弦楽器メルマガ
BG Newsletters 配信中!
BG Newsletters に登録する登録する

日曜・月曜定休
Closed on Sundays & Mondays

10:30~18:30

112-0002 東京都文京区小石川2-2-13 1F
1F 2-2-13 Koishikawa, Bunkyo-ku,
Tokyo 112-0002 JAPAN

後楽園駅
丸の内線【4b出口】 南北線【8番出口】
KORAKUEN Station (M22, N11)
春日駅 三田線・大江戸線【6番出口】
KASUGA Station (E07)

第44回 氷の楽器の秘密 in Padova

コンサートホールの客席に入った観客は、舞台をふと見上げて、いつものオーケストラの演奏会とは異なるものがステージにあるのに気付き、驚きの表情を浮かべました。ビニールでできた半球体が舞台の中央に設置され、その中には氷の楽器がスタンバイしていたのです。氷でできたチェロのための協奏曲が演奏されるコンサートでは、楽器を演奏できる状態に保つための工夫が各所に施されています。
ホール内の気温も通常より低く18度ほどに設定され、舞台の照明もかなり落とされて薄暗いホールには、普段とは異なる緊張感が流れていました。昨年11月9日イタリア・パドヴァのヴェルディ劇場。氷のチェロとチェリストが出会い、協奏曲を披露するのは、2018年以来、2度目のことでした。

氷を使った楽器づくり

同コンサートでは、3台の氷の弦楽器が演奏されました。ヴァイオリンが1台、チェロが2台です。いずれも、氷の楽器を数多く手がけてきたアメリカ人アーティストのティム・リンハートさんの主導で作られた楽器でした。過去20年以上にわたって、リンハートさんは氷で楽器を作るための試行錯誤を重ねています。

温度が変われば簡単に融けてしまう『』という素材。カーボンやガラス、金属などの異素材で弦楽器を作るこころみは過去にいくつも見られますが、なぜ氷で作ることになったのでしょうか。どのようにして、コンサートで協奏曲を演奏できる状態まで仕上げることができるのでしょうか。

コンサートに続いてパドヴァ大学の植物園で開かれた講演会では、リンハートさんからアイス楽器の制作秘話が語られました。こちらの記事では、その講演会で語られた内容を中心にお伝えします。

アイス・ミュージックの始まり

冬が大好きなスキー狂の青年だったリンハートさん。若い頃、「お金が無くても毎日リフトに乗ってスキーができるように」と考え、地元アメリカ・コロラド州のスキー場のオーナーにある交渉を持ちかけました。

「雪で彫刻を作るので、リフト券のシーズンチケットをもらえませんか?」

交渉は無事成立。真夜中をすぎても雪の彫刻作りに熱中する日が続きました。作品を手がけるたびに新たな工夫を凝らし、芸術性や技術を高めていったのも、これがきっかけだったそうです。

氷の彫刻を作り始めて16年経った頃、そろそろ氷の楽器が作れるかどうか、挑戦してみる時が来たとリンハートさんは考えました。
最初はヴァイオリン特有のセクシーな形状に注目していたところ、ギター製作家の友人に「どのような音がするのだろうね」と言われたことが、その後のほとんどの人生を変えたのだと語ります。そこから、実際に演奏できる氷の楽器製作への挑戦が始まったのです。

初めて聞こえた氷の音色

リンハートさんが最初に製作したのは、ピアノ線を張った巨大なヴァイオリン。楽器のボディの中から聞こえてくる音を初めて耳にしたときは、とても興奮したのだとか。

「本当に音が出たことに感激して、『弦の張力を強めれば、もっと大きな音がするかも』とさっそく試してみたのですが……本当にすごい音が出ました。ヴァイオリンが爆発して、粉々に崩れ落ちたからです」

わずかでも出た音を思い返して「これは続ける価値がある」と感じたリンハートさんは、以降20年以上にわたって氷の楽器の制作クオリティを高めるために研究を続けています。

「楽器の板部分を分厚くして、ずっと緩やかに張力を変えていくことに気を払う必要がありました。また、弦と弓による音の振動は、氷の緊張を緩めます」

氷の楽器のボディ部分は、板状に固めた氷を削ったり、継ぎ足したりして製作されたものです。すべての作業は氷点下の環境で地道に行われます。
現在、コンサートで使われる氷の弦楽器には、エレキギターのようにピックアップが内蔵されていることも特徴です。厳密に言えば、指版と弦、駒と弦の接触部分、エンドピン、ピックアップの部分以外が、氷を使って作られています。

調弦にも、氷の楽器を扱うときには、特別な注意が必要です。急激に圧力をかけると、氷に負担がかかって壊れる危険があるからです。アイス楽器は演奏の度にゆっくりと目を覚ました後、音楽家の手によって、ようやく音楽を奏でられるようになります。

異なるテクスチャーの使い分け

氷の楽器に素材として使われている氷には、いくつかの種類があります。
1つ目はボディに使われる白い氷で、2つ目は部分に使われている透明な氷です。異なるテクスチャーの氷を適所に使うことで、実際に音の出る楽器が実現されています。

白っぽく見える氷は、とても強度があります。空気の小さな泡が内包されていることがポイントです。雪が水と混ぜ合わせたときにできるこの泡は、氷の中に空気のスペースを保ちます。そのおかげで氷がより柔軟になり、ときに折り曲げも可能になるけれど、折れてしまうことももちろんあり、コンサートの最中に楽器が割れることもしばしばあったそうです。

イタリア南北を旅した氷のチェロ

リンハートさんと同連載でもおなじみのチェリストのジョヴァンニ・ソッリマらは、2018年にアルプスの氷河を素材として使ったチェロで、イタリア南北を縦断する演奏ツアーを敢行しました。そのようすは、ドキュメンタリー映画『N-ICE Cello 氷のチェロの物語』(2021年公開)で記録に残されています。

こちらのアイス・チェロ初演に際してソッリマが書きおろしたチェロ協奏曲『N-ICE Cello Concerto』は、冒頭で触れたパドヴァでのコンサートで再び演奏されることとなりました。

氷の楽器が演奏者に求めるものは演奏する度に大きく異なるので、同コンチェルトの楽譜の一部はあえて空白に残しているのだと、ソッリマは語ります。氷の楽器との2度目の出合いとなったパドヴァ公演では、パーカッション奏者との燃えるようなカデンツァが披露され、太古の眠りから氷のチェロが解き放たれるような瞬間がありました。

氷のオーケストラ演奏

2000年には氷の楽器アンサンブルの演奏会が初めて開かれました。会場は北イタリアのアルプス山頂エリアに特別設置された大きなスノードームでした。
ヴァイオリン、チェロ、コントラバスなどの弦楽器だけではなく、ドラムなどの打楽器、フルート、氷のシロフォン『ジェラートフォン』、パイプオルガンなどの楽器の制作にもリンハートさんは挑戦しました。
ヴァイオリンの一番薄い部分の厚さはわずか3ミリ。ちなみに、私たちはたった4呼吸で2ミリの氷を溶かすことができてしまうそうです。

観客を招いた演奏会でアイスミュージックが披露されるようになるまでには、失敗体験もありました。450人の観客が開演を待つ会場では、観客の息のあたたかさによって、気温が15度まで上がり、氷の楽器が融けだしてしまうことがあったのです。弦楽器はどんどん音が低く、パイプオルガンは高くなっていきました。

最終的には観客から出る暖気に対策をした会場が考案されました。バルーンで内側から型どりをした特製のかまくらのような『イグルー』が作られ、観客もアイス・ミュージックの魅力を安心して楽しめるようになったのです。

氷のチェロ演奏に際しては、演奏者と楽器とのコンタクトをできるだけ減らすために、エンドピンが床に固定されています。演奏時は、自立する氷のチェロをプレーヤーが両腕で包み込むようなかたちで弾くことになるのです。

長い時間をかけて制作し、細心の注意を払って扱ったとしても、一瞬でばらばらに壊れるリスクをはらむ氷の楽器。11月の演奏会のリハーサルでも、楽器の割れのせいで前日の練習が延期になるなどのトラブルがありました。
外気と氷の楽器のある空間を隔離して零下8度以下に保つバルーンや、演奏者の身体が発する熱や呼吸が楽器を溶かしてしまうのを防ぐため、ヴァイオリンには息がかかる部分に板上のカバーをつけることなどの工夫が随所に施されていました。

最新の研究成果を披露

コロナ禍のイタリアでは、演奏会が一時的に完全停止状態になりました。その間、リンハートさんはアイス楽器製作の研究に没頭していました。その甲斐あって、2022年11月には改良された新作楽器をコンサートで披露することができ、その結果に大いに満足しているようです。
「今回のチェロは、新しいタイプの氷を使った楽器です。25年経っても、まだ新しい発見があるのです」とひときわ嬉しそうに語ります。

「興味深い点は、以前とは異なる素材を使っていることです。スパークリングウォーターを使って楽器を作ると、ガスが入っているため、より白っぽくなり、軽くなるのですよ。
通常の弦楽器には、部位ごとに異なる素材が使われていますよね。表板には一般的には柔らかいスプルース材、裏板などにはメープル材など。2種類の材料には2つの異なる役割がある。柔らかい木材は低音を、硬い木材は高音を生み出せる。
アイス楽器でも、異なる素材を適した部位に使うことで、より良い音が出せるようになったというわけです」
元は彫刻家だったリンハートさんは、なぜ氷の楽器づくりにこれほどまでにこだわるのでしょうか。

「誰もが知る通り、氷というのは融けたり割れたりするもので、一時的な存在です。氷は素晴らしい『水』という素材であり、水がある所には生命がある。だから水というものは命だと考えるようになり、私にとって水は生きた素材になったのです。しかし、水が凍ると無が現れる。それに気が付いた時、氷で楽器を作ることが私のミッションになりました。水は私たち人間の身体の大部分を占めています。人間が死ぬように、氷の楽器も死んで水になり、その水はめぐっていくのです」

氷という冷たくて近づきがたい存在が、楽器の形を持ち、声を得て、音楽を奏でる…… 音楽の力によって、自然に対する畏れというよりも、人間存在への近しさをもって現れた氷のチェロの演奏は感動的でした。ぜひ映画や曲をご視聴ください!


◆ドキュメンタリー映画『N-ICE CELLO 氷のチェロの物語』(イタリアからの接続で視聴可能)
https://www.raiplay.it/programmi/n-icecellocongiovannisollima 

◆N-ICE Cello Concerto 第一楽章 (初演時の録音)
https://youtu.be/PQyMGnfOLkg
Text : 安田真子