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François Nicolas Voirin

Bow Maker  1833-1885
Mirecourt, ParisFrance

フランソワ・ニコラ・ヴォワランはミルクールにて製作技術を学んだ。1855年には彼の従兄弟であるJ.B.ヴィヨームの下で働くためにパリへ移った。ヴィヨームの工房では優れたぺカット派の製作者と交流するに機会に恵まれたが、彼が最も影響を受けたのはピエール・シモンとJ.B.ヴィヨームからであった。当時ヴィヨームのマイクロ写真をフロッグのパールアイ部分に施したピクチャー・ボウ(Picture bow)のほとんどはヴォワランによる作である。
 
1870年には自身の工房を構え、自身のモデルを徐々に変化させていった。フロッグはヴィヨーム・スタイルを維持しつつ、ヘッドをさらに薄くし、製作期間を通して洗練させていった。彼の革新は、角張った力強いぺカット派から、19世紀後半に掛けた女性的な繊細さを持つヴィヨーム派への遷移を普及させたところにある。
 
1872年にはルイ・トマッサンを雇い、その4年後にはJ.A.ラミー“ペール”が工房で働くようになった。両者はヴォワランが亡くなる1885年まで共に働き続けた。彼は他の工房に弓を納めることはしなかったが、シャノだけは例外であった。彼の弓は「F.N.VOIRIN A PARIS」スタンプが打刻され、それらは商取引の歴史の中でも、最も優れた、重要なものとして扱われている。