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第50回 若手を育てるイタリアの「チェロ・シティ」in Rovigo

ヴェネツィアとボローニャの中間に在る中規模都市のロヴィーゴ。イタリアの音楽好きの間では、チェロに特化した音楽祭の開催地として知られています。音楽祭の記念すべき10回目の開催に合わせて現地を訪れ、取材しました。

コンサートで涙を流す人々

イタリア・ロヴィーゴには、一夜のコンサートがきっかけになって生まれた音楽祭があります。その名も「ロヴィーゴ・チェロ・シティ」。
国内最大のチェロのための音楽祭を創設したのは同地出身のチェリスト、ルイージ・プクセドゥです。
 
「あちこちのオーケストラでの演奏や指導をした後、2013年にロヴィーゴの音楽院での指導に携わることになり、故郷に戻りました。
その際、『(チェロの)ジョヴァンニ・ソッリマを招いてコンサートやマスタークラスを開こう』と思いついて計画したのですが、直前になってソロチェリストの2人のうちの1人であるモニカ・レスコヴァルが急に出演できなくなった。するとソッリマは『私のソロとチェロ・アンサンブルの半々でやろう』と言ったのです」
 
プログラムの最後には、ジョヴァンニ・ソッリマと当時のパートナーのモニカ・レスコヴァルがソリストとして演奏する予定だったチェロ・アンサンブルの名曲『チェロよ歌え!(Violoncello Vibrez!)』が用意されていました。代役として抜擢されたのが、当時まだ音楽院の学生だった10代半ばのリッカルド・ジョヴィネ。それが大成功を収めたのです。
 
「終演直後の写真を見るだけでも、人々が目を潤ませているのがわかります。ソッリマにしか生み出せないような空間です。ソッリマと並んでソロを務めた15歳のリッカルドも素晴らしくて……。
彼のように、同じシモンチーニの流派にはたくさん優秀な学生がいるのだから、この雰囲気を一度で終わらせるのはもったいない。そう思って、銀行の財団の支援プロジェクトに応募し、見事選ばれて資金を得たことで、翌年から音楽祭としてスタートを切れたのです」
(写真)2013年のコンサート終演直後のジョヴィネ(右)とソッリマ(左)

学生を主役に据えた『方程式』

音楽祭が始まったときから、ゲストチェリストを招いて学生のためにマスタークラスを開き、コンサートで教師と生徒が共演するという一定の「方程式」がプログラムの主軸となっています。
 
主役はあくまで若いチェリストたちで、彼らにはゲストとして招いたアーティストと一緒に演奏してもらう。これが私たちの音楽祭の特徴です。
若手メンバーはスタッフとしても活躍していて、会場でいろいろな手伝いもしている姿が見られます。

指導にあたるゲストには、オーケストラで首席を務めた経験のあるチェリストばかりを選んでいます。オケの首席なら、オーケストラでの演奏や入団オーディションのこともよく知っているからです。
今までにミラノ・スカラ座管弦楽団やローマのサンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団、ヴェネツィア、ウィーンやベルリンからも招いています。バロック・チェロ奏者や歌手、ヴァイオリンやヴィオラの室内楽奏者も含めて、数多くの重要なアーティストを招くことができました」
 
さらにジャン・ギアン=ケラス、ヨハネス・モーザーなど、国際的に活躍するソリストたちも参加しました。直近のチャイコフスキー国際コンクールで優勝したチェリストのズラトミール・フングなどの新しい世代も巻き込むことで、最先端の情報をもたらしています。

今年はベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団でソロ・チェリストを務めるアーサー・ホーニングが招聘され、学生たちともチェロ・アンサンブルのコンサートで共演しました。

(写真)左手にホーニング、中央に芸術監督、学生たちがステージに並んだ

チェロの名指導者に捧げて

音楽祭の背景には、今年5月に亡くなるまでロヴィーゴの音楽院で指導にあたっていたチェリストルーカ・シモンチーニの存在があります。
シモンチーニはイタリア弦楽四重奏団チェリストのフランコ・ロッシに師事し、1980年から故郷であるロヴィーゴでチェロ科の指導にあたっていました。
 
「私自身がシモンチーニの初めての弟子で、私が11歳、彼が19歳のときに習い始め、長年にわたって師事しました。もうチェロをやめようかと思っていた時、彼と出会ってチェロの楽しさや素晴らしさを教わり、音楽に目覚めたんです。遠方のコンサートにも連れて行ってもらいましたね」とプクセドゥは語ります。
 
シモンチーニはイタリアのチェリストの伝統を引き継ぎ、表現力が豊かで多彩なヴィブラートを操るチェリストでした。
「彼は名誉監督としてチェロ・シティにいつも出演していました。昨年10月から病気のため他の教師に弟子を引き継ぎはじめていましたが、今年に入ってからも教えていました。カリスマ的な存在でしたね。ぽっかりと穴が空いたようです。
もともとチェロ・シティは彼のために、学校のために創設された音楽祭なんです。彼はオーケストラのソリストや室内楽としても演奏していました。マリオ・ブルネロがチェロ・ピッコロを弾き始めたばかりの頃、チェロ三人とピアノや、チェロ四重奏などで共演しましたし…… 
9月7日に彼が出演するはずだったコンサートがあったのですが、最終的には彼の友人で素晴らしいピアニストであるエレオノーラ・アメッリーニと若い学生たちにチェロとピアノの曲やチェロアンサンブルを演奏してもらいました。このように、本当に素晴らしい音楽家と若手チェリストたちを共演させるという点が重要なんです。

過去にもピアニストのブルーノ・カニーノと学生たちのベートーヴェン全曲演奏コンサートや、バッハの無伴奏全曲演奏ツアーなど、若者たちには演奏の機会がたくさん与えられています。コンサートで演奏することが彼らにとって大事なことだからです」

(映像)ルーカ・シモンチーニの演奏映像。ヴィブラートの多彩さに特徴が見て取れる

舞台でしか学べないこと

ロヴィーゴと同じヴェネト州には、マリオ・ブルネッロを輩出したカステルフランコ・ヴェネトという町もあり、イタリアにはもともと優れたチェリストが多く存在します。

ただ、優秀な学生はすでにたくさんいても、コンサートをしたり、オーケストラとソロ奏者として演奏したりする機会を与えることが必要だとピクセドゥは強調します。

音楽には、演奏の現場でしか学べないことがあるんです。何年もの練習は必要ですが、聴衆の前に立ち、舞台にできるだけ出る必要があります」
 
現在、ロヴィーゴの音楽院『フランチェスコ・ヴェネッツェ』のチェロ科に地元出身の学生はほとんどおらず、トレントやモデナ、パドヴァなどの大都市からわざわざ通いに来ている学生が多いそうです。環境が整ってきた今、チェロを学ぶ場所としてのロヴィーゴの重要性が高まっています。
チェロ・シティでマスタークラスを受けられることや、出演できるコンサートの機会の多さ、優秀な学生には10代半ばでもプロのオーケストラと協奏曲の演奏のチャンスなども魅力のひとつになっているのです。

マスタークラスの一部を見学すると、ロヴィーゴの学生の演奏水準の高さに驚かされます。今年創設されたルーカ・シモンチーニの奨学金を得た弱冠17歳のトビアス・イングロッソはレスピーギの「アダージョと変奏曲」を見事に弾きこなしており、注目の若手の一人です。

過去にロヴィーゴの音楽院で学び海外に羽ばたいた若手チェリストの中には、2000年生まれのルーカ・ジョヴァンニーニがいます。彼は若手チェリストの最高峰といえるドイツのクロンベルク・アカデミーでも学び、ブラームス国際コンクールで優勝し、マリオ・ブルネッロからアンサルド・ポッジの楽器を貸与されている期待の若手チェリストです。
 
(写真)地元の聴衆から大喝采を受けていたジョヴァンニーニ

恒例の教会コンサートを開催

9月9日と10日には、町一番のランドマークである円形をした珍しい様式の教会「Tempio della Rotonda(通称)」で音楽祭を締めくくるコンサートが開かれました。壁画や装飾で埋めつくされた教会中央の祭壇部にはステージが設けられています。音響がよく、人々が集って音楽を楽しむのにうってつけの会場です。
 
9日にはエンリコ・ディンドと弦楽アンサンブル「パヴィアのソリストたち(Solisti di Pavia)」が開かれました。
ディンドは楽器の響きと多彩なヴィブラートを操ります。ブルッフ「コル・ニドライ」の第一音目から、祈りのような独特の音色で聴衆を魅了。ハイドンのチェロ協奏曲第1番では、王のような風格のある優雅なハイドンを聴かせました。

アンコールで、ディンドはシモンチーニから引き継いだ最後の直弟子をステージに呼び寄せて、シモンチーニに捧げる演奏としてヴィヴァルディの2本のチェロのための協奏曲ト短調を披露しました。聴衆の中にいたシモンチーニの双子の兄は涙をぬぐい、「ありがとう」と小さくつぶやいていたのが印象的でした。

10日にはソッリマがカルロッタ・マエストリーニ(ピアノ)とともに、自作曲やベートーヴェンのチェロ・ソナタを含めたリサイタルプログラムを披露。変幻自在に音を操り、聞き手を別世界に導くソッリマとマエストリーニの新鮮で若々しい音楽が美しいコントラストを描き出しました。
プログラムの最後には、アイスランドのポストロックバンドであるシガー・ロスの「アラ・バトゥール」をロヴィーゴの学生も含む20名近くのチェロ・アンサンブルとピアノで演奏し、宇宙的でありながら親密な響きで教会を満たしました。

(写真)一体感のある緻密な音楽を繰り広げたエンリコ・ディンド(中央)と「パヴィアのソリストたち」

常に新しさを加える

今年、プクセドゥはクロード・ボーリング「チェロとジャズピアノトリオのための組曲」を屋外コンサートで弾きました。普段はクラシック音楽を教えていますが、「ジャズの軽さのある素敵な曲で、大好きなんです」と笑顔を見せます。
 
「プログラムには、いつも新しい特別なことを加えています。去年はヨハネス・モーザークラシックと電子チェロのコンサートを1回ずつ行いました。スピーカーも使って変わった音も出し、観客は歩きまわりながら鑑賞するという面白いコンサートだったんです。

この2年間、私がオペラハウスの芸術監督をしていた関係で、去年から地元のピアニストのジェラルド・フェリサッティが音楽祭の芸術監督を務めています。ジェラルドのおかげで、アムステルダムのチェロ・ビエンナーレとの交換プログラムができて、今年はステファノ・ブルーノというコンクール優勝者が演奏に来ています。

最初の年はコンサートが3回あっただけでしたが、今では一週間ほど連日コンサートが開かれ、聴衆もたくさん入っています。街中のショーウィンドーにチェロの飾りをつけてもらうというのも、彼が昨年から始めたことです。市民からの反応がより大きくなっていますね」
(写真)プクセドゥらが出演したジャズ・コンサートでの一幕

チェロの小さな『首都』

ちょうど10年前、チェロ・シティ誕生の契機となるコンサートで演奏したジョヴァンニ・ソッリマは、現在の「チェロ・シティ」についてこう語ります。
 
「何年もかけて、創造性のある『庭』を作り上げるようなものです。言うまでもなく、素晴らしいチェロの流派がもともとあり、かなりの情熱があってこそ初めて可能なことなんです。チェロの小さな首都のようなものが始めてすぐに見い出せました。

偉大なチェリストでもあるプクセドゥはゼロからこの音楽祭を作り上げたんです。容易いことではありませんよ。マスタークラスをして若手に出会い、一緒に演奏して、コンサートで聴衆も巻き込むという最高の方式でありムーブメントを生み出すことに成功したんです。舞台やワークショップなどでは、音楽の合間からさまざまなものが誕生したり、生まれ変わったりするのが見うけられます。

マスタークラスがある音楽祭はここだけではありませんが、人間に適したサイズの街であることもあって、より親密で自然であり、他とは違った広がりを見せています。

世界中、どの街にも1つの地区のようにチェロ・シティを作らなければなりませんね、ブエノスアイレスや東京にも、渋谷などと並んで『チェロ・シティ』を設ける。素敵なアイディアだと思いますよ!」

(写真)リサイタルでのジョヴァンニ・ソッリマ(チェロ)とカルロッタ・マエストリーニ(ピアノ)

街を巻き込みさらなる発展へ

フェスティバル期間中には、街一番という評判のジェラート店「ゴドー」では、特別に『チェロ』フレーバーのジェラートが用意されました。
さらに、チェロの調弦である「ラレソド」という合言葉を言えば、無料で提供してもらえるという音楽祭の特典付きです。ほのかな桃色をしたジェラートを味わってみると、洋梨のさわやかさに赤ワインのメルローが香る逸品で、期間中だけしか食べられないのがもったいないほどの美味しさでした。

チェロ・シティは少しずつ街を巻き込んで、コンサートはいつも満席となり、人口5万人の小さな町にとって大事なイベントになりつつあります。

ロヴィーゴ市民の特徴は、誰に対しても気取らずに「チャオ!」と挨拶をしてくれる親しみやすさだと、現地を訪れて感じました。
普段はチェロと関わりのない地元の人々も毎年飽きることなくチェロを聴きにくるのは、地元で学ぶ若手チェリストを応援したいという気持ちに加えて、チェロの音楽が時間をかけて町に浸透しているからなのかもしれません。特別なコンサートを体験した後には、言葉にできない感動が残り、何かを生み出すための活力が湧きあがってきます。
 
チェロ指導の現場を見ていると、プクセドゥだけではなくディンドやソッリマも、学生たちを仲間のように扱っていることが印象的でした。マスタークラスでソッリマは常に学生の横に並び、学生が乗り越えようとしている課題の解決策を一緒に考え、提案するような形で指導をしていました。

北イタリアでは、若いチェリストが育つための環境が着実に築かれています。チェロ・シティのさらなる可能性を感じさせる、魅力的なフェスティバルでした。
 
(写真)アンコールのヴィヴァルディを堂々と弾き切ったマリーナ・パヴァーニ(左)とエンリコ・ディンド(右)
Text : 安田真子(2016年よりオランダを拠点に活動する音楽ライター。市民オーケストラでチェロを弾いています。)