バイオリン商 デビッド・ローリーの回想録
第9話 ストラディヴァリウスのチェロ・その1
セルヴェ氏のストラディヴァリウスのチェロは大型で素晴らしかった。これほど大型ではないが、はるかに健康状態の良い、素晴らしいストラディヴァリウスのチェロを購入したことがある。
この頃、
ニコラ. F.ヴィヨーム氏は、道路拡張のために彼の古い家がブラッセル市当局に買い上げられたので、大きなアパートに移転していた。
その家は四階建てであったが、まだ一部分だけしか家具造作が整っていなかった。彼は二部屋を自身専用として使い、彼が雇っている職人の
ニコラには、せまくて不便な屋根裏部屋を作業室に充てた。
この屋根裏部屋は、夏は暑く冬はとても寒いので、気の毒なニコラは、難渋していたようだ。
ある日の午後、私はヴィヨーム氏を訪ねた。あいにく彼は不在で、何時頃戻るのかも誰も知らなかった。そこで私は、四階まで階段を上っていって、ニコラとおしゃべりをすることにした。彼はその時、新作のチェロに取り組んでいて、熱心に仕事をしていた。
彼はかげ日なたのない、本当に真面目で信頼のおける人物であった。彼は自分の給料のために、忠実に仕事をしていた。私は、座って、あたり一面に散らばっている楽器をひとつひとつ手に取ってどんなものがあるのか丹念に見ていた。「たいした楽器はありませんよ」とニコラは言い、「師匠は、良い楽器はぜんぶ階下にしまっていますから」。
「ときに、君は年にかなりのチェロを作っているんじゃないかね。前の工房にいた時も、私がいくたびにいつも製作中だったものね。」と私が言うと、
「ええ。」と答えて、
「私がたくさん作って、師匠がニスを塗り、駒を立てるんです。このチェロは評判が良くて、ある人は、お兄さんのよりずっといい音が出るという人もいますよ。」「あそこのチェロは大型みたいだね。」と私は言いながら、表甲をこちらに向けて壁に立てかけられているチェロを指さした。
「それにあのf孔は何てきれいなカットだろうか!君はうまくなったねえ、ニコラ。その年齢でたいしたものだ……。それにしても、どうしてあんなに大きく作ったのかね?ヴィヨームさんにしても、どうしてニスの色合いを変えたのかね……まだあとひと塗りかふた塗りするつもりなのかね?」と言ったら、ニコラは首をふりながらほほえんだ。
「いえ、いえ、これは我々の作じゃないですよ。古いフレンチもので、私の考えでは、パリのニコラスの作じゃないかと思うんですがね。」
私は寄っていって、細部にわたって楽器を見てみた。そのチェロには、指板がついていたが、駒も弦もセットされていなかったので、少し離れた所から見ると、新作に見えたのだった。私は驚いた!手に取ったチェロは、何と保存状態の良い黄褐色のニスの、
やや大型の初期ストラディヴァリウスだったのである。私は、このことには触れずに所有者は誰かと聞いてみた。あいにくニコラは知らなかったようなので、話題を変えた。そうこうしているうちに、階下へヴィヨーム氏が帰って来た様子だったので下へおりていった。
「やあ!」と彼はさけぶように言うと、
「上でニコラと話していたのですか、何かお気に召した楽器がありましたか?」私は、ストラディヴァリウスのラベルが貼ってある、大型のチェロを見たことを話した。「
あれは、ストラディヴァリウスですか?」と私が聞くと、
「ストラディヴァリウスですかって!あなたがそんな質問をするなんて……ちょっとあんまりじゃないかね」と笑いながら言う。
「まあ、作者の論議はやめましょうよ。ときにあのチェロは、あなたのものですか。それとも、売りに出ているものですか。」
ヴィヨーム氏が、
「私のものじゃないけれど、所有者に会って聞いてみましょうか。まあ、売るかどうかはわからないけど、いったいいくらぐらい払うつもりがあるのですか?」というので、私は予算を伝えた。
彼はすぐに所有者のところへ出かけて行って二時間もすると戻って来た。所有者は、私の提示金額に、ヴィヨーム氏の手数料20ポンドを加えてくれるならば、手放しても良いと言ったらしい。私はすぐに承諾して三週間後に旅行から戻るまでに駒や弦をセットして調整しておいてくれる様に頼んだ。
第10話 ~ストラディヴァリのチェロ・その2~へつづく