■日曜・月曜定休
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1F 2-2-13 Koishikawa, Bunkyo-ku,
Tokyo 112-0002 JAPAN
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KORAKUEN Station (M22, N11)
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KASUGA Station (E07)
市内にあったパガニーニの生家の建物は取り壊されてしまいましたが、楽器コレクターでもあった彼が所有していた楽器(ヴァイオリンやギター)や手紙などの多くの資料がジェノヴァに遺されています。同音楽院にはパガニーニが何年もかけてヨーロッパ中を演奏旅行した際の出納帳が保存されており、各演奏地での席種別のチケット売り上げ枚数、劇場への支払いなどといった情報を元に研究が続けられています。
一方、市内のトゥルシ宮(Palazzo Doria Tursi)にはパガニーニの愛用していたヴァイオリン『カノン』などが展示されています。
トゥルシ宮の一番奥まった部屋の重たい扉を開くと、「パガニーニの部屋(Sala Paganiniana))」と名付けられた展示室があります。室内中央にはガラスケースが2つあり、パガニーニの愛器『カノン』とその複製楽器が並べて展示されています。
イオヴィーノ校長と研究者ニコレ・オリヴィエーリさんによる講演「パガニーニ ~ディーヴォでありマネージャー~」では『カノン』についてこう語られています(以下*1、*2印は講演からの引用)。
*1 「クレモナで1743年にバルトロメオ・ジュゼッペ・ガルネリ・デル・ジェス(以下デル・ジェス)によって製作された『カノン』は、おそらく1802年にリヴォルノでパガニーニに贈られ、すぐにヴィルトゥオーゾの特別な相棒となった。パガニーニの左手の指が際立って長かったこともあって、この楽器の持つ可能性を最大に引き出しながら、ヴァイオリン演奏技術を発展させた。現在の『カノン』の主要な部分は変わらず、表板のニスもオリジナルのものなので、パガニーニの時代には顎当てをつけず楽器に直接顎を当てて弾くのが普通だったため、ニスが落ちている跡がはっきりと見て取れる」
デル・ジェスとパガニーニには、それぞれの生涯において類似点があるようです。一言でいえば『天才と放埓』といえる劇的な人生を歩んだ二人。第一の類似点は、両者とも一度は投獄された可能性があるということ(デル・ジェスは調査後に冤罪と判明)、そして第二には、伝統を継承しながらも壊すことなく、その延長線上に新しいものを作るという点に情熱を注いだことだと同講演では語られました。
デル・ジェスの楽器には、外見からして思わず目を奪われてしまうような魅力と迫力があります。
*2「アグレッシブにくっきりと彫られていて、非常に『個性的』で魅力にあふれる外観をしているのがデル・ジェスの楽器。ストラディバリと比べることは勧められない。2つの対照をなすヴァイオリンの解釈であり、どちらも異なる天才である」
パガニーニの死後1851年に遺族を通じてジェノヴァ市に『カノン』が寄贈されてから、定期的に専門家によってその保存状態が確認されています。実際の演奏に使うべきか、または控えるべきかという点では昔から議論が続いており、市の方針によって使用頻度が変わってきたのだそうです。ただ、パガニーニ国際コンクールの優勝者には、現在でも副賞として『カノン』を演奏する機会が与えられています。
ジェノヴァにはパガニーニの遺品こそあれ、プッチーニやロッシーニのような他の作曲家のように博物館があるわけではなく、生家や墓地もありません。パガニーニは長年にわたってジェノヴァを出てヨーロッパ各地で演奏ツアーを行っていたためか、地元住民からの注目度も決して高くはなかったようです。その状況を変え、パガニーニと故郷の絆を取り戻すために、地元音楽家たちの手によって2000年頃から様々な試みが続けられています。
「『Amici di Paganini』という組織は、パガニーニの曲を演奏しに学校を訪れたり、市内にあるパガニーニ縁の場所を巡るツアーを企画したりと非常に熱心で、意義深い活動が行われています」とイオヴィーノ校長。今年10月には「ロックスター・パガニーニ」と題した展覧会が市内のドゥカーレ宮にて開催され、パガニーニ作品の演奏、講演などを含む「パガニーニ・フェスティバル」も同時期に開かれます。イオヴィーノ校長らは開催に合わせてパガニーニについての漫画を出版予定です。
1954年に設立された歴史あるコンクールであるパガニーニ国際ヴァイオリンコンクールは、次の開催が2021年に予定されています。今後これらの活動がどのように実を結んでいくのか、目が離せません。