フランスのストラディヴァリと称される名工
今回は、ヴィヨームやベルナーデルら19世紀フランス職人に最も大きな影響を与えた人物、ニコラ・リュポに迫ります。
写真:Cathedrale Sainte Croix(オルレアン聖十字架大聖堂)
生い立ち
1758年、ニコラ・リュポ(Nicolas Lupot)はヴァイオリン職人であった父親 フランソワ(François Lupot)の息子として、ドイツのシュトゥットガルト(Stuttgart)に生まれました。その頃リュポ家は当地(元ヴュルテンベルグ公国(Württemberg))領主のお抱え職人として働いていました。
ニコラが10歳の頃にフランスへ帰国。パリの約130km南西に位置するオルレアン(Orleans)に工房を構えました。このころから父の楽器製作を手伝うようになり、弦楽器職人としての道を歩み始めます。
1782年、23歳の時に結婚し自身の工房を開業。当時の新聞広告によると、彼の工房ではヴァイオリンに限らず、ギターやペダルハープなど弦楽器全般、弦の販売、修復まで総合的に取り扱っていると記載されており、現在の弦楽器専門店のような仕事をしていたと想像されます。
1792年頃からは、知人のヴァイオリニストの紹介でパリの名工ピク(Francois-Louis Pique)と交流が始まり、この時期からピクを訪ねてパリへ行き来するようになったと考えられています。
写真:Portlate of N.Lupot, reference to "L'art du luthier", Auguste Tolbecque, 1901
18世紀フランスの音楽事情
リュポがパリで活躍する以前、技術的に優れていたフレンチ・メーカーはごく僅かでした。18世紀初頭ヨーロッパで流行したアマティモデルは、小振りなサイズと高いアーチをもつ、邸宅での室内楽に適した甘く柔らかい音色を奏でるものでしたが、18世紀末にかけて需要が高まりつつあった、大きなコンサートホールでの演奏に耐えうる強く遠くまで通る音質・音量の点では、まったく不十分なものでした。そのため、彼らは楽器モデルの変更を余儀なくされます。
1760年頃になると、ヴィオッティなどストラディヴァリを所持するヴァイオリニストが演奏でパリへ訪れるようになります。その音色はフランス国民にとってセンセーショナルなものであり、聴衆にクレモナ派名器の素晴らしさを強く印象付けました。その結果、音楽を愛好する王侯貴族、ブルジョワジー(資産家)は、こぞってイタリア製の楽器を買い求めるようになります。
しかし、クレモナ派の楽器は当時においても非常に高額であり、多くの富裕層には手が届かないものでした。そこで彼らは、フランス国内の優秀な製作者へ精巧なストラディヴァリのレプリカ楽器の製作を依頼したのです。
リュポがパリに工房を構えたのは1796年でしたが、それ以前から彼の楽器は当地において高い人気を得ていました。リュポの成功はこうした背景に裏付けされた、必然的な結果だったといえるでしょう。
写真:Vioiln made by LUPOT.Nicolas, Orleans, 1790
作品の特徴と後世への影響
ニコラ・リュポはその優れた才能と後世に与えた影響の大きさから、フランスのヴァイオリン製作史上、最も偉大な製作者として評価されています。
ピクをはじめ、パリではリュポの移住以前にも、ストラドモデルの素晴らしさに気づき製作を始めていた者もおりましたが、その作品はストラディヴァリの特徴をやや誇張して表現する傾向があり、本物のイタリアン作品とは異なる様相を持っています。リュポもまた、自身のオリジナリティを作品に表しましたが、特にパリ時代以降は、クレモナ派の名器を強く意識した作品が多く、楽器のアウトラインやコーナー部分に向かうパフリングのライン、ニスの色合いは、イタリアンの特徴を良くとらえており、それ以前のフレンチメーカーの追随を許さぬ、高い完成度を持って製作されています。
パリ移住以降、フランスの代表的なメーカーたちはリュポの作風に強く影響を受けた楽器製作を行うようになりました。かの有名なJ.B.ヴィヨームも、初期のころはリュポのコピーを製作したことで知られております。
リュポの最も重要な2人の弟子は、オーギュスト・セバスチャン・ベルナーデルとシャルル・フランソワ・ガンです。フランソワ・ガンは、リュポの養娘と結婚し、工房を引き継ぎました。以前の記事で紹介しましたが、リュポを始祖とする200年に渡る製作史は、フランスのみならず、弦楽器製作全体においても、きわめて重要な流派の一つです。
写真:Vioiln made by LUPOT.Nicolas, Paris, 1802
次回は既述のJ.B.ヴィヨームについて、19世紀パリにおける楽器・弓製作、鑑定、オールド楽器のディーリングなど、幅広い分野で活躍した彼の実績を紹介します。
文:窪田陽平