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Giovanni Grancino

Violin Maker  1673-c.1726
MilanItaly

グランチーノ一族についての詳細な記録は今も見つかっておらず、以前不明な部分が多い。一説にはジョヴァンニ・グランチーノは、ニコロ・アマティの弟子と考えられてきたパオロ・グランチーノの息子といわれているが、父パオロの存在を決定づける証拠も見つかっていない。

しかしミラノ派の優秀な製作者としての評価はかねてから高く、かの楽器コレクターとして有名なサラブエ候
コツィオのコレクションにもグランチーノの楽器が含まれている。コツィオは、グランチーノのf字孔とニコロのそれに関する類似性について言及している。
 
彼の楽器の多くは、当時のクレモナに於ける主要な製作者に比べ、良質な材料が用いられていないが、その美しいf字孔と深く彫り込まれたスクロールから、彼が高い技術を持った職人であることがわかる。初期の作品は柔らかい赤茶色のニスが用いられているが、1700年頃よりそれが硬めの黄金色に変わっていく。
 
1708年、グランチーノはライバルであったサンティノ・ラヴァッツァにより過失致死罪で訴えられ、故郷ミラノを追われる。製作活動を続けることが困難となった彼は、息子であるミケランジェロとフランチェスコ2世の名を用いて工房を構えた。現存する最後の作品は1726年製であるが、彼がいつ、どのように死んだのか、確かなことはわかっていない。

写真:Cello made by GRANCINO.Giovanni, Milano 1682