自然からも学ぶチェロ・マスタークラス in Italy
イタリアのアンコーナ音楽の友の会が2019年に始めた、ちょっと変わった内容のチェロ・マスタークラスが評判を呼んでいます。今年9月に行われた第4回目のマスタークラスに聴講で参加してきました。
被災した町の再生を願って
イタリア中部マルケ州にある人口3000人ほどの小さな町
サン・ジネシオ。2016年に周辺地域を襲った地震の影響を受け、被災したままの建物が多くさみしい印象です。それでも窓際に飾られた花や道路の清潔さ、家庭農園などが住民の暮らしを伝えています。
この場所では、2018年前からチェロのマスタークラスや関連コンサートが毎年開かれるようになりました。1週間程度の期間中には、町中に各地から集まった若い人や子どもたちの姿が見られます。劇場は閉鎖されたままで、町全体の復興はごくゆっくりでも、
4年続いている国際的なマスタークラスは、町の再生プロジェクトの確かな一部となっているのです。
指導をするのは、
イタリア人チェリストのマリオ・ブルネロです。山を愛し、チェロを背負って富士山にも登頂して演奏したこともあるチェリストと、標高約700メートルの丘の上にあり、変化に富んだ山脈を擁する国立公園もあるこの町の相性は抜群。運命的な出会いだったようです。
風変わりなマスタークラス
期間中には、
プロ志望の若手向けマスタークラスのみならず、誰でも参加できる
一般クラスも開かれます。参加者は10代のジュニアからレイトスターターのアマチュア奏者まで、「
9歳から99歳まで対象」という募集要項の言葉どおりに多彩です。
今回は、イタリア最南端のシチリアから北部はもちろん、アメリカから長期滞在でチェロの講習やコンクールを受けに来ている親子までが集まりました。
プログラムもとても
個性的です。通常の楽器を用いてのマンツーマンレッスンに加えて、
3回の野外活動が含まれており、どれも全員参加が原則。「
手法」を学ぶための
手工芸の工房などの見学、「
形式」を知るための
美術鑑賞、さらに「
自然」を体験するための
軽登山という活動が盛り込まれているのです。
一見、音楽とは関係のないことでも、「実際に足を運び、さまざまな文化に触れることで、自然や手工芸、美術などからも
インスピレーションを得て、音楽に活かしてほしい」という講師たちの強い願いがこめられています。この点も第1回の開催時から変わらず、
一貫しています。
さらに初日には、
元修道院の中庭で、ブルネロとマリア・サラナーロ(ピアノ)のデュオコンサートが無料で開かれました。シューマンの『アダージョとアレグロ』、次いでブラームスのチェロ・ソナタ、リヒャルト・シュトラウスの歌曲『4つの最後の歌』の編曲版という曲目。
受講生たちは、この圧倒されるほど精緻で表現力の豊かな演奏を聴いたあと、出演者たちからレッスンを受けたり伴奏をしてもらったりという機会を得るのです。
『誰もが同じ道を通る』
期間中は、年齢も技術レベルも異なる受講生たちを対象にしたレッスンが毎日
6時間近くつづきました。
プロ志望のマスタークラスでは、無伴奏曲やソロ・レパートリーの
音楽的な課題について集中して指導を受けていました。同じ調子で弾き続けてしまったり、意志を持って音がコントロールされていなかったりする箇所には、ブルネロの鋭い指導が入ります。
一方、一般クラスのジュニアやアマチュアプレーヤーには、師
アントニオ・ヤニグロの指導を元にブルネロが著した
教本『24日間の練習(原題:24 giorni di studio)』の適した部分を使いながら、
技術的な問題を解決すべく指導が入ることもありました。
チェロの基礎テクニックに関して、「
誰もが同じ道を通っている。技術的な課題をひとつずつ乗り越えていく必要がある」とゆっくり語るブルネロ。遠い道のりながらも、一人ひとりのレベルに合わせて指導をし、成長を信じてくれる名チェリストの言葉に、受講生が
勇気づけられる場面は感動的です。
「指導方法を変える必要を感じていました。再スタートの場所として、ここを選んだのです」
第1回のマスタークラスを始める前にブルネロがそう語ってから、4年が経ちました。今年のマスタークラスでは、以前に増して
リラックスした表情と的確な指導が印象的でした。
受講生ごとに指導スタイルやテーマを柔軟に変え、ユーモアを絶やさず明るくはっきりと伝える姿からは、演奏者としてだけではなく
指導者としても素晴らしく、稀有な存在だいうことがと改めて感じられます。
部分的ではありますが、ピンポイントで指導内容をいくつかご紹介したいと思います。
・バッハ(無伴奏チェロ組曲)を弾く時には、弦をおさえた
左手をすぐに離さず、できるだけ残す。共鳴の音を維持すると、一気に響きが豊かになる。
・
ヴィブラートで音程などをごまかさない。
・一度音を出してから指をずらして音程を直すくせがつくと、間違ったままになる。
正しい音をすっと取る練習を集中して行うこと。頭の中に
測りを作るようなイメージ。
・ただ繰り返す練習は時間の無駄。
どう弾きたいか、どのような音を出したいか。いつも考えてから音を出す。
山頂で見つける「自分の音」
山登りの日、
チェロを背負って臨む受講生が9名もいました。まだ日差しの強い時期に、重たい楽器を持って山道を行くのはたやすいことではありません。それでも9人が楽器を持参することに決めたのは、講師のブルネロが自身で示してきたように、『山頂でチェロを弾くこと』には大きな価値があると考えたからです。
「
ホールで弾くと、5割がホールの音で、残り5割が自分の音。山で弾くと出てくる音に最初は驚くかもしれないけれど、いずれ
自分本来の音を見つけることができる」とブルネロ。
さらに、山の稜線を指して「バッハを弾く前に、あの山の印象を音で表現して」、「まわりの環境からインスピレーションを得られるように、心の準備をしてから弾きはじめてみて」と受講生に声を掛けます。風が吹く音や鳥のさえずり、虫の羽音にまじって、チェロが鳴り始め……。
どんなに大きなホールも敵わない、
大自然という舞台で響くチェロ。もしも自然体のままの音楽、音楽というものの素顔があるのなら、山頂のチェロの音こそがそこにつながっているのかもしれない、という気がしてなりませんでした。
音楽とどう向き合うか
最終日の前の晩、サプライズコンサートが開かれました。18歳の誕生日を迎える受講生のため、日付をちょうど越える頃に、ブルネロと受講生たちから祝いの演奏と言葉が贈られたのです。
ブルネロは、4年前にジョヴァンニ・ソッリマに委嘱した曲「Il suon di lei」と即興演奏、さらに、わけあって長年演奏してこなかったというベートーヴェンのチェロ・ソナタ第5番を演奏しました。
真っ暗な教会の中庭で、真四角に切り取られた星空を見上げながら聴くチェロの調べは、次元を超えるようなスケールの大きなもの。居合わせた受講生たちの間に忘れられないほどの感動と不思議な一体感が生まれました。
「音楽とどう向き合うか」を改めて考える場として、このマスタークラスは一過性のできごとではなく、それぞれの人生に大きな影響を与えたようです。どう楽器を弾きたいのか、しいてはどう音楽と向き合っていくか。それは生き方そのものにつながっているからです。
目先のテクニックや目先のことに捉われ忘れてしまいがちな大切なことを、音楽家たちが私たちに問い直し、身をもって答えのひとつを示してくれたような、貴重な6日間でした。
Text : 安田真子 Photo : Ginevra Bellesi