■日曜・月曜定休
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ー経歴をお話しくださいますか。
六才の時にバイオリンを習い始めました。一生懸命に練習した割には今、思い返してもよく覚えてないんです。というのはね、余り自発的な子じゃなかったの。でも嫌いではなかったんでしょうね。練習するのがいやで、そんなに嫌いなら、もうやめなさいと言われてもやめたくなかったのだから...。
桐朋学園の子供の為の音楽教室から、そのまま高校に(ずるずると)進みました。それまでは本当に消極的な子だったのですが、高校に入ったら大変自由な、リベラルな雰囲気が大変気に入って、何かすべてバラ色の人生に思えてすごく楽しかった。でも囲りは皆、素晴らしい人ばかりで、潮田益子さん、松田洋子さん、安芸晶子さん、チェロの堤さん、石井志都子さん、建部洋子さん、こんな人たちの中で私は全然浮かばれなかったけど、楽しかったんです。高校の終わりにこの方たちが外国へどっと留学なさって、私にもコンサートマスターや室内楽が回ってきて、弾くのがすごく面白くなりまし た。高校三年の時、江藤先生のレッスンで、先生の美しいバイオリンの音色を聴きながらそういう音をどう工夫して出すかということを私の心で感じ取れたのは幸運でしたね。今でもあのレッスンの感じを思い出すと、身が震えます。
又、同じ頃にブローダス・アール先生 (故人。元、日フィルコンサートマスター)が学校にいらして、やっぱり音色の話をなさったんです。モーツァルトのシンフォニー39番の第2楽章で、ここは緑でも濃い緑、ここは急に明るい感じになったから若草色、ここはさわやかな青色とか、そういう言葉が私の心に焼きついて、音楽をやりたいという気持ちが自然に、そして強烈にわいてきたように思います。
大学に入ってから、桐朋のオーケスト ラのアメリカ旅行がありました。その時、小澤さんの指揮のボストンシンフォニーで、ドン・キホーテをタングルウッドで聴いたんです。ビオラの大きなソロがあるんですよね。チェロのソロが主役で、そのイタリア人のビオラ弾きの音にすごくショックを受けて(それも生まれて初めて“ビオラの音”に接して)、私もどうしてもああいう音を出したいと思いました。すぐ小澤さんに紹介して頂いて、その方に会いました。(彼はパスクローレという方で今、フィラディルフィアの主席でビオラを弾いておられます)
私の弾くのを見たり、私の手を見たりして、バイオリンからビオラに替わるのは可能と言ってくださいました。その一言で替わろうと決心したのですから、本当に衝動的な決断でした。学校にはビオラ科はないし、帰国してまずはビオラ探しから、たった一つ知っていたバルトークのビオラコンチェルトの譜面を買ってきて、ほとんど自己流で勉強して卒業試験を受けました。試験の時に皆、なぜ私がビオラに替わったのかと随分驚かれました。本当にビオラに惚れて替わったという動機が、今でも私を強く支えてくれていますね。
その後、コンクールに出たり、ミュンヘンに行ったりしました。室内楽をやったり、マルボロに行ったり、ほとんどジプシーみたいな生活が何年も続いたんです。その後に、今から15年位前なんですけど、シカゴにバーミア・カルテットっていうのがあって、メンバーはシカゴの大学で教えていたりしたんですけど、そこのカルテットに5年間入って、年80回ものコンサートをやり、カルテットの勉強をしました。カルテットの醍醐味を味わいましたね…。それが(今でも)私のバックグラウンドっていうか、栄養剤になっているような気がします。あんなにすごく価値のある音楽生活ってなかったと思います。
個人的な理由でこれ以上カルテットを続けられないというので、10年前にやめて、それでまたソロに本当に力を入れて第一歩から出直しました。本当に今まで幸運だと思います。今はドイツの学生、ドイツアカデミーっていうのかな、そこで20人位教えています。けど、とにかく忙しくて。ありがたい話だと思います。
ーシカゴの後の活動はずっとヨーロッパですか?
ええ、まあオランダに住んでいますからヨーロッパが中心ですが、日本、アメリカにも一年に数回行っていますし、スカンジナビアも行くし。
ー今はもうビオラに転向されて大成功されているわけですが、いつ頃ビオラに替わってよかったと思いましたか。
そういったことは今までないんです。というのは本当に好きで替わったから、あえて言うなら転向した時点でビオラしかないんです。(笑)ビオラを弾きたいっていうのが初めっからあったから、全然迷いがありませんでした。ビオラを弾くっていうのは性格的なこともあるんじゃないかしらね。やっぱり室内楽なんか弾いていて、チェロ聴きながら刻みなんかやっててすごく喜びを感じるし、中声音の音というのにものすごく直接的に感動できるのね。まあこれしかないって言 ったら、良かったも悪かったもないんですけど。(笑)
でもただ普通に(バイオリンからビオラへ)替わるっていう人にはそういう問題はわりとあると思いますね。ビオラの方が職があるとか、あなたは背が高くて手が大きいからとか、バイオリンをぶきっちょそうに弾くからとか。(笑)だから動機が問題で本当にビオラが好きになるまで時間がかかるし、そういうふうな気持ち(ビオラが好きという)にならない時もあるし、そういう人たちは苦労が多いと思います。私が生徒に教える時は、それが基本なんです。
やっぱり最初はみんな(生徒は)ディプレストっていうか、気がめいって落ち込んでる人が来るわけ。だから、そういう人たちに対して、ビオラを弾く喜びが芽生えてくるような教え方をしないといけないわけで、自分のインスピレーションがないと生徒がついてこないでしょ。だからこういうこともできる、ああいうこともできるって生徒に弾いてみせて。
ー先生はビオラという楽器の可能性をできるだけ生徒にみせたいと。
そうそう!やっぱり自分もやってみたいという気にさせるの。3年位かかるけどみんな好きになってくれるんです。コンクールに入れるとか、そういうのは全然目標じゃないんです。私の教える上でのモットーっていうのは、卒業してもそこで止まらないで50才、 60才になって本当にいい音楽が弾けるっていうことなんです。
―テクニックでなく、楽器を好きになることを教えるんですね。
ええ、でもそうすると本当に(生徒は)伸びるんです。ビオラっていうのはバイオリンと違ってね、バイオリンなんて18才位でもたもたやってたら、もうあんまり望みもないけど、ビオラっていうのは大器晩成っていうのか何ていうのか、わりと後からくるものなんです。だから、そういう意味では、あせらなくていいし、教えてておもしろいんです。
ー今の主な活動は。
今までは室内楽、ソロ、教えること、 これらが三分の一ずつだったけれど、最近は室内楽がちょっと減ったって感じかしら。ちょっと悲しいことだけど。
―どれがおもしろいですか。
やっぱり音楽家としてビオラのソロだけ弾いているってすごくかたよってるということですね。だいたい曲が少ないし。 室内楽を弾くってことは自分の蓄えになるんです。素晴らしい四重奏とかは、やっぱりやってて満たされるし、そういう蓄えたものを生徒にあげて、自分はカラになったって感じの循環を繰り返しています。生徒に教えるのはものすごく労力を使うし、教えた後はもうカラッポになって。もっとさらわないと。(笑)でもやっぱり音楽がなかったら人間が小さくなってしまう。私自身半分もないと思います。
ー今使っている楽器は?
今、2本持っていて、両方とも使っています。一本はマンテガッツァの1767年製、 もう20年以上使っています。これを手に入れたのはニューヨークのウィリッツァーで、あの時トノーニとか、プレセンダとかがあって、トノーニの方がそばで聴くとすごくいい音色をしていたんだけれど、力がないっていうか。トノーニはもう限界かなっていう感じがして。マンテガッツァは、その時は何ていうか、ああこれだって感じではなかったんです。 けれど弾いてみたかったので2ヵ月位借りて、そのうち本当に好きになっちゃって買ったんです。今思うと、この楽器がなかったら今の私のキャリアはなかったと思います。この楽器はまさに私に合っていたというか、まあ、人と知り合うのと同じで、両方でアジャストできるんです。この楽器だとどんなオケと弾いても、音が“サー”と通るんです。自分の思った音を出せるのはこのマンテガッツァで、すごく好きな楽器でなかなか離れられない。(笑)
もう一本はアンドレア・ガルネリで、2年位前に手に入れました。これは何ていうのか、ものすごく気品があって、ノーブルで味があるっていうか、ガルネリの音のつやっていうのか、そういう音がして、弾いててすごく満たされるんです。少し大きいんです、16 ⅜インチかな。マンテガッツァは16 ¼インチです。マンテガッツァは20年たってやっと私の自由自在になってくれたけど、ガルネリはやっぱり楽器の王様だから、日一日、楽器を知っていく感じで、これからって感じです。この楽器は40年間そんなに弾かれていなかったんです。アメリカのある指揮者が持っていたんですけど。 ビオラって本当に弦を振動させて、裏板を振動させて弾かないと音が出てこないでしょ。だから音を出していくのが私の任務だし、音をキープしていくのには責任を感じています。だってこれからまだ何年かわからないけれど、すっごく弾かれるわけでしょう。それだけに、本当にいい楽器にしておきたい。このビオラは300年位たっているけど、これまであんまり本職のビオラ奏者の人に弾かれてないんです。本当にこういう楽器に巡り会えるのは一生に一度ですね。
ー楽器の大きさにはこだわる方ですか。
こだわりますね。やっぱり自分で弾ける大きさの中で最大のものを欲しいと思います。だからこの2つの楽器がマキシマムなんです。これ以上大きいと弾けなくなっちゃう。弾く時、できるだけ労力を使わないで、一番少ないエネルギーでどれだけの音を出せるかっていうのが私の勝負どころなんです。自分はどんどん歳をとっていってエネルギーはなくなっていくんだから、力の配分をうまくやらないとやってはいけないと思います。バイオリンだったら違うのね。(比べると)オモチャみたいだし。ほんと、ビオラは力勝負だから。音楽会の次の日なんかもうヘトヘトになっちゃって。
ー弓は何を使っていますか。
今持っているのはボアランとフェティークと、あと最近手に入れたペカットの3本です。私はわりと軽い弓が好きなんです。ボアランは少し軽すぎるんですけど、軽い曲を弾く時や、すごく速いものを弾く時に使ったりしています。オケと弾く時にはちょっとパワーがないかなって感じて。フェティークは全体的にいいんだけど、(弓の)真ん中がちょっと弱いんです。そういう意味では、ペカットは健康ですごく強くて、これから何年も弾けるって自信があります。本当にビオラの弓っていうのは捜しても捜してもなくって。(笑)
ー楽器2本、弓3本は使い分けていますか。
使い分けています。その時のムードによってどの弓を使うとか、自分の感じで、体の調子とかもあるし、いつもペカットを使っているわけじゃないんです。
ーそれじゃあ、室内楽とかソロとかで使い分けるんですか。
私はペカットで弾いていれば安心なんです。ただ私の場合、千ドル位の安い弓でも満足できる時もあります。オケと室内楽をやる時は意識的に使い分けています。
ー曲によって弓や楽器を使い分けることはありますか。
それはあります。パガニーニを弾く時はボアランが絶対、もう絶対!(笑)モーツァルトのコンチェルトを弾く時はやっぱりぺカット。重みで弾かないと、音がはっきり出ないし、まあ (使い分けに)はっきりと決まりがあるわけじゃないけどね。(笑)ビオラの2本は大きさが違うから、音程とかでとても苦労します。1本弾いててもう1本の楽器に弾き替えたら、慣れるのに一週間位はかかるんです。(2本のビオラの)性格が全然違うから。どちらも大好きです。だから耳と弾き方がそれぞれの楽器に慣れるま でが、人に会ってその人に慣れるまで時間がかかるのと同じですね。微妙なもんね。(笑)
今、いろんな新曲をやっているんです。この楽器(ガルネリ)を手に入れてからレコーディングするのがすごく好きになってきて。CDも、この間ブラームスを録ったし、今度シュニトケってロシア人のビオラコンチェルトや、アーノルド・バクスのCDとか、クラリネットとピアノとビオラの室内楽のCDを作ったり、今、武満さんが私にビオラの曲を書いてくださっていて、11月に初演をパリでやるんです。ビオラ奏者としてすごく名誉あることなんですよね。そういう曲を書いていただくなんて。そういう意味では責任を感じているのと、うれしいのと。
そういうことで、今ガルネリがすごく 活躍しているところなんです。 今いろんなプロジェクトがあって、自分の体力と相談して、自分の納得した演奏をしたいのに、忙しすぎていいものが作れないです。
ビオラ好きな人ってすごく多いんですよね。アマチュアの方で。また良く勉強していらして、私のことを私以上に知っていたりとか。(笑)そういう人をみると大変だと感じて。
ー音楽上のモットーは。
自分のものを作り出すっていうか。パフォーマンスとして出てくる場合、その一度一度が Living-Experience っていうか、生きてる体験だと思うんです。だからその生命がなくなっちゃったら価値がなくなるんです。だから、そのためにいつも音楽を新鮮に感じたいっていうのが私のモットーなんです。曲っていうのは一度弾いたら交代するでしょう。それをまた再現してってというか、中で蓄えて、また作り上げて、新しい何かを創造しなければならないんです。今日弾いて、明日弾いてもそうでしょう。(特に)ビオラの場合は同じ曲を何度も何度も弾かなきゃならない事が多いんです。そうするとその度に一歩一歩上っていくっていうか、初心の心で何べんも弾いた曲に接したいです。
日本はマーケットとしては世界でもNo.3に入る位、もうみんな(プレイヤーが)いきたがるところで、それだけに音楽会がすごく多いところだし、ホールもあるし、条件がみんなそろっています。音楽会の値段が高いってことを除いては。(笑)子供たちもみんなピアノを勉強してるし。
音楽を教えてる先生方に、音楽家として誇りに思えるような人を育てて頂きたいですね。難しいとは思いますけど。それだけ余裕がでてきたら、音楽の作り方っていうのも自然に変わってくると思います。音楽全体を見て、派閥だとかそんなことは関係なく、いい音楽をするっていう雰囲気にもっていけたらっていうのが私の理想です。