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Étienne Pajeot

Bow Maker  1791-1849
MirecourtFrance

エティエンヌ・パジョーはルイ・シモン・パジョーの息子で、早くから実家の工房で商取引について学んだ。彼の名を冠した弓は1815年より見られ、初期作品は父の作風を反映しており、尖ったヘッドと、高さが低く幅のあるフロッグが特徴である。1820年からオリジナリティを発揮し、ヘッドは幅広で薄い形状に、フロッグはやや高い設計に変更した。またアイボリーを使用するようになり、ボタンの長さは非常に短く、八角形のリングを取り付けたものもみられる。
 
1830年頃から、当時のメーカーと同様にフロッグのアンダースライドに金属プレートを取り付けるようになったが、ここにも彼の独自性が見て取れる。たとえば、金具にはニッケルシルバー(洋銀)や銅を使用したり、アンダースライドだけでなく、フロッグの親指が掛かる部分などにも金属を取り付け、強度を向上させるなど、革新的なアイデアを発案した。こうした発明は当時のフレンチ弓製作へ大きな影響を及ぼした。
 
彼の工房は多作で商業的にも成功し、N.メアーC.J.フォンクローズN.マリーンなどの優れた製作者を雇用していた。様々な種類の弓と材料がそこで製作されており、1840年にはその生産数が絶頂を迎えた。材料と技術の品質は安定しており、非常に美しく、且つ操作性に優れた弓を生み出した。彼はその世代で最も優れた製作者として認められている。スティックには「PAJEOT」とスタンプが押されているものと、ないものが存在する。