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第36回 番外編2  音楽祭を支える熱狂的ファン

イタリア中部、アドリア海沿いにある中規模の町ラヴェンナ。筆者が初めて足を運んだのは、2016年のことでした。
当連載読者なら既にご存じであろうゲリラ的チェロ・オーケストラ『100Cellos』がラヴェンナ音楽祭(Ravenna Festival)で演奏することを知って、格安航空券を使ってオランダからラヴェンナへ向かうことにしたのです。

まだ6月だというのにじりじりと照りつける太陽のもと、ラヴェンナ駅から路線バスに乗り、まずは郊外のユースホステルへ。バス車内でチケットを買おうと運転手さんに話しかけると、「話しているうちにすぐ着くくらいの距離だからいらないよ」という答え。肩の力が抜けました。
宿で出迎えてくれたオーナーの女性は、筆者が音楽祭を目当てにやってきたことを知ると、前年観たというオペラの感想を熱っぽく語り出しました。「もう20年以上前から開かれている、規模の大きな素晴らしいイベントなのよ」と胸を張るオーナー。地元の人が誇らしく感じている音楽祭はやはり素敵だと感じた瞬間です。
一息つく間もなくご厚意で貸していただいた自転車に乗って、いざ中心街へ。チェロ・オーケストラの公演は週末の夜ですが、その前に昼間のうちから開かれる関連コンサートも聞きたかったので、市内の会場へ行くことにしたのです。
100Cellosの活動には、チェロオーケストラの演奏会の他にも、10代のジュニア奏者のコンサートや、ソリストが何人か出演するミニコンサート、開催地ごとに特別な場所を選んで開かれる屋外コンサート、公開リハーサルなども含まれます。この日は、かのダンテが眠るお墓にほど近い博物館で、午後の早い時間からミニコンサートが開かれていました。

オランダの現代音楽作曲家でもあるチェリストのエルンスト・レイスグルの指導で、チェロを構えてかき鳴らしながら行列して登場する10代のチェリストたち。前衛的な即興からクラシック、タンゴなどまで、驚くようなエネルギーで繰り広げられるアンサンブル演奏は圧巻です。会場は元修道院の中庭だったので、半屋外の開放的な雰囲気があり、心地よい音響をうみだしていました。ステージを囲むように立ち見して見守る人々も多数。曲が終わるごとに聴衆は盛り上がりをみせ、会場は喝采に包まれました。
コンサートが1つ終わり、高揚感を覚えながら修道院の内装を眺めていると、別棟の中庭にロミオとジュリエットの銅像があることに気づきました。童話の登場人物のようにデフォルメされた2体の像の写真を撮っていたら、「素敵な場所でしょう。よかったら、あなたの写真を撮ってあげますよ」と声を掛けられた筆者。振り返ると、50歳前後の長髪の女性が立っていました。これがサブリナさんとの出会いでした。

筆者と同じように先ほどの演奏会を聞いていたというサブリナさんは、音楽のことを話すと、子どものように目を輝かせる根っからの音楽好き。チェロは大好きでいつか弾いてみたいということや、ラヴェンナで生まれ育ち、音楽祭にも毎年通っていることなどを熱心に語りはじめました。
次に行く公演について話が及び、そのうち1つのコンサートのチケットは売り切れで取れなかったと筆者が言うと、「私は劇場に顔が効くから、融通してもらえるようにチケット窓口にかけあってみましょう」と言って譲りません。

この後、ちょうどチケット売り場のある劇場でチェロ・オーケストラの公開リハーサルが開催される予定だったので、サブリナさんと劇場まで一緒に歩いていくことになりました。彼女が足を進めるたびに、ウェーブのかかったグレーの長い髪が左右に揺れます。個性的なサブリナさんには地元の知り合いが多いらしく、あちこちで挨拶をしていたのが印象的でした。

該当のコンサートは、郊外の遺跡で開かれるというチェロ・アンサンブルの公演でした。ユニークなロケーションと他では聞けないチェロ5重奏のプログラムが人気だったため、サブリナさんが交渉してくれたにもかかわらず、チケットは見つかりませんでした。
予約をしなかったのが悪いので筆者が諦めた瞬間、サブリナさんは一呼吸おいてから、封筒を私に手渡してこう言いました。
「これ、あなたが使いなさい。きっと良い演奏会になるだろうから、あなたに行ってほしい」
サブリナさんが、自分のために取っておいたチケットを贈ってくれたのです。サブリナさんは大の音楽好きで、ずっと楽しみにしていたに違いないというのに、少し前まで見知らぬ者同士の筆者にくれるなんて……。

一旦決めたら譲らない性格らしいサブリナさんの好意を受け取ることにした筆者は、ささやかなお礼としてお酒をご一緒しました。広場の一角にあるバーのテラス席で、白ワインを1杯ずつ。サブリナさんは持病で経済的に困難な状況にあるらしく、それでも町でホームレスに声を掛けられると手持ちの小銭は全てあげてしまうような情の深い人でキリスト教徒だということが次第に分かってきました。 
チケットと同時に「ただし、これをよろしく」と、小さな白い封筒に入った手紙とピンクのミニバラを一輪託されました。演奏者の一人であるジョヴァンニ・ソッリマに渡してほしいというサブリナさん。小さなバラと手紙なんて、ロマンチックです。
その日の夕方、サブリナさんのチケットを使って、遺跡の特設ステージで聴いたチェロ五重奏。静かな夕べの空気に沁み込んでいくような、深い感動を与えてくれました。
翌日の100Cellosの公開リハーサルのあと、町の広場にチェリストたちが楽器を構えたまま繰り出したときのことは忘れられません。リハーサルを見学していた筆者やサブリナさんら観客もつられて広場に繰り出し、フラッシュモブを決行したのです。

チェリストと観客は広場に辿りつくと、一角を占領し、即興で演奏を始めました。市庁舎で結婚式を挙げたばかりのカップルを見かけて演奏で祝福したり、J.S.バッハの無伴奏チェロ組曲を何十人ものユニゾンで弾いたり、オリジナルのロック・メドレーを響かせたり。さながらお祭りのような盛り上がりです。
その時も最前列で音楽に浸り、奏者に声を掛けたり、歓声をあげたりしていたのは他でもないサブリナさんでした。音楽を心から愛し、時間を費やし、文字通り「惜しみなく」最大級の賛辞を贈ることで、プレーヤーを応援し支えているのは、サブリナさんのような観客なのではないかと気づかされました。
写真/最前列で誰よりも早くスタンディングオベーションを送っている女性がサブリナさん(写真右手)

後日、フラッシュモブの写真を印刷してサブリナさんの住所に送ると、1か月ほど後に返事が届きました。はがき大の白いカードの両面に躍るような文字で書かれた手紙が、見覚えのある小さな白い封筒に入っていました。
「100Cellosにあなたが参加すれば、101匹わんちゃんのように『101Cellos』になるのではないかと期待していますよ」と短く綴られた手紙。彼女の茶目っ気あふれる笑顔が目に浮かびました。

それから4年後、また100Cellosを聞きにラヴェンナを訪れた筆者は、サブリナさんに連絡を取ろうと考えました。その前年に初めてチェロオーケストラに参加できたことを、サブリナさんに直接伝えたかったのです。しかし、残念なことに、パンフレットか地図の隅にだけ書かれていた住所を紛失してしまったために、連絡手段はありませんでした。それでも、いずれかの演奏会の客席できっと会えると信じて疑わない自分がいました。

その予想とは裏腹に、彼女を町で見かけることはありませんでした。
2016年にフラッシュモブをした広場に足を運び、ベンチに腰かけて、彼女がどこかからかふらっと表れやしないかと、しばらく待ちました。特徴的な髪型だから、町中ですれ違っても気付けるはず。そう思って人混みに目を凝らしましたが、日が暮れても、コンサートの会場でも、サブリナさんの姿を見ることはありませんでした。
熱心な音楽ファンで、いつもコンサートでは最前列で出演者に喝采を贈っていたサブリナさん。彼女はきっと今もどこかで、音楽に囲まれた時間を過ごしていることでしょう。直接会えなくても、彼女のような熱狂的な音楽ファンがいることは、筆者を含め多くの人の記憶に残っていて、勇気をくれます。サブリナさん、どうかお元気で。
取材・文 安田真子