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写真:"19世紀のロンドンの風景" 19th Century of London by wikimedia commons

バイオリン商 デビッド・ローリーの回想録
第38話 心を動かす名器


《セッソール》を、私はロンドンのいろいろの業者に見せたが、それは売却の希望をもってというよりエサとしてであった。というのは、この頃、即ち1872年から1874年にかけては、特にロンドンでは高価な楽器市場は驚くほどの沈滞期であった。

写真:”19世紀初頭のロンドン” early 19th century of london by wikimedia commons

たまたま私がこの《セッソール》をたずさえてある店へ入った時、店の主人がそこに居合せた金持ちの素人にそれを見せたのである。

彼はそれに250ポンド出そうと言ったが、私はそれに答えなかった。主人は店の奥の方に私を招いて、あまり欲張らないように勧め、客は明らかにこのヴァイオリンに心が動いているようだから、300ポンドまでは引き上げられようと言った。

彼の手数料は言うまでもなくそれから出るのであった。私自身、その楽器にそれ以上に支払ったことをいくら言ってもだめであった。「よしてくれよ、あんたには、それ以上一銭だって上げるわけにはいかないよ。その値だったら、どんな楽器でも手に入るからね」と彼は言った。

しかし、店に戻って、その 申し出をどうやら300ポンドまで上げたが、私がそれを拒わると、彼はすっかり手を上げてしまった。彼はちょっとしたひょうきん者だったので「あんたは、スコットランドに住んでいても、こんな大金を棄てて一丁のバイオリンを選ぶのでは、スコットランド人じゃないよ」というのであった。その後間もなく、私はこの名器をブラッセルで見たことがあって、その真価を知っているある有名な演奏家に売却した。

これから、どこでどうやってストラドを手に入れたかを話し始めたいと思う。それがどんなにガン氏やベルナーデル氏を驚かし、それに初めての賭けに勝ったことも。

ある日の午後、小さなお店を訪れた折、その店の主人が上機嫌で、けたたましく笑っていたのだった。私が入って行くと、一人の若者がちょうど出ていったばかりで、彼が行ってしまった後も笑い続けていたのだった。いったい全体、どうしてそんなにおかしいのか尋ねると、「あの馬鹿を笑っているんですよ。あいつがね、生意気にもこう言うのです。彼の父親がね、パリの劇場でセカンドヴァイオリンを弾いているんですがね。それがね、素晴らしいストラドを持っているんだと言うんです。」「違うのかい?」「そりゃ、もしそんな楽器を持っていたら、彼はとっくの昔に売り払ってしまっていただろう。けれどもその息子が言うには、パリにいる誰にもそれを売らないだろうと。ここに彼の住所があるから、もしよかったら訪ねてみてごらんよ。」

私はそのカードをポケットに突っ込む前に名前を読んだ。サメルディスと書いてあった。

ある日の朝になるまで、そのことについては考えてもみなかった。その日、不思議と私の心にそのことがよみがえってきた。


■ 紳士 サメルディス氏

その問題の朝、私はマルシックという有名なヴァイオリニストと朝食をとるために、十一時に出かけた。ドーメール通りで会った。約束の場所に着くと、そこの管理人が、彼はどうしても出かけねばならなくなったが、すぐ戻って来るので、彼の部屋で待っているようにと言った。しかし、私はそれを断り、その辺をぶらついてくることにした。
写真:"マルタン・ピエール・ジョゼフ・マルシック(1847-1924)、1895年にニューヨークで公開された肖像" Belgian violinist Martin Pierre Joseph Marsick (1847-1924), portrait published in New York in 1895. by wikimedia commons

少し歩いていると、もう一方の通りの角に以前どこかで見憶えのある長い名前に気づいた。今まで通りでそれを見た覚えがないので、なんとか思い出そうとするのだが果せなかった。マルシックの所へ戻り、いっしょに朝食をとった。朝食の間もその後でも、その通りの名前がフラッシュのように私の頭の中に何度もよみがえった。それを見た所を思い出したのである。サメルディスのカードに書いてあったのだ。

朝食の後、その通りへ再び行き、その通りの番地を調べた。そこを訪ねるとカードを取り出し、サメルディス氏に会えるか尋ねた。その付添人は「もちろん」と言うと、部屋に招き入れ引き下がって行った。少し経ってから、くだんの紳士が現れた。私の来訪を心から喜んでくれた。「あなたにお会いできて、ほんとにうれしいです。どうぞコートをぬいでおかけ下さい。ちょっと待っていただけば、コレクションをお見せします。」

彼が部屋を出て行ってしまってから、まわりを見回したが、そこにはパリに素晴らしいストラドがあるということをにおわすようなものは何もなかった。しかし、外見で判断してはいけない。おそらくこんな人は、その楽器をベッドに入れ、それをいつも横に置いておき、火事の時にいつでも持って逃げられるようにしているものだ。

見たところ、それらしきものはピアノの上にある。安っぽい黒ケースだけだったが、もし持主がその価値を知っていたら、そんな所には置かないだろうと思っていた。サメルディス氏が戻ってくると、両手にヴァイオリンを抱えてきて、それを目の前におくと、それらに対する私の意見を聞きたがった。


第39話~サメルディスのストラディバリ・その1~へつづく