アントニオ・ストラディヴァリは、この200年の間で最も偉大なヴァイオリン製作者とされている。ストラディヴァリは、それまでのヴァイオリンのデザインを進歩させながら、最高の材料を用い、卓越した職人技によって、音響と美観を併せ持つ楽器を生み出した。現代に至るまで、彼の製作した楽器を凌駕することはできていないとされる。製作期間は71年間に及び、二人の息子、フランチェスコと
オモボノによる助けのもと、1,000本近くの楽器を製作し、650本程が現存している。
アントニオ・ストラディヴァリは1644年にクレモナ近郊で生まれた。
ニコロ・アマティの弟子であったと考えられてきたが、最近の研究ではアマティ家にアントニオに関する教会記録が無いことから、正式な子弟関係はなかったと考えられている。当初は木彫り職人としてアマティの楽器の装飾に携わり、そこから楽器製作者として身を立てていったという説も有力視されている。
1680年にクレモナのサン・ドメニコ広場へ工房を移すと、さらに多くの楽器を生み出すようになった。最初は、アマティ・モデルを基に製作したが、1690年代に入ると「ロング・パターン」と呼ばれるボディがやや長いヴァイオリンを製作し始める。これは、ガスパロ・ダ・サロや
マッジーニといったブレシア派の楽器の豊かな音質を得るための試みだったと考えられている。
1699年になると、遂に探し求めていた理想的なモデルを発見し、黄金期(ゴールデン・ピリオド)が始まる。ボディが幅広で、フラットなアーチのモデルを採用し、燃えるように美しい楓材と、深みのあるルビー・レッドのニスを用いて製作した。
黄金期(1700〜1720年頃)には、完成度の非常に高いヴァイオリンが数多く製作された。1700年頃から、二人の息子、フランチェスコとオモボノが仕事を手伝っていたはずであるが、二人の息子の仕事ぶりをその作品の外観から伺い知ることは難しい。最近の研究では、早逝した三人目の息子、ジョヴァンニ・バッティスタ・マルティーノの存在が明らかにされ、黄金期に父親の工房で活動したとされる。いずれにせよ、アントニオは楽器製作において完璧主義者であり、品質に一切の妥協を許さなかったのであろう。
最晩年期(1729〜1737年※アントニオの没年)に製作されたヴァイオリンは、材質や細工、ニスの仕上げの面で、黄金期に及ばないが、比較的高いアーチが採用されており音色が美しく、演奏家による人気は高い。
ストラディヴァリの製作したヴィオラは非常に数が少なく、現存するものは11本のみである。その多くが、ボディレングス40cm前後のコントラアルトで製作されている。
チェロ製作においても、ストラディヴァリの新しい創造力は存分に発揮された。当初は、普及していた大型モデルで製作したが、工夫を重ね1707年に「フォームB」として知られている新しいモデルに辿り着く。これは、新しい奏法(当時ベース楽器からソロ楽器への転換が行われた)に対応したチェロであり、現代においてもチェロの基本モデルである。その後も幅が狭いものやさらに小型のチェロを製作するなど、飽くなき探究心は晩年まで健在であった。ストラディヴァリの製作したチェロは、ヴェネツィアの
モンタニャーナのそれと並び、一流のチェリスト垂涎の的である。
写真:Violin made by STRADIVARI.Antonio, Cremona 1716"Duranty"