弦楽器メルマガ
BG Newsletters 配信中!
BG Newsletters に登録する登録する

日曜・月曜定休
Closed on Sundays & Mondays

10:30~18:30

112-0002 東京都文京区小石川2-2-13 1F
1F 2-2-13 Koishikawa, Bunkyo-ku,
Tokyo 112-0002 JAPAN

後楽園駅
丸の内線【4b出口】 南北線【8番出口】
KORAKUEN Station (M22, N11)
春日駅 三田線・大江戸線【6番出口】
KASUGA Station (E07)

第4回 我らが至宝 ベルリン楽器博物館(前編)

弦楽器のコレクションを持つヨーロッパの楽器博物館を取材する連載シリーズ「我らが至宝」。今回は、欧州のクラシック音楽のメッカとして存在感を発揮するドイツ・ベルリンの楽器博物館 'Musikinstrumenten-Museum'を訪ねました。

毎日のように有名演奏家がコンサートを開くドイツ・ベルリンの町は、世界屈指のクラシック音楽のメッカとして知られています。音楽における中心地であるベルリン・フィルハーモニーホールはとりわけ有名ですが、そのすぐ裏手にベルリン楽器博物館が隣接されていることはご存知でしょうか。

16世紀から現代にいたるまで、約3600点の所蔵品を擁する同ミュージアムは、西洋の楽器を主に800点ほどを広く公開しています。常設コレクションには弦楽器も数多く含まれており、楽器好きには見逃せないスポットです。

音楽学の始まりに関わったミュージアム

今回、ベルリン楽器博物館の「至宝」を紹介してくれるのは、音楽学者のベネディクト・ブリルメイヤー博士です。2015年から同館学芸員を務めるブリルメイヤー博士は、擦弦・撥弦楽器だけではなく電子楽器も専門とするスペシャリストです。

ベルリン楽器博物館の創立は、1888年に遡ります。

「同館のコレクションは、もともとベルリン王立音楽院(現在のベルリン芸術大学)に所蔵される予定で集められたものでした。創立の背景には、ブラームスの親しい友人であり、当時の有名ヴァイオリニストの一人でもあったヨーゼフ・ヨアヒムが深く関わっています。彼は当時の音楽界の著名人で、ベルリンで音楽院の創設に携わっていました。

ヨアヒムとともに重要な存在だったのが、音楽史を教えていたフィリップ・スピッタです。音楽学の第一人者の一人であるスピッタは、欧州ではバッハの伝記作家として今でも知られています。楽器博物館の創立時には、組織・経営面を担いました。

バッハやベートーヴェンらを輩出したドイツという国の音楽史における重要性を当時の識者たちが認識していたこそ、コレクションを楽器博物館としてとりまとめたのです」

音楽学の始まりを担ったスピッタらは、音楽史において大きな存在です。現在でもベルリン楽器博物館には音楽学・楽器学の研究センターが併設されており、ドイツの音楽学をリードする学術機関のひとつとしても重要な役割を果たしています。

 

ヨーロッパの楽器を網羅するコレクション

大きな船舶をイメージして作られたミュージアムの内装。弦楽器などの入ったショーケースが多数あり、目を引きます。チェンバロなどの鍵盤楽器やパイプオルガンまでがずらりと並ぶようすは圧巻です。

公立である博物館の使命は、まずは所在地であるベルリン、そしてプロイセン帝国で作られた楽器を集めること、その次にドイツ国内、さらにはヨーロッパの楽器を集めることと定められています。そのため、弦楽器に加えてチェンバロなどの鍵盤楽器が充実しており、欧州の音楽史と楽器の歴史を見渡せるような常設展が楽しめます。

プロイセン王朝から受け継いだ34点の楽器に始まり、ライプツィヒのポール・デ・ウィットやゲントのセザール・スノックといった楽器商やコレクターなどから購入したり、提供を受けたりなどで多数の楽器がコレクションに加わっていきました。

現在、所蔵されている点数は3600を超えるという同館のコレクション。第二次世界大戦でドイツが敗戦した後、保管されていた先で紛失してしまったものも3000点ほどあると聞くと驚きます。
どのような経由でそれぞれの楽器が集まってきたのかに関心が集まりますが、所蔵品の来歴すべてを公開することは、個人情報保護の観点から叶いません。ですが、多くの楽器コレクターや音楽家の手を経て集まってきた楽器であることは間違いないでしょう。

至宝1・アレマン派の楽器群

21世紀に生きる私たちの大部分には、弦楽器といえばイタリア・クレモナ、ストラディヴァリ……というイメージが色濃くあります。同ミュージアムは、来訪者にすこし違った角度からヴァイオリンの歴史を見つめるための楽器を用意してくれています。

ブリルメイヤー博士に最初にお見せいただいたのは、アレマン派(Alemanic School)と呼ばれるヴァイオリン、ヴィオラ、そしてチェロに似たバス・ヴィオラのコレクションです。

ぱっと見て目を惹くのは、楽器のボディや指板における装飾の数々。日本の木象嵌に似た精巧なテクニックで施された細工が施されています。

「これらはスイスのベルンにほど近い、北アルプスのドイツの小さな町で製作された素晴らしい楽器たちです。一般的に黒い森と呼ばれているドイツ南西部で、ドイツ、フランス、スイスの3点を結び、栄えていた地域です」

これらの楽器群は17世紀、独自の手法で作られていました。外見からも、f字孔の形や楽器のボディが描くラインがイタリア・クレモナで当時作られていたであろう楽器とは異なるのがわかります。

(写真)バス・ヴィオラ(1685年にHans Krouchdalerが製作)、ヴァイオリン(17世紀半ば以降にJoseph Meyerが製作、Franz
Strauが1690年ごろに製作)。
(c) Jürgen Liepe

ドイツ初の女性製作者が再発見

楽器に隠されたストーリーに脚光があたったきっかけには、ドイツ初の女性弦楽器製作者であるオルガ・アデルマン(1913ー2000)が関わっているとブリルメイヤー博士は語ります。

「1930年代に女性として初めて楽器製作に取り組んだアデルマンが、1970年代にこれらの楽器の装飾に注目しました。このような花の模様は、イタリアの楽器には見られず特徴的です」

(写真)テールピースにも装飾が施されている

アルプス生まれの装飾つき楽器

楽器の外面に施された装飾だけではなく、楽器の内部にもアレマン派の楽器ならではの特徴が現れているとブリルメイヤー博士は語ります。

「残された部品を見ると、バスバーと表板が1ピースであることがわかります。クレモナの楽器はバスバーを別のパーツとして貼り付ける手法ですから、異なる製作手法があったことが明確です。

楽器の特徴を一つひとつ見ていくと、当時クレモナで作られていた楽器とは大きく異なる製作方法で作られていることがわかり、この地域にはクレモナとは別の伝統が受け継がれていたことを認める必要が出てきます」

(写真)表板の裏部分を彫りのこす形で作られたバスバー

アレマン派と呼ばれる楽器とクレモナの伝統の差異は製作テクニックの細かい部分にも表れています。

例を挙げると、ヴァイオリンの横板をつけるテクニックも特殊です。アレマン派では内型を使わず、裏板のラインに沿って彫られたわずかな溝に横板を埋め込み、貼りつける形で作られていました。その結果、ネックと上部ブロックは一体化されていたのだそうです。

「アデルマンと音楽家たちは、他のミュージアムにも同様の楽器があるかどうか調査しました。他館にも所蔵されていたのですが、おかしな装飾がある楽器だといって当時はあまり重要視されていなかったようです。

その後、アデルマンの研究によって、アレマン派の地域で独自の製作方法によって数多の楽器が生み出されていたことが知られるようになりました。同様の楽器は現在約70台見つかっています。

生産地であるアルプスには、弦楽器の素材としての木材がありました。楽器に施された精巧な細工からは、とても洗練された手工芸のスタイルが見受けられます」

(写真) 直に横板を立てるため、ラインに沿って彫られた溝が見られるヴァイオリンの裏板

繊細な装飾が個性的なアレマン派の楽器には独特の魅力があり、思わず目を奪われます。なめらかな曲線をえがくハート型の細かい象嵌や指板の端……職人たちが木工技術の高さを誇るがゆえに楽器に装飾を施したのでは、とつい想像してしまいます。


これらの楽器はアンサンブルで演奏され、そのCD録音が残っているので、音色を聞くことも可能です(オンラインストリーミングには未対応)。

CD情報:https://www.simpk.de/shop/shop-detail/artikel/2011/01/01/klingendes-museum-10-die-meister-der-alemannischen-schule.html

(写真)美しいラインを描く指板の装飾

後半の記事では、ベルリン所縁の弦楽器をご紹介します。続きをお楽しみに!


Text : 安田真子(2016年よりオランダを拠点に活動する音楽ライター)