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さて、それからの私は、シヴォリと会うたびに、かの偉大なパガニーニの人柄について、何らかの情報を聞き出そうと構えていた。ところが、彼は、パガニーニのレッスンについては語ってくれるが、その人物のことになると、とたんに無口になってしまうのだった。しかし、総合的に判断すれば、彼は多分に、パガニーニは教帥としては最悪という思いを抱いていたようである。
写真:Ernesto Camillo Sivori(1815-1894)
パガニーニとのレッスンというのはこうだ。まず、彼は弟子に、練習曲を与える。それはほとんどの場合、パガニーニ自身が作曲したものである。しかし、パガニーニは、そんな簡単な曲を、よりによって自分の弟子の為に書くなどまっぴらだと言わんばかりに、ぶきっちょな手で、大急ぎで書いたものばかりだったらしい。
シヴォリがその練習曲を弾き始めると、少しでもトチろうものなら大変だった。 口数こそ少ないが、その言葉は辛辣を極めたという。 パガニーニは、弟子が新しい練習曲を弾いている間中、嘲笑的な表情をして時々口の中でぶつぶつ文旬を言いながら、 部屋の中を歩き回るのだ。そして、近づいて来て、しばらくは無言のまま、頭の先からつま先までじっと眺めるのだ。大体が、シヴォリは大変小柄であるが、パガニーニの方は六尺以上もある大きな男である。突然パガニーニは聞く。
「示された通りに曲を弾けたと思うか?」シヴォリは、震える声で「いいえ。」と言うのが精一杯である。
「では、なぜいけなかったのかね?」と重ねて聞いてくる。ジヴォリは、2、3分押し黙ったあとでやっと答える。
「自分には才能がないから先生のようには弾くことができません。」と。すると、パガニーニはさらに続ける
「そんな簡単なものを弾くのに、才能などは必要ないのだ。大体、そんな事を言うこと自体、馬鹿げている。」
「必要なのは、たゆまぬ勉強と精進することだけだ。」
「どちらを選んでも良いが、怠け心を棄てるか、ヴァイオリンを棄てるかしなければならない」。
そうしておいて、今度はライオンが、羊を捕らえるかのようにヴァイオリンをつかむと、譜面台の上に載せた楽譜さえも見ずに、その練習曲を弾いてみせるのだ。しかも、歩き回りながら!
その弾きようは、ただ、弟子達の心に一層強い絶望感を抱かせるだけなのだ。パガニーニがもし、自分のやるように、シヴォリや、他の弟子達も同じに軽く弾けると思っているとすれば、それはおかしいことだとシヴォリは思っていた。
パガニーニは幼少の頃、何人もの先生のもとに通った。しかし、どの教帥たちよりも、彼の方が素晴らしい音で弾き、理解度においても、はるかに優れていたので、みな教えることを放棄せざるを得なかったという。
以上がようやくシヴォリから聞き出した内容である。私としては、この程度の情報ではとても満足できなかった。しかし、長年シヴォリと交遊関係にあってなお、この程度である。私は、すっかり失望してしまった。もっと古い知人関係にある人と話をしてみたらとシヴォリの勧めもあったが、もうすっかり、あきらめてしまった。
シヴォリは、ずっと毎日欠かさず音階練習をした。
パリのハヴァヌ・ホテルを訪れた人は誰も、シヴォリのヴァイオリン練習を耳にすることができた。そのホテル自体は、所有者が四代もかわったのだが、彼は三十年間以上そこに居を構えていた。
最近になってシヴォリは、音階練習を1時問に短縮したという。彼が言うには、音楽が好きで、ある程度の素質をもちあわせ、少なくとも自分と同じ位の音階練習を行えば、誰でもヴァイオリンを弾けるようになるだろう。
というのも、彼の手は非常に小さかったのである。そのため、第三ポジション以上に移動する時は、親指をヴァイオリンのネックから完全に離してしまわなければならなかった。
だからそういう時は、折リたたんだハンカチとあごの力だけでヴァイオリンを支えるしかなかった。だから、彼の演奏スタイルは一種独特だった。