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―私どもの小冊子に掲載するタイトルが"私と楽器"ですが、まずご夫妻のそれぞれの楽器を教えていただけますか
ジェイミー(ハイメ)・ラレード氏(以下、J) :私の楽器はストラディヴァリウスで、
彼が1717年に製作したヴァイオリンです。
ーその楽器はいつ頃から使っていらっしゃいますか。
J:1969年からです。ニューヨークでジャック・フランセ氏から手に入れました。
ー奥様の楽器は?
シャロン・ロビンソン氏(以下、S):私の楽器はジョン・ロットが作ったチェロで、ストラディヴァリの作ったデューク・オブ・マルボーロという称号を持つ楽器があるのですが、それをコピーしたものです。1972年に手に入れて、それ以来使っています。
J :私の楽器について説明すると、ロサンゼルスに銀行家でコレクターがいらっしゃって、彼が持っていたストラディヴァリウスのカルテットの中の1本でした。彼はヴァイオリン2本、ヴィオラ、チェロから成るストラディヴァリのカルテットを持っていたんです。
サクラメントのギャラリーに保管されていましたが、オーナーの死後、売りに出されまして、それぞれバラバラになってしまったんです。私が購入した時には、音色は素晴らしくて、すぐ気に入ったのですが、音が閉まっていましてね。まあ、50年位は弾かれてなかった楽器ですから、最初の2年位は音を開くのに時間を費やしましたね。毎日毎日ね!
このストラドは音色もとってもきれいで気に入ってますが、音量もすごいんですよ。とにかく大きいホールで演奏しますからね。
ーそんな歴史があったのですか。奥様の方の楽器について、何かおもしろい話はありますか。
S:ええ、私の楽器は、私の先生が使ってらっしゃったのを譲っていただいたものなんです。その前はロサンゼルスにいた人が使っていたことはわかってい るようです。それでおもしろい話というのは、そのチェロのテールピースにイニシャルが描いてあって、それが私と同じ、"S・L"なんです。私はラレード氏と結婚して、"S・L"になったんですけど、当時はもちろん違っていましたから、おもしろいめぐりあわせでしょう。以前のオーナーが今の私と同じイニシャルという偶然が、何かあるような気がしましてね。
J:彼女の楽器は、デューク・オブ・マルボーロという名でよく知られる、ストラディヴァリのチェロのコピーということはお話ししましたが、信じられないことに、楽器がとてもよくできていて、皆さん誰が見ても、演奏を聴いても本物のストラディヴァリと思ってしまうようなんです。だから彼女がストラディヴァリを持っていると思う人もいるようですよ。
ーそれでは気に入って使ってらっしゃるんですね。
S:ええ、結構気に入ってますよ。でも将来、ストラディヴァリを手に入れたいと思っていますけど。
J:誰か、彼女のために買ってくれる人はいないでしょうか。私ではとても支えきれなくて。
ー次にお二人のことをお話しいただけますか。まず、楽器に係わるようになったきっかけはどうでしょう。
J:私は南アメリカのボリビアで生まれたのですが、5歳の頃、父がストリングカルテットのコンサートに連れて行ってくれたんです。その時のヴァイオリンの音がとってもきれいで、気に入ってしまいました。それで父にレッスンを受けて、ヴァイオリンを弾きたいって頼んだのです。クリスマスのプレゼントで父が私にヴァイオリンを買ってくれましてね。うれしかったですよ。
ーそれから楽器を始められたんですね。
J :ええ、当時ボリビアは第一次大戦の時期で、ヨーロッパの人たちが大勢戦争を逃れて来ていたんです。私の先生もその中の一人で、ウィーンで教えておられたイタリア人でした。最初についた先生がその人で、普通の先生ではなくて、レベルの高い人でした。今思うと幸運だったと思います。
ーその先生には何歳頃までついていらっしゃいましたか。
J:残念ながらその先生には1年ぐらいしかつけませんでした。家族でアメリカに移ってきましたか、短かったんです。そのままサンフランシスコで先生について、その後はフィラデルフィアのカーティス音楽院で学びました。
ーその頃はどんな楽器を使っていましたか。
J:まずは1/2のヴァイオリンから始めたのですが、3/4をとばして、7歳の時に4/4に変わったんです。もちろん1/2の楽器はそんなに良いものではなかったですよ。今でも家にありますけどね。4/4に変わった時のものは、よく覚えていませんね。以前はロレンツォ・ストリオーニを弾いてまして、1960年に最初のストラディヴァリを手に入れました。その楽器も今のものと同じ1717年でしたよ。今のは2本目のストラドです。私が手放してから、サルバトーレ・アッカルドが使い、それから12年程前にドイツの医者が購入したという話は聞いています。
ーストリオーニとストラディヴァリでは、ずい分違ったでしょうね。
J:ええ、それはとても大きな差がありましたよ。説明できないくらい。でも、2本目のストラディヴァリに換えた時は、そんなに大きな音の差はありませんでした。でも音色の質が違って、今の私の楽器の方が高い音域がとってもきれいだったんです。
―奥様はいつ頃から始められましたか。
S:私の場合は、両親が音楽家だったんです。それで小さい頃からいつも音楽を 聴いていましたし、チェロやオーケストラの演奏会にもよく行きました。それで私も音楽がとても好きになりましたし、 私の音楽の基礎になった時期もその頃です。5歳からチェロを始めたんですが、 サィズは1/8でした。その時の楽器は、 オールドのとてもきれいな楽器でしたよ。
16才からノースカロライナ・スクール ・オブ・アートでアービンクラインにつき、南カリフォルニア大学のカボール・レイトにつき、マルボーロでカザルスについて学びました。
―先日、チェリストのリン・ハレル氏にインタビューする機会がありまして、彼の考えでは、"自分がチェロを始めた9歳という年齢は、身体的に良い年齢で、むしろ早い時期に始めるのは良くないのではないか"とお話されていましたが、このことはどのように思われますか。
S:指を鍛えるためには、私はむしろ小さい時から始めた方が、柔軟性に関しても良いと思いますよ。またソフトに弾くにもね!
J :カザルスはどんな楽器でも信じられないくらいの大きな音を出すけど、彼は小さい頃から始めてますよ!
―今お使いの弓のことを教えていただけますか。
J:私は何本か持っていますが、今はほとんどシモンの弓を使っています。オールド・ヒルのバイオリンの弓も何本か持っていますし、モダンでは、ヨハネス・フィンケルの弓も持っていますよ。フィンケルの弓はとっても気に入っていて、2本のヴァイオリンの弓と3本のチェロの弓を持っています。
S :私の場合は今回も使っていますが、南アメリカ出身のフランシスコ・トレスという人で、ニューヨークで以前は作っていたんですが、今はブラジルに戻っていますけどね。その入の弓を2本持っていますよ。
ーラレードさんは、今、シモンをお使いということですが、ぺ力ットやトルテを使われたことはありますか。
J :以前にはよく使っていましたよ。何本かトルテも使ったことがありますが、素晴らしかったですよ。
ーあなたのストラドにはシモンが合っているのですか。
J:私のストラディヴァリには合っていると思います。強い弓で、重さははっきりとはわからないが、軽い弓です。
ーラレードさんの今後の活動はいかがですか。
J :今は日本に来ていますが、トリオの演奏を主体に、世界中で活動しています。現在のカリクシュタイン氏とのトリオは11年程前から組んでいますが、別々に活動をすることもありますし、年に40回位はトリオの演奏活動をしています。私はレコード、CD等も出していますし、指導もします。
ー活動の拠点はアメリ力でしょうか。
J :ええ、バーモントに自宅を構えていますが、そことニューヨークを中心に演奏活動をしております。
S:それに加えて、彼はカーティス音楽院で教えていますし、私はジュリアードで教えていますから、本当にそんな時はバラバラですね。
ー今回の来日は何度目になりますか。
J :彼女は初めてですが、私は二度目の来日なんですよ。一度目は去年、サントリーホールでNHK交響楽団と共演しましたし、アイザック・スターンと仲間たちでも演奏してます。
ー奥様は、日本が初めてということですが、いかがですか。
S:第ニの故郷のように感じています。食べ物もおいしいし、人も大変親切で素晴らしいですよ。ニューヨークでも日本食はとっても人気があって、スシはすごいブームなんです。
J:私は去年来た時に、焼鳥がとても気に入ったよ。(笑)
ー今、音楽を考え、演奏する時に留意されているようなことはありますか。
J:哲学的には考えませんが、音楽家というのは、とにかく昨日知らなかったことを今日知ると、また次のことを考え、それがわかるとまた次へと常に学び考えるものです。今、たまたま思い浮かびましたが、ホルショコフスキー氏は、カザルス氏と一緒に演奏した方で、95歳のピアニストなのですが、まだまだ次々違うことを学び続けているとおっしゃっていました。時代を遡ることもできますしね。どんどん深く深くということを知っている点では、他の職業ではなかなか無いのではないかと思っています。音楽は喜びも怒り絶望も、人のあらゆることすべてに共鳴し、すべての物を包含していくものと信じています。
ーそれはリン・ハレル氏も同じことを言っていましたね。では奥様はいかがですか。
S:夏になると、マルボーロ音楽祭というのが催されます。そこでカザルスやアレキサンダー・シュナイダー等の演奏を聴いたりしましたが、本当に音楽というのは勉強をしたとかいうものではなく、人の心で表現するものですし、それとお客様たちとのコミュニケーションで作り上げるものだと思います。優れた・言語だと思っています。
マルボーロ音楽祭は、今はカザルスの代わりにゼルキンがやっていますが、本当に素晴らしいもので、若い人たちはこぞって行きたいと思っている素晴らしい集いです。私たちもその中で育ってきました。練習とか勉強というのではなく、人と接し、コミュニケーションを深めることで音楽を育むのです。
ーお二人は、お互いに音楽家であり、御夫妻でありますが、それが何か演奏活動で影響したことはおありですか。
J:私は例えば先日、ヨーヨー・マたちと室内楽を演奏しました。ヨーヨー・マは素晴らし い人物だし、演奏も優れていて、私どもの愛すべき友人です。ただ私が彼女と共に演奏する時のコミュニケーションとは、全く違った何かを感じるのです。時には彼女以外のチェリストと共演するよりも、彼女とは厳しく闘うことがあります。
S:ブラームスのダブルコンチェルト(ヴァイオリンとチェロ)には、私は彼としか組んだことがないんです。以前、彼に私以外のチェリストとやらないかという話があった時も、彼は考えて断ったこともありました。音楽にはそういう所があるんですよ。
ーあなたにとって楽器とはどういうものですか。
J:他の人はわからないが、私の考えでは、やはり感動的産物ではないかと思います。人間が人を好きになり、結婚するのと全く同じで、今の私にとっては私の今の楽器を一番愛しているのです。
ー最後に日本のアマチュアプレイヤーの方ににメッセージをお願いします。
J&S:現在、日本で音楽を楽しんでいる人に敬意を表します。私も日本人を教えたりしていますが、とっても良い感覚を持っているんです。また一年ぶりに来日ができ、日本の方々に私どもの演奏を聴いていただけることを大変光栄に、またうれしく思っています。
ーありがとうございました。