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バイオリン商 デビッド・ローリーの回想録
第1話 私とヴァイオリンの出会い


私が初めてヴァイオリンを見たのは、今から50年も昔のことである。

スコットランドでは、ヴァイオリンは今ほど評価されていなかった。大都会でさえ、ヴァイオリンを弾くのは、半職業人階級に限定されていて、結婚式とか社交会の場に色どりを添えるために演奏されるくらいののもだったから、一般の人々には全くといっていいくらい、縁のない「しろもの」だった。

ただ、田舎の方へ行くと事情が少し変わって、農夫とか、その息子たちがヴァイオリンを弾いたりすることもまれではなかった。彼らは本当にヴァイオリンの音が好きで、心から楽しんで弾いたものだ。
初めてヴァイオリンの音を聴いたときのことは、今でも強烈な印象として心に残っている。私自身にとって、新鮮な感覚の目覚めとでも言おうか、あの時の喜びは、後々まで消えることがなかった。

当時、私はアイフという町に住んでいて、その中程にあった私の生家は、森と、美しく整った農地に囲まれ、垣根のそばには小川が流れていた。王国の中でも一番景色の美しいところだったろう。

私が回想録を書き進めている今とちょうど同じ夏の夕暮れになると、隣の町から二人の青年が、ヴァイオリンを片手に歩いてやってきたものだ。

彼らの奏でるスコットランド調の音楽を、農民たちは心から待ちわびていた。他にこれと言った娯楽のない時代だったので、このような音楽に触れ合うことは市場の喜びだったのである。若い娘達にしても、彼らの姿が見えないうちから、足音を聞き分けるほどだった。

当時9歳だった私も、彼らが来ると、飛ぶように畑の中を横切り、夢中で彼らの演奏に耳を傾けたものだ。私の父はすでに亡くなっていて、緑色の袋の中に入れたヴァイオリンを1セット遺していたが、父の亡き後誰も弾く人がいないので、台所の壁に吊るしたままになっていた。

ある夜、2人の青年がちょっと休ませて欲しいと言って、私の家の台所に入ってきた。すぐに緑色の袋に気が付いて、「もしやクレモナではないか!」と言った。クレモナという言葉を聞いたのはその時が初めてだったが、それ以来、「クレモナ」という言葉が耳から離れなかった。

彼らは、その袋の中の楽器を手に取って、素晴らしい絵画でも鑑賞するかのように、穴のあくほど何度も何度も見つめていた。そのヴァイオリンは、古くて傷もかなりあった。

しかし残念ながら音を出してみようにも弦は2本しか付いていなかった。弦を2本張るのに、2~3シリングかかると聞いた母は、「そんな馬鹿げたことにお金を使いたくないから、元の通りにしまっておくように」と言った。2人は、あれこれ母の気を引こうとしていたが、母は結局、弦を買うことに不承知だった。
そのうち、私に一番甘かった義父が弦を2本買うことにしたので-多分、私が彼らの音楽が聞けなくて落胆していたからかもしれないが-さっそく、その場でヴァイオリンの音出しが出来た。

期せずして彼らは、「素晴らしい!これこそクレモナの音、最上級のひとつだ」「今まで聞いた中のどの音より素晴らしい」と絶賛した。

そのニュースが広まるにつれ、近くの人々がぜひ本物のクレモナ・ヴァイオリンを見たいと訪ねて来た。しかし、この辺りで白状しておくと、後で分かったことだが、実は父の遺したヴァイオリンはクレモナの名器ではなく、自国製の価値も極めて低いものだったのだ。こんな出来事があって、私は初めてヴァイオリンに接したのである。この楽器はいまでも大切にしまってある。
第2話〜イタリアンの音〜へつづく