものの、一つ大きな問題がありました。それは、英語が読めてもほとんど話せないこと……そのため、英語がどこでも通じるというオランダの現地情報はあまり慰めになりませんでしたが、チェロの音楽に浸る5日間を過ごすため、意を決して飛行機に乗り込みました。客室乗務員の方の英語に答えるのも精一杯。緊張と興奮のため、11時間の往路のフライトでもほとんど眠れず、到着しました。
運の悪いことに、空港の税関では英語が話せないことで緊張して挙動不審になり、止められたうえ、お土産のおかきがいっぱいに詰まったスーツケースの中身を入念に調べられてしまうという、恥ずかしい状況に陥ったのは、ここだけの秘密です。

あきれ顔の税関スタッフから無事開放され、神経が擦り減りきった状態で電車に乗り込むと、朝の光の中で見る風景と空の美しいことに気づき、何度もカメラのシャッターをきったことを覚えています。このおかげで、オランダの第一印象はぐっと良くなったのですが、それでも当時は、自分がいずれオランダに移住することになるとは夢にも思ってもいませんでした。

朝から晩までチェロ漬けに

筆者にとっては初のオランダ・アムステルダムで、初の欧州の国際音楽祭であるチェロ・ビエンナーレ・アムステルダム。ビエンナーレについては当連載で過去にご紹介したので、ご存じの方も多いのかもしれません。現在ヨーロッパで一番規模の大きな、チェロのための音楽祭で、文字通り朝から晩まで、クラシックからロック・現代音楽まで音楽ジャンルも多彩なチェロの音楽が楽しめる一大イベントです。

朝9時にクロワッサンと搾りたてのオレンジジュースを立ったまま食べてから聴くJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲コンサートでは、バッハの音楽が起きたての身体に染み込んでいくようで、瞑想中のように静かですっきりした精神状態になれることを発見しました。

お昼ごろのアンナー・ビルスマのマスタークラスでは、既にご高齢ながらチェロについて話すときはエネルギッシュなビルスマの姿を目に焼き付け、世代やバックグラウンドの大きく異なるチェリストたちによるトークイベントでは一言も聞き漏らすまいと必死に耳を澄ませました。午後には、通常なら1人で大ホールを埋めるほどの世界的な人気ソリストたちが共演するステージに痺れ、圧倒されることばかり……。

プログラムには、チェロの定番レパートリーはもちろん、世界初演の現代曲や、生演奏ではなかなか聴く機会のない作品も数多く取り上げられていました。「どの公演も見逃したくない!」というジレンマで、嬉しいやら苦しいやら。会場の裏に特別に停泊していたボートホテルに泊まっていたので、朝から晩までびっしりのプログラムの大部分を楽しむことができたのは幸いでした。

(写真/左から2人目がミッシャ・マイスキー、右から3人目がアンナー・ビルスマ)

誰もが主体的に関われる場

コンサートの合間には、ロビーでカプチーノを飲んでいた人や、物販を扱う音楽祭のボランティアスタッフ、ホールで偶然隣り合わせた人とちょっとした話をする貴重な機会がありました。おずおずと「チェロを弾いていますか?」と質問すると、大抵の答えがイエス。終演後、ビールジョッキを片手に初対面のお客さん同士で輪を作って、演奏の批評が始まることもありました。50代の地元の医師や国内の有名チェリストに師事する音楽院の学生、娘がチェロを弾いているという女性など、さまざまな出会いと人々の笑顔が心に残っています。

また、印象深かったのは、音楽祭の会場であるムジークヘボウの熱気です。ステージで繰り広げられる演奏への熱狂はもちろん、聴衆として参加する人もフェスティバルの場をそれぞれのスタイルで心から楽しみ、熱気を自ら作り出しているような、そんな積極的な印象を受けました。

会場では、出演後の演奏家たちが聴衆や学生たちに交じってドリンクを楽しみ、気軽に言葉を交わしていることも驚きでした。チェロが大好きでたまらないという人が多く集まっているだけあって、演奏者と聴衆を区切るものがなく、開かれたフレンドリーな雰囲気が漂っていたのです。さらに、聴き手であっても『主体的にフェスティバルに参加し、関わっているのだ』という人々の意識が感じられたのも特徴的でした。

(写真/2014年の会場ロビーの賑わい)

ハードな旅の思い出

筆者は音楽家の打ち上げ会場にも呼んでいただき、出演者やオランダ在住日本人音楽家や留学生の方たちと中華料理をご一緒したことも忘れられません。

その宴が楽しすぎたことと、よりによって有名な飾り窓地区で道に迷ってしまったことで、ビエンナーレの最後を締めくくるコンサートには駆け込んで入場することになりました。開演間際でもチケットが鞄の中で見つからなかったものの、ドア係のスタッフが「(チケットを持っていると)信じますよ」と言ってホールに入れてくれたという情けない場面もありました。
さらに、日本人演奏家のご厚意で連れられたバックステージで、当時人気絶頂の2CELLOSになぜか紹介してもらうも、英語が話せず、お食事中の2人にただジロリと見られたという気まずい場面も……。

よくよく思い出してみると、1週間の間によくもここまで赤面するような恥ずかしいシ-ンや、冷や汗が流れるようなことが続くことはあるのだろうかと思うようなできごとが重なりました。それでも、このフェスティバルならでは活気と魅力に、音楽祭会期中が終わらないうちに、筆者はすっかり虜になっていたようです。

(写真/マヤ・フリッドマンら若手チェリストのライブが夜遅くまでカフェレストラン店内で開かれていた)

オランダを活動拠点に

天候不安定なオランダならではのドラマチックな光と影の描き出す美しいアムステルダムと熱狂的な音楽祭の残像とともに、成田空港に舞い戻った筆者。その後、現地で得た情報や写真を使って企画書を作り、雑誌社に記事を売り込みはじめました。筆者にとって、フリーランスの音楽ライターとしての初めての海外レポートも、このビエンナーレだったのです。

2019年からは日本からオランダに拠点を移して、フリーランスとして活動を始めました。2年ごとに開催されるビエンナーレは、絶えず変化していく注目すべきフェスティバルであると同時に、筆者にとっては自分自身を定点観測する機会でもあります。

音楽をより広くより深く知って楽しむきっかけになる記事を読者にお届けできたら、という思いは年を経ても変わりません。革新的なアイディアが好まれ、チャレンジが評価されるオランダで、今後も目を光らせていきたいと改めて思っています。

(写真/アムステルダムの町を自転車で走りぬける人)


◆2014年チェロ・ビエンナーレ・アムステルダムの演奏会の抜粋映像
取材・文・写真 安田真子