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1984年から1993年まで、文京楽器が発行していた季刊誌Pygmalius(ピグマリウス)より、インタヴュー記事を復刻掲載します。当時、Pygmalius誌では古今東西のクラシック界の名演奏家に独占インタヴューを行っておりました。
レジェンドたちの時代を超えた普遍的な理念や音楽に対する思いなど、心に響くメッセージをどうぞお楽しみください。
—音楽、バイオリンとの出会いについて、その経歴をお聞かせください。
私の経歴については、多分最初に家系の音楽的伝統についてお話ししなければならないと思います。ご存じのことと思いますが、私はヨゼフ・スークの孫にあたり、アントニン・ドヴォルザークの曾孫になります。アントニン・ドヴォルザークは偉大な作曲家であり、ヨゼフ・スークはやはり作曲家であり、デンマーク弦楽四重奏のヴァイオリニストでもありました。私の祖父のヨゼフ・スークは、ドヴォルザークの娘と結婚したのでした。このような家系の音楽的伝統は、私も音楽家になる一つの前提のようなものだったに違いありません。
6歳の時に、オーケストラにおけるとても重要な楽器であるヴァイオリンを祖父からもらいました。家庭にヴァイオリンが定着していた訳ですね。ところで私の父は、やはり天分のある音楽家だったのですが、音楽を専門的にはやりませんでした。しかしヴァイオリンとピアノを弾き、作曲も少しやりました。
私は音楽の勉強をプラハで始め、最初は父について勉強し、プラハ音楽学校で学び、その後プラハ音楽大学で勉強しました。一度も外国で勉強したことはありません。プラハ音楽学校在学中に、後に国際的に有名になるスーク・トリオ(ピアノ・トリオ)を結成し、アンサンブルを行いました。そして現在も活動を続けています。私は室内楽にとても興味があります。
ソリストとしては、8歳の時に最初のコンサートを行いました。それから少しの間、演奏活動を中止してギムナジウムで勉強し、17、18歳の頃、ヴァイオリン演奏を再開し、19歳の時からパリやブリュッセルなどのオーケストラと共演しました。このころから私は本格的に演奏活動に取り組みだしたのです。ソロ活動の傍ら、プラハ弦楽四重奏で2~3年弾きました。その時期は私にとって、とても素晴らしいものとなりました。その間にクヮルテットの素晴らしさを知ったのです。クヮルテットは音楽の中で一番美しいと思うようになったのです。その間レコードもたくさん収録しました。パリでのレコーディングやウィーンでのモーツァルトコンサートにおいて、いくつかの賞をもらい、オランダではバッハソナタの収録を行い、栄誉ある賞も受けることができました。
世界中を演奏旅行で飛び回り、今回が30周年目の演奏旅行ということになりますね。その間に17~18回日本に来ましたが、私は本当に日本で演奏するのが好きなんです。日本の演奏会場の雰囲気はとてもいいですよ。環境もいいし、それに食べ物がおいしい。(笑)
私が思うのは、日本の聴衆がすでに音楽について多くのことを理解してるということです。30年前とはかなり違います。現在は、日本のどこで弾いても、聴衆が音楽について何か予感のようなものを持っているのを感じます。日本人は芸術家として多くのものに才能を伸ばしてきていますし、音楽的にも大変な進歩をしています。聴衆からもそういったところが感じられるのです。だから日本の聴衆の前で弾くのはとても好きです。
写真:写真左端がヨゼフ・スーク。プラハ国際音楽祭にて指揮者F.コンヴィチュニーと。
引用元:Wikipedia
―ドヴォルザークの思い出について、何か聞かせて下さい。
ドヴォルザークについては、残念ながら私が5歳の時に他界してしまいましたので、ほとんど思い出らしいものはないのです。私は、両親と一緒にプラハの郊外に住んでいました。ドヴォルザークはプラハ音楽大学の学長をしていて、年にほとんど2~3回しか我々の家を訪問しませんでした。ですから、彼については、私自身の思い出よりも本からの方がよく知ることができるでしょう。
彼が早く他界してしまったことを大変残念におもいます。それというのも、もしも彼がもっと長生きさえしてくれたら、私のためのたくさんのヴァイオリン曲を作曲してくれたと思うからです。彼はヴァイオリンのための曲は少数しか作曲していませんから。私がヴァイオリンを弾くようになることを知っていてくれたらなと思うのです。彼のあまりにも早い他界は私たちにとって本当に大きい損失だと思います。だから私は、彼がピアノのために作曲した曲の多くをヴァイオリンに編曲して弾いています。
写真:曾祖父だった作曲家アントニン・ドヴォルザーク
引用元:Wikipedia
―次に作曲家ヨゼフ・スークについてですが、音楽についての考え方は、どのようなものだったのでしょうか。
最初に彼はすばらしいヴァイオリニストだったということでしょう。彼はプラハ音楽大学でヴァオリニストとして勉強を始めました。そしてすぐに並外れた作曲の才能を示し、音楽大学でドヴォルザークと同じクラスに入りました。彼はかなり一生懸命に勉強したそうです。ヴァイオリンを弾くことと作曲を同時に勉強した訳ですから。そして、レオシュ・ヤナーチェク※と一緒に、現代的なチェコの流派を作りました。レオシュ・ヤナーチェクは、彼の特殊階級における一つの方向性を持っていました。そしてスークは、ドヴォルザークとスメタナの後を継いで、チェコの現在の音楽を創設しました。
写真:祖父は作曲家ヨゼフ・スークだった。
引用元:Wikipedia
―他の作曲家について、好きな人はいますか。
これはちょっと難しいですが、もちろん私は、私の家系の人々、ドヴォルザークとスークと、それからチェコの音楽が好きです。それは、チェコの音楽を人々に紹介するのは、私の重要な任務だと考えますから。それにチェコの音楽は実際素晴らしいですから。それからもちろんモーツァルト、バッハ、アルバンベルク、バルトークなど、人々が勉強し、演奏する曲はすべて素晴らしい曲ばかりです。
―あなたにとって音楽とはなんですか。
音楽は私の人生のすべてであり、そして私の趣味です。昔はいろいろな趣味を持っていましたが、だんだんに年を取って来ると、音楽が完全に私の興味のすべてになってきました。今は音楽は本当に私の人生のすべてといえるでしょう。
―音楽は人間にとって絶対に必要だと考えますか。
はい、その通りだと思います。音楽はこのとてつもない世界において、絶対的に必要なものです。この世界で、私たちは何か美しい世界的な言葉を必要としているのです。それは音楽でしかありえないのです。
私が日本語が判りませんように、皆さんはチェコ語が判りません。世界中がそんな状態です。そこで必要なのは、世界共通の美しい言葉なのです。その言葉(音楽)は、すべての人々の心の中で共通のものであります。だってみんなチャイコフスキーを、ドヴォルザークを、ベートーヴェンを愛しているでしょう。私たちのこの世界を少しでも良くするため、音楽が絶対に必要なのです。
私は音楽とは、存在するすべての外交的コミュニケーション手段の中で最良のものと考えます。
—楽器についてですが、今までにどのような楽器を持ちましたか。
今は3~4本の素晴らしい楽器を持っていますが中でも最高なのは、アントニオ・ストラディヴァリ1722年製”ヨアヒム=エルマン”です。それからチェコの楽器シュピードレンを好んで弾きます。とてもきれいなストラド・コピーです。
今までにいろいろなストラドとガルネリを弾きましたが、良い楽器を弾けるということは、とても楽しいことですし、幸せなことです。なぜなら、良い楽器は演奏家を助けることさえもできる場合があるからです。
ースークさんにとって理想のヴァイオリンとはどんなものですか。
ええ、これはちょっと難しいですが、私は今のストラドに満足をしています。大体において、そんなに多くを望んでいつも不満を持っていることは良くないことですもの。楽器に満足していることは大切なことですし、そうではなくてはいけないと思います。
写真:アントニオ・ストラディヴァリの1722年製ヴァイオリン、Ex Joachim-Elman
引用元:書籍『Violin Iconography of Antonio Stradivari』 552ページより
ー弦はどんな種類を使っていますか。
ピラストロからカプランに、それから今は2年目になりますが、ドミナントを使っています。ドミナントはとてもいいと思います。日本の気候には特に理想的な弦だと思います。満足していますね。ピラストロのガット弦はいつも微妙な調弦が必要で、ナイロン弦のような安定性に欠けます。という理由で理想的な弦はドミナントだと思っています。
ー日本の若い音楽家たちに何か助言をお願いします。
はい、確かに才能も必要ですが、なんといってもできるだけ多く練習することです。なぜなら才能というものはただの第一段階でしかないからです。そしてそれからは、練習に練習を重ねなければならないのは、誰にとっても共通のことです。それには、忍耐力が要求されます。
私は日本でよく聞いたり見たりすることなのですが、学生たちがすぐ難しい曲を弾きたがるということです。彼らがまだ音楽的にその大曲を弾けるまでに成長していない場合が多いのです。そういうことをしないで、もっと我慢してほしいと思います。音楽的な将来性の土台を最初に創るのです。表面的なテクニックだけではいけません。それはすべてがパーフェクトでなければならないのです。
そしてもっと良くイントネーションに注意することです。日本の学生はよく注意して聴くことをしないようです。きれいに弾くことと、音楽のイントネーションに気を使うこと、両方に同じように没頭することが大切です。片手間になってはいけません。
音、文化、響きにとって、もっとも重要なイントネーションにもっと注意を払うべきでしょう。忍耐をもって進むことです。もっともっと練習をしてください。家では注意して聴く時間をとって作ってください。
ー最後に、日本の音楽愛好者にメッセージをお願いします。
皆さんの健康をお祈りすると同時に、皆さんがこの素晴らしい国、日本に住んでいることに感謝の気持ちを持っていただきたいと思います。
ドヴォルザークの音楽を愛して下さって本当に嬉しく思っています。ありがとうございます。