第6回はトリノ派のモダン製作者プリニオ・ミケッティ(1891‐1991)をご紹介いたします。
生い立ち
リグーリア州サヴォナの都市、
カリッツァーノに生まれた。ミケッティについてはあまり多くの記録が残っておらず、誰の下で製作を習ったかはっきりとは分かっていない。おそらく初期のころはジェノヴァ派に学び、1920年代からトリノ派の影響を受けて製作していたと考えられる。
ミケッティの故郷サヴォナは、ジェノヴァの西隣に位置している。ジェノヴァ派の
チェザーレ・キャンディや
パオロ・デ・バルビエーリ達と親交があったとされ、その影響は主に木工に良くあらわれている。
1920年頃からトリノに移住した。当初は楽器商からの依頼仕事で生計を立てていたが、のちに自身の工房を
コルソレッチェに開き独立した。この頃から
カルロ・オッドーネや
アンニバル・ファニョラなどトリノ派作家の影響を受け、ニスの質感に変化がみられるようになった。一説には彼らの下請けもしていたとも言われている。
作風について
木工技術には
ジェノヴァ派の特徴が強く感じられる。たとえばライニングは
ブロックの外側に接着されており、これは外型で製作していたジェノヴァ派の特徴の一つである。アーチの隆起を強調するために、ふち回りやエフ字孔のスクープ(堀込み)を深くしているのは、
バルビエーリの影響を感じさせる。
楽器のモデル
本作品は1927年に製作された、
グァルネリ・デルジェス“カノン砲”のコピーである。
この頃すでにトリノで製作をしていたが、先ほど述べたとおり木工技術に関しては
ジェノヴァスタイルを用いている。しかしニスはディープレッドの
トリノスタイルで塗られており、両方の特徴を残した興味深い個体である。力強い音量を持ちながら、モダンヴァイオリンらしからぬ音色の深みを備えている。
製作上の功績
ミケッティは現役当時から製作コンクールやエキシビションに積極的に参加しており、1928年にトリノコンクールで銀賞、1949年にクレモナコンクールで銅賞を獲得している。あまり知られていない製作者であるが、その実力は並々ならぬものであったことがうかがえる。
第7回は、ミケッティと同じ時代、同じトリノで製作を行ったアンセルモ・カルレット(Anselmo Curletto)について紹介いたします。
文:窪田陽平