第27回 動く絵画と音楽のコラボレーション『Moving Art』
オランダでは美術館やコンサートホールの活動がようやく再開されましたが、演奏会の数は少なく、文化施設は事前予約が必要な場合もあるため、アートに身近に触れる機会がコロナ以前のよりも少ない状態です。
そのような状況の中、アムステルダムを拠点に活動する音楽団体Club Classiqueは『Moving Art』という新しい公演シリーズを行っています。同団体では、チェリストのレオナルド・ベッセリンク(Leonard Besseling)とヴァイオリニストのミルテ・ヘルダー(Myrthe Helder)という2人の音楽家が中心となって、プロジェクトごとにメンバーを集め、映画などの他ジャンルのアートと音楽をつなぐ活動を続けています。
名画の世界を映像化
『
Moving Art』の公演では、西洋絵画の名作に描かれた登場人物が
映像として姿を現し、弦楽四重奏による
生演奏のクラシック音楽とともに動き出して、観る人を別世界にいざないます。
写真/オランダを代表するフェルメールの名画「ミルクを注ぐ女」の撮影風景 (c)Rob van Dam
この背景には、生きた人間がポーズを取り、絵画を再現する「
タブロー・ヴィヴァン」と呼ばれる手法があります。19世紀の欧州に始まり、1900年代半ばには日本でも「
活人画」として紹介され、近年では日本の現代アートの美術家・森村泰昌によるゴッホの自画像作品などを思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれません。
コロナ禍では、
アート作品を模した写真をSNSに公開することが一部において流行したことも、『Moving Art』の誕生には無関係ではありません。
絵に描かれた人物やその動き、身につける衣装や持ち物、背景のセットや採光、色づかいに至るまでを
再現した写真や映像には、
不思議なリアリティがあります。スクリーンに映し出された絵画の登場人物が急に動き出すと、観客は
驚きのうちに画面の動きに釘付けになります。
絵画と音楽の取り合わせ
同プロジェクトでは、1つの絵画につき1曲の音楽が選ばれ、対になって紹介されました。絵画作品ごとの曲は、以下の通りです。
- ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス「ヒュラスとニンフ」とクロード・ドビュッシー「牧神の祈り」
- ヨハネス・フェルメール「牛乳を注ぐ女」とピョートル・チャイコフスキーの弦楽四重奏曲第1番より「アンダンテ・カンタービレ」
- レンブラント・ファン・レインの「ヨセフの夢」とフランツ・シューベルトの「アヴェ・マリア」
- フィンセント・ファン・ゴッホの「悲しむ老人(永遠の門)」とレオシュ・ヤナーチェクの弦楽四重奏曲第2番から「親密な手紙」
- マーク・ロスコ「アンバー、ブルー、アンバー、ブラウン」と即興演奏
- ノーマン・ロックウェルの「The problem we all live with」とコールリッジ=テイラー・パーキンソンの弦楽四重奏曲第1番Calvary
写真/別プロジェクトの公演では、ヘルダー(ヴァイオリン・写真左手)とベッセリンク(チェロ・写真右から2番目)を含む演奏者が映画に生演奏をつけた (c) Rob van Dam企画が生まれたきっかけについて、
映像作家としてこのプロジェクトに関わるチェリストの実の兄弟であるヒース・ベッセリンクはこう語りました。
「過去に2枚の絵画を写真として再現する機会があり、いつか映像としても作ってみたいと考えていました。ある日、レオナルドとミルテにそれを話したら『
音楽をつけて作ろう』という話になって、この企画が生まれたんです」
「絵画は
時間の中で固定された
静的なもので、
音楽は動きの中にあるもの。ヒースが絵画を生きた映像にしたので、そこで初めて、録音ではないかぎりは
時間の中にしか存在できない『音楽』という芸術の形式と組み合わせられるものになった。素晴らしい取り合わせです」とヴァイオリニストのミルテ・ヘルダーが言葉を継ぎました。
夢と現実をつなぐ映像
チェリストのレオナルド・ベッセリンクは、絵画を選ぶプロセスを振り返ってこう語ります。
「アイディアは、現実世界と対照的な
『夢』の世界から始まりました。1枚目の絵画であるウォーターハウスの作品を通してどう制作できるか確かめた後、私たちは夢にまつわる絵画を探しにかかりました。レンブラントの『ヨセフの夢』は文字通り、夢に関わる絵ですが、他にも抽象絵画だったり、現実味のあるものになったり、魔法のようで美しかったりと、作品ごとに変化します」
作品ごとに映像の雰囲気は
大きく異なり、曲の選択もさまざまです。
「いくつかの曲はとても
論理的に選ばれています。例えば、『ヨセフの夢』では、(画面に登場するソプラノ歌手が扮した)天使が『アヴェ・マリア』を歌います。
他の作品では、フィーリングが重視されているものもあります。楽しい曲をつけると変わるように、音楽によって、体験が変化します。
作品の異なる側面を見せたかったのです」とヘルダー。
最初の作品である、ラファエル前派の画家ウォーターハウスの絵画とドビュッシーの弦楽四重奏曲は、制作時期は
数年しか違いがありません。聴いていて自然な組み合わせだと感じられたのは、イギリスとフランスと国は違っても、同時代の空気をまとった作品だからなのかもしれません。
コロナ禍でも制作を続行
昨年、数多くのプロジェクトや活動が休止していましたが、その中でも
映像制作をチームで続けたことは「刺激的」だったとヒース・ベッセリンクは振り返ります。
「レンブラントの作品『ヨセフの夢』を制作している時、大人数のチームで映像を収録していたその日の夕方に、次のロックダウンについての発表されたこともありました。他の絵画作品に関しては、より少ない人数で収録しました」
日々状況が変わる中での撮影には、いつになく緊迫感があっただろうことが想像できます。
写真/天使に扮した若手のソプラノ歌手が空を飛ぶ『ヨセフの夢』撮影風景 (c)Rob van Dam
聴覚と視覚の総合的な体験
6月17日にはオランダのアメルスフォールト市内の映画館で2公演目が開かれ、ベッセリンク、ヘルダーを含む
弦楽四重奏団が大きなスクリーンの前で、映像に合わせて演奏しました。
美術館もコンサートも行けない
9か月ほどにも及ぶ日々を過ごした聴衆にとって、動く絵画と生演奏のパフォーマンスは
衝撃的なものだったようです。
「聴衆からは、
音楽の効果はなんと強いものかと言われましたね。最初のウォーターハウスの絵画にはチャイコフスキーの『アンダンテ・カンタービレ』は甘いカンタービレの曲で、その次の絵画には楽しげな曲を演奏しました。
絵画と同じ雰囲気の音楽を合わせることもできますし、
絵画とは違った要素を加えて遊びを入れることもできるのです」
動く絵画としての映像には、
人物の表情や動き、色彩や場面設定など、さまざまな情報が詰め込まれており、観客を引きつけます。
ハープや木管、ソプラノの演奏は映像に収録されており、クァルテットがそれに合わせて演奏するのも特徴的です。
さらに、「ミルクを注ぐ女」では壺から牛乳を注ぐ音が、ゴッホの「悲しむ老人」では暖炉の火が爆ぜる音など、それぞれの絵画作品に描かれている
重要な物の出す音の要素もさりげなく加わっていることも印象的です。まさに「絵画を聴く」体験です。
同プロジェクトでは、絵画を映像化するにあたって、描かれたシーンだけではなく、物語の
前後のストーリーや、
現代人の視点から作品を捉えなおすことにも挑戦しています。例えば、黒人の小さな女の子を中心に人種差別を描いたロックウェルの作品について、現代のオランダの子どもたちに絵を見せて、話を聞いたドキュメンタリー形式の映像が盛り込まれていました。
Club Classiqueのブレーンとして活動してきたヴァイオリニストのヘルダーは、こう語りました。
「私たちは全てのプロジェクトにおいて、音楽以外の何か
特別なエクストラを音楽に加えようとしてきました。心を動かすものを探し、音楽に何を加えるか、音楽がどのような違いを生むかということです。
映画になった絵画では、音楽はサウンドトラックのようになります。映画の中の音楽も
感情を掻き立てるものですし、映画を
より生きたものにしてくれます。
映画が音楽を生むのです。映画にはストーリーがありますよね。私たちは、
1足す1が3になるようにと願っているのです」
なお、6月27日には下記のアドレスで
有料のストリーミング配信が行われる予定です。本公演に使われる映像のうち、ウォーターハウスのな「ヒュラスとニンフ」の映像が予告編として限定公開されています。
https://www.theaterdakota.nl/event/live-stream-moving-art/#video-TJ5Vmfe6AGg
何百年も前に書かれた楽譜を現代の音楽家が読み、その人を通して生演奏として表現することで音楽が生まれるのと同じように、現代人としての視点から過去の西洋絵画を読み解いたことで生まれたのが、これらの映像作品だといえるかもしれません。
そこに弦楽クァルテットの演奏が加わることで、聴覚と視覚に訴える、ひときわ強烈な体験が生まれます。同シリーズの今後にも注目していきたいところです。
取材・文 安田真子