■日曜・月曜定休
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KASUGA Station (E07)
1. 巨匠といわれる父の存在は、むしろ幸運
2. デビューのときリサイタル用の曲が少なくて四苦八苦
3. 力強さのグァルネリ、豊かで滑らかな音色のストラディヴァリ
4. 祖国の安定を願いつつモスクワを拠点に世界中で演奏活動を
日本滞在が、大相撲の夏場所中で、夫人ともども、大の相撲通になったというオイストラフさん。初日に曙の優勝を見抜いていたとか。今度日本に来たら関取になろうか、と冗談をとばしながら、音楽や家族のことから、祖国の情勢にいたるまで、気軽に語ってくれました。
音楽家の家庭に生まれたのは、幸せだったと思いますよ。それも、ただの音楽家ではなく、父が巨匠ダヴィド・オイストラフでしょう。運が良かったですね。小さいころから父の演奏を聴いて育ったおかげで、音楽美学とでもいいますか、いろいろな音楽を聴き分ける力が身につきましたから。
実は子供のころ、父に習ったというわけではないんですよ。なにしろ、最初はピアノが好きでね。というより、音楽そのものが大好きだったので、どの楽器で演奏するかなんて、あまり問題ではなかったんです。でもやはり父の影響でしょうね。最終的にヴァイオリンを選んだというのは。結局、音楽院では、父が指導教授になりましたし……。
18歳までは、演奏技術を身につけるために、エルンスト、パガニーニ、ヴェニアフスキといったヴィルトゥオーゾ的な作品を好んで弾いていましたね。それはそれで良かったのですが、国際コンク ールで優勝してから、いざ、ロンドンとパリでデビューというときに、リサイタ ルで弾くようなソナタがほとんどレパートリーになくてね。本当に困りました。忘れもしない、1953年のことです。
そのころからですね、レパートリーを増やそうと努力したのは。ただ、それも年齢によって変わっていったんです。20代では、ブラームスやチャイコフスキーといったロマン派の作品をよく弾きました。10年間、ベートーヴェンばかり弾いていたこともありますね。その後の10年 間はモーツァルト、それからバッハを10年間。今はヴィヴァルディです。そう、時代を遡っているんです。
自分では好きなんだけれど、演奏会ではめったに弾かない曲もありますね。エルガーやショーソンの協奏曲、それからタニェエフの「ヴァイオリンと管弦楽のための協奏的組曲」などがそうです。
室内楽もやりますよ。以前、カザルスとトリオを組む機会に恵まれましてね。それ以来、かれこれ20年位、トリオの活動もしています。ピアノは家内 (ナタリア・ツェルトサロヴァ)で、チェロは、モスクワ出身のエフゲーニ・アルトマンが弾いています。
また息子(ヴァレリー・オイストラフ)もヴァイオリニストなので、親子3人で録音したCDも2枚出しています。私は曲によって、ヴァイオリンを弾いたり、ヴィオラを弾いたり……。
ヴァイオリンは1714年のストラディヴァリ「ティボー」、別名「ダヴィド・オイストラフ」を使っています。その名のとおり、ジャック・ティボーや父が弾いていた楽器です。その前は、27年ほど、アンドレア・グァルネリを弾いていました。力強さの点ではグァルネリ の方が上かな、とも思うんですが、豊かな音色、滑らかな響きとなると、文句なしにストラディヴァリです。
大事な楽器なんですけれど、乾燥しすぎないように気をつけているくらいで、特別な手入れはしていません。最良の保存方法というのは、毎日弾くことですよ。いい演奏であればあるほど、楽器のためにはいいんです。
私の国は、今政治的にも経済的にも大揺れに揺れています。でも、日常生活に不自由すると、かえってみんな芸術に惹かれるみたいですね。どの演奏会も、いつも満員ですよ。
もちろん音楽家だって生活は苦しいんです。それで、多くの優秀な人材が、国外に出ていってしまいました。
ただペレストロイカの前は、別の意味で困難でした。たとえば、1年に3カ月しか海外公演をしてはいけない、という規則がありましてね。超一流の音楽家が、思うように演奏活動ができないなんて、酷な話ですよ。そういった悪法を改正したのがゴルバチョフさんなんです。本当に感謝しています。
当分は混乱が続くと思いますけれど、一刻も早く正常に戻ってほしいですね。私自身は、モスクワを拠点にして、国内外を問わず、これからも演奏をしていくつもりでいます。