弦楽器メルマガ
BG Newsletters 配信中!
BG Newsletters に登録する登録する

日曜・月曜定休
Closed on Sundays & Mondays

10:30~18:30

112-0002 東京都文京区小石川2-2-13 1F
1F 2-2-13 Koishikawa, Bunkyo-ku,
Tokyo 112-0002 JAPAN

後楽園駅
丸の内線【4b出口】 南北線【8番出口】
KORAKUEN Station (M22, N11)
春日駅 三田線・大江戸線【6番出口】
KASUGA Station (E07)

連載『記憶の中の共鳴弦』vol.2 演奏家たちの小さく自由な劇場

音楽のまわりには、いつも忘れられない瞬間が生まれます。時間や空間を超えて、人や作品、記憶がつながる出会いの瞬間を捉え、エッセイ形式でお届けする連載です。


アムステルダムの繁華街からひとつ脇道に逸れただけで、誰かが並べたたくさんの植木鉢とアパートの並ぶ私道に出ることは珍しくない。その生活感にあふれる運河沿いの一角に、アムステルダム市民に愛される小劇場『Splendor(スプレンダー)』がある。


オランダに住み始めたばかりの時、無料コンサートがあると聞いて、この劇場に足を運んだ。20人も入ればいっぱいになりそうな屋根裏部屋で、スタッフにうながされるまま床に敷かれたクッションに腰を下ろしたときから、普通のコンサートとは何かが違うと気づいていた。

インドネシア人のソプラノ歌手やシリアからきた打楽器奏者などが、一人ずつ登場。短い演奏とともに「どこから来て、どのようにオランダに移住することになったのか」を自ら語る、というものだった。日本からオランダに移り住んだばかりの自分にとって興味深いテーマであることは間違いなかった。ただ、プログラムはなく、出演者も誰一人知らなかったのに、強い衝撃を受けた。それぞれの演奏家の生き方や語られる感情が、音を通してまざまざと伝わってきたからだ。観客が自分を含めて10人足らずだったことにも驚いた。


覚えていないくらい幼い頃から楽器を演奏してきてそれが生きる術だったと吶々と話す合間、まるで2つめの声でつぶやくように、インド発祥の民族楽器タブラを叩いていた打楽器奏者。ベンチで泣きじゃくっているような女性に会うと、その隣に座ってサイモン&ガーファンクルの『明日に架ける橋』を歌うこともある、とちょっと誇らしげに語ったインドネシア人のソプラノ歌手。オランダ人のパートナーと出会って、故郷を離れオランダに移住を決めたというシリア人のタンブーロ奏者。演奏家たちのこれまでの人生が、音楽によって感情ごと雄弁に伝わってきて、強く心を動かされた。

Splendorは、音楽家による共同出資のもと運営されている劇場だ。古楽から実験音楽、ジャズなどジャンルも異なる50人の音楽家が、1年につきそれぞれ1000ユーロ出資し、最低年1回コンサートを開く。ほかの会場と異なるのは、365日・24時間使える場所であること。リハーサルやパーティーに使っても良いし、数人しか聞きに来ないコンサートを開いても大丈夫。ある日の観客が1人しかいなくても、別の日に100人入っていればよいという考え方だ。プログラムを決めるのは、出演するアーティストに一任されている。オープン以来、「真に実験的な演奏ができる自由な空間」として音楽家たちによって運営され、守られてきた劇場なのだ。


つい先日、チェロ・リサイタルがあると聞いて、久しぶりにSplendorに足を運んだ。開演30分前に到着すると、劇場の前にこれから演奏するチェリストとピアニスト、そして現代作曲家が並んで腰掛けて談笑しているのが見えた。楽屋口というものはないので、アーティストも観客も、出入りするドアは同じ。開演前のコーヒーも、終演後のビールも演奏者と聴衆が入り混じり、同じカフェバーの空間で味わうのも特徴だ。


もともとは地域のユダヤ人専用の銭湯だった建物は、ペニシリンの薬品工場を経て、創立者でもある音楽家を中心とする人々の手によって、音楽の実験室やコンサートホールとして、2013年に生まれ変わった。ファウンダーの一人には、ラジオフィルハーモニー管弦楽団などでコントラバス奏者をつとめるウィルマー・デ・フィッサーらがいる。オープン時に必要だった資金は、共同出資し運営に関わる50人の音楽家だけではなく、サポーターとして関わる聴衆たちによっても賄われた。そのシステムは現在も続いている。


この日は50人ほどの観客を前に、ドビュッシーやショパンのチェロ・ソナタが演奏された。音響の優れたホールで聴く演奏もいいけれど、演奏者たちの息遣いが感じられるほど近い距離で音楽を聴くことはいつでも特別な体験だ。

「Splendorのことを話すと、他の都市や国にもこんな場所があればいいのに、っていつも羨ましがられるんですよ」と語ったチェリスト。彼女も10数年前にオランダに移住してきた演奏者だった。


オランダ人にとって何よりも大切なのは「自由であること」。自由を守り続けてきた国であるオランダの魂を体現する劇場がアムステルダムにあることは、演奏する人にとっても、聴く人にとっても大きな財産だと改めて感じている。

Text : 安田真子(Mako Yasuda)
弦楽器をこよなく愛する音楽ライター。2016年から2026年までオランダで活動。地域のイベントや市民オーケストラでチェロを弾いています。 http://makoyasuda.com/