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写真:"Musical Instruments"by Evaristo Baschenis,"les violons",Venetian instruments Paintings and Drawings,1995,Caompagnie Bernard Baissait,page233より一部引用

バイオリン商 デビッド・ローリーの回想録
珍しい体験・その1


■ コレクションの譲受

サンクトペテルブルクに住む貴婦人のお宅を訪ね、早速コレクションを見た。保存状態はいずれも第一級のものではなく、駒、弦すら張っていない状態だった。音色を試してみることはできなかったが、適切に調整をほどこせば充分な売り物になると私は思った。

売買契約はすぐにでき上がった。こうした契約というのは、買手、売手の双方が公正取引の精神で行動すれば、時間はかからないものなのだ。
そこで、私の英国小切手を現金化するためにかの執事長と私は、貴婦人の口座のある銀行へ出かけることになった。

我々は銀行の応接室に案内された。銀行にとって、我々の用事はとるに足りない内容だったと思うのだが、丁重かつ親切な扱いを受けたのであった。銀行で為替操作が終了すると同時に、売買契約も完了した。

別れ際に、執事長は市内の名所を見物したいかと私に尋ね、もしその気があるなら、主人の友人を翌日差し向けたいと申し出た。私は謝意を述べながらも、もうすでに案内者を一人雇ってあると丁重にお断りした。

彼は、私が拒めば主人はきっと失望してしまうだろうからなんとかして主人の友人の同行を許可してほしい、と懇願するので、結局私は承諾してしまった。


■ 梱包用の楽器ケース

予定の次の仕事は、購入した楽器の梱包用ケースを探すことであった。私はピリーに相談をもちかけた。彼の話では、ロシアの職人たちは、私の希望通りのものは理解できないだろうし、ましてや作ることは、到底無理な問題だというのだ。仮にできるとしても、半月以内ではとても無理とのことだった。

しかし、箱は何とか手に入れなければならなかったので、私は彼に、有能な職入のいるような大きな店に連れていってほしいと言った。すぐに、例の馬車がロ笛で呼ばれ、前のように料金で議論することもなく、我々は乗り込んだ。

…本当のところ、私は歩きたかったのだが、費用とは無関係に、我々の威厳を保つため、居合せる人々、その店の主人、下僕たちにまで、それ相応の印象を与えねばならなかったからである。そこで、もう一度ほんの少しの間、街路をガラガラと走らせた。
店に到着すると、職人たちの働いている広い中庭に通された。彼らの大部分は、色々な大きさの木を短い手斧で切っていた。そんな簡単な道具で彼らが作り出す滑らかな木面は、とても素晴らしいものだった。

我々は支配人の部屋に通され、そこでピリーは私の要求しているものの説明を始めた。私にはその会話はとても理解できなかったが、話が進むにつれ、支配人の顔がだんだん困惑の表情に変わっていくのがわかった。

しかもピリー自身も、私の求めているものを理解していないことが分かった。そこで私は、チェロケースの形をスケッチして、両端の四角が大きめのケースを図で説明してみせたが、彼は全く理解できないようだった。
写真:19世紀のチェロケース(19th century wooden cello case / Pinterest)
私はピリーをその場に残して 婦人の邸宅へ戻り、空のチェロケースを抱えて店に帰ってきた。それを地面の上に置き、その回りをステッキの先で線を引き、私の望む箱の高さを示した。

ようやく彼は原型をつかみ、半月で仕上げようとその仕事を引き受けた。しかし、その日数だと私の予定には間にあわない。一時間程の議論の末、ついに四日で仕上げる約束を取りつけた。

これでようやくこの箱が仕上がるまで、この地には何の用事もなくなった。ホテルに着いて、わたしはピリーに、明日から三日間は用事がないので、四日目に来てくれるように頼んだ。


■ サンクトペテルブルク見物

翌日10時頃になると、一人の男が給仕に案内されて私の部屋に現われた。いかつい態度で外套を脱ぐと、二枚の名刺を私に手渡した。一枚は貴婦人からのもので、もう一枚は彼自身のものであった。
私はあっけにとられた状態であったが、すぐにその着ている制服から、海軍士官であると判断がついた。
これは何かの間違いではないかと思った。最初に英語で話しかけてみたら、彼には通じなかった。次にフランス語で尋ねてみた。「貴方のような人が大切な時間を費やして、私を市内観光につれていってくれるなんて考えてもいなかったことだが、これは何かの間違いではないでしょうか?」「いいえ、間違いではありません。私は尊敬する親戚の者の依頼で参上したのです。私が同行しますと一般の観光者に開放されていない、色々珍しい所へも案内できるのですよ。ですから、普通の案内者の場合より一層楽しいものになるだろうと彼女が考えたのです。」
私はただただ、この貴婦人と彼の親切に感謝の意を表するしかなかった。そして、我々は連れだって出かけることにした。
サンクトペテルブルクについては、私よりもずっと優れた記述で、色々な人によって描写されているから、あえて我々の訪れた名所の詳細には触れないことにする。

ただ、我々はとても楽しい一日を過ごし、5時頃帰途についた。私は彼をタ食に招待したいと誘ったが、今日はタ食会の予定があると言った。そのタ食会というのは、ネバ港に碇泊中の皇帝の御用船上での晩餐で、残念ながら私の招待は受けることができないとのことだった。私の感謝の気持ちは、意図だけで断念しなければならなかった。

彼は私をホテルまで送ってくれ、翌日の打合せを終えると帰っていった。

それからの二日間、彼は私のところへやってきては、およそ名所といえる所すべて誠実に案内してくれた。
この仕事が彼にとって、かなり退屈なことに違いないと私には分かっていたが、そういう顔は少しも見せずに、大変愉快に付き合ってくれた。三日目の最後の夜彼は御用船での食事に招待してくれた。私は喜んでこの招待を受け、その宵を楽しく共に過ごした。

私の見たたくさんの名所の、どれをとっても非常に興味深い物ばかりであったが、中でも特に私を感銘させたのは、ニケ所あった。一ケ所は大洪水期以前のマンモスの剥製と、もう一つはネバ湾にある聖ペーテルとパウロの島であった。

写真:ライヒェナウ島,聖ペーテル・パウロの教会

第30話 ~珍しい体験・その2~へつづく