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弦楽ウォッチ! 第53回  オランダで「バロックの真珠」を愛しむ日本人演奏家たち

 

今のヨーロッパにおいて、日本人演奏家の活躍を聞くことは決して珍しくありません。ソリストとして来欧する演奏家はもちろん、現地のオーケストラに在籍する日本人プレーヤーや、音楽院などの指導者、さらに室内楽を活動の主軸に据えて活動している音楽家も多数存在しています。 

オランダではバロック音楽の領域においても日本人の活躍が目立ち、日本人の音楽家たちによる自主企画で、興味深いコンサートがいくつも開かれています。

今回は、そのひとつである「バロックの真珠たち」というシリーズ形式のコンサートをご紹介します。アムステルダムのコンセルトヘボウという国内随一のホールで、バロック音楽の同シリーズをはじめた背景とそこに込められた思いについて、発案者のチェンバロ奏者天野乃里子さんにお話を伺いました。 

教会に鳴り響くチェンバロと弦楽器

オランダ・ロッテルダムの中心部からも遠くない町スキーダムの「’t Huis te Poort(直訳すると「ゲートの家」)」と称したホールで、12月15日にクープラン、バッハ、そしてヴィヴァルディの音楽が響き渡りました。
ステージに並ぶ室内アンサンブルの楽器構成は、バロックヴァイオリン、バロックヴィオラ、バロックチェロとヴィオラ・ダ・ガンバ、コントラバスとヴィオローネ、そしてチェンバロです。メンバーには、チェンバロ奏者の天野乃里子さんをはじめ、バロックヴァイオリン奏者の寺神戸亮さんと迫間野百合さんを含め、3名の日本人演奏家が参加しました。プログラムは以下の通りでした。

クープランの組曲集『諸国の人々』より
J.S.バッハ『チェンバロ協奏曲第1番ニ短調』
ヴィヴァルディ『四季』

バロック音楽をよりよい環境へ

17世紀初頭からJ.S.バッハが亡くなる1750年までのヨーロッパの音楽は『バロック音楽』と呼ばれています。1970年代ごろからバロック音楽に再び脚光が当たり、オリジナル楽器での演奏も含め、さまざまなアプローチで研究が進んでいきました。ですが、まだ発達しきってはいない部分も残されています。

「バロック音楽にも奏法はいろいろありますが、私たちは基本的にチンオフ奏法(あご当てなしの奏法)の人たちと演奏しています。寺神戸さん、山縣さんはモダン楽器もすごく演奏できていた人だからこそ活躍なさっているのだと思います」

もともと日本人演奏家のアンサンブルとして企画されたわけではなく、すでに欧州のバロック音楽のオーケストラやアンサンブル、ソロで活躍していた演奏家に天野さんが声をかけて集まったメンバーです。コンサートごとに編成が異なるので、メンバーは固定 ではありませんが、コンサートマスターを担うのはオランダ・バッハ協会や18世紀オーケストラなどで定期的に演奏する山縣さゆりさんや、バッハ・コレギウム・ジャパンなど多数のバロック・オーケストラで活躍しながらオリジナル楽器の演奏に取り組み続けている寺神戸亮さんです。

今回、ヴィヴァルディ『四季』でソロを演奏した寺神戸さんは、1691年製のジョヴァンニ・グランチーノによるヴァイオリンを所有。モダン仕様からバロックヴァイオリン仕様にセットアップし直して使用しています。

バロック・チェロとヴィオラ・ダ・ガンバを持ち替えながら演奏したリヒテ・ファン・デル・メールさんは、長年バロック音楽の著名なオーケストラで活躍してきたベテランで、すでに80歳近いお年を召されていますが、マギー・ウルカートさん(コントラバス、ヴィオローネ)とともに、低音パートの礎を築き、要所ごとに目の覚めるようなソロを披露しました。リヒテさんは、天野さんから出演を頼まれた当初、「もっと若い人に声をかければいいのでは」と出演を断ったのだそうです。

「私はリヒテさんに『より良い状態で次世代にバトンを渡していきたいのです』と伝えました。すると、それは重要なことだと彼は答え、演奏会に加わってくれるようになったのです」

さらに、バロック音楽を聴く聴衆を広げていくという意味でも、次世代の音楽家にとっての環境を整えていきたいという思いが根底に流れています。

「日本では、クラシック音楽が好きならバロック音楽も抵抗なく聴いている。リコーダーにも小学校で親しんでいるので、プロが演奏するとこれほど良い音がするのかと思ったりしますよね。
ここオランダですと、コンセルトヘボウオーケストラは聞きに行っても、"Oude muziek"(古楽)はかたくなに聞かないという人もいる。その層にもっと聞いてほしいと考えているんです。だからこそ、教会だけではなくコンセルトヘボウを会場にしています。
オランダは古楽が盛んといっても、幅広い聴衆がいるわけではないと、シリーズを始めてから改めて感じています。耳が発達し開発されていき、楽しめるものが変わっていけばいいのではと思うのです。クープランなどを始めて聴いた人々が、こんなに楽しい音楽があるのかと思った、と言うのを聞くと嬉しいですね」

 

芸術家を取り巻く社会

主宰の天野さんは桐朋音楽大学でピアノを学んだのち、慶應義塾大学に編入して音楽学を学びました。「音楽を外側から勉強したい」という思いがあったのだそうです。

「音楽の内容だけではなく、音楽社会学のような、社会の体制や音楽家の生活などにも興味があったのです。

ベートーヴェンのような音楽家の時代も、貴族制度が崩壊した頃でした。画家ですと、フェルメールは支援者がいたからこそ何年も活動できたのです。彼の奥様も裕福だったけれど、子供も15人いて。バッハも2人の奥さんから10人ずつ、育ったのは両方8人からですが、フェルメールは1人の奥様から15人子供がいて、11人が育っていた。彼らを食べさせたうえで絵の具も買う必要があった。今のお金で年間5万円ほど支援者から出ていたようですね。

でもそれは、オランダがイギリスやフランスなどから戦争で叩かれたことで途絶えてしまった。貿易をしていたような裕福なオランダの商人は戦争が始まってビジネスがうまくいかなくなったのです。ですから、最後の2年間ほど、フェルメールにはパン屋のつけがたまっていたといわれています。

レンブラントやルーベンスのように、組織が大きく弟子たちもいて、たくさん作品を作って、顔をたくさん並べた肖像画を描いていたのならいいのですが、フェルメールは本当に好きなものだけ描いていたので、芸術だけで続けていくというのは難しかったようです」
 

弦を爪弾く感じ

天野さんがチェンバロに出会ったきっかけは、外資の投資銀行から転職した頃、ふと足を運んだチェンバロとリコーダーのコンサートでした。

「自分の体のサイズにもちょうどよく、これはいいかもと感じました。あとは、チェンバロの弦を爪弾く感じがとても好きで。弦を爪弾くのと叩くのとは大きく違うんです。この西洋音楽に付随したことに取り組むには、西洋文化に触れるため、やはり現地に住まないとわからないと思って、その半年後にはオランダにいました」

天野さんが現在使用しているチェンバロは、アンソニー・サイデ製作、フランス製のヘムシュのコピーの名器です。ピアノは、1846年製のフランスのメーカー、エラールのもの。かのショパンの所有していたものと製造番号がとても近いことから、ショパンがパリで試し弾きをしたかもしれないという楽器なのだそうです。

 バロックダンスの視覚的効果

「バロックの真珠たち」シリーズの特徴のひとつには、バロック音楽を当時のダンスつきで鑑賞できることです。今回の公演でも、天野さんの娘さんであるエミリ・ファン・バーレンさんが、クープランの組曲『諸国の人々』の演奏に合わせて舞台でバロックダンスを披露しました。曲調に合わせて、流れるようにステップを踏んだり、軽やかに飛び跳ねたりと変化のある踊りです。

「アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグ、という4つがメインで、そのどれもがダンスなんです。もともと17世紀には、音楽家たちが宮廷人に踊らせるために曲を作り、レコーダーもない環境なので、生の音楽を提供していました。それがバッハの時代やフランスのクープランの時代になると、音楽が成熟していき、演奏だけでも聞かれるようになった。

ちなみに、オランダにはバロック演奏の長い歴史があるのに、クープラン『諸国の人々』はまだほとんど演奏されていないのです。そこで、オランダでもフランスのバロック音楽がもっと浸透したら良いという思いがあったので、『諸国の人々』をすべて演奏していこうと考え、バロックダンスつきで元々のダンスを視覚的にもお伝えすることで、よりこの種の舞曲をより深く理解し、楽しんでいただきたいと考えました。

その時、山縣さんが国立バレエ学校に2年間通っていた私の娘のエミリに踊ってもらったら、と言ってくださって。彼女は当時中学生で全然その考えはなかったのですが、直後にバロックダンサーの先生についたんです。例えばジーグなどは難しい踊りで、舞台上に踊るスペースも必要ですが、時間もかかります。娘はヴァイオリンも演奏し、ギムナジウムにも通っているので多忙ですが、数ヶ月かけてプロフェッショナルのレベルまで仕上げて毎回コンサートに臨んでいます」

 

 ダンスから得た気づき

バロックダンスで演奏に視覚的なイメージがつくと、リズムが動きとして見え、ステップを踏む音として聞こえるだけではなく、音楽の持つ豊かなイメージが増幅されるように感じられます。踊るために書かれた曲は、作曲家の脳裏で、踊りの振り付けや調子と結びついていたことは想像に難くありません。演奏家にとっても、ダンスとの共演から気づきが生まれる体験だったようです。

「組曲『神聖ローマ帝国』ではクーラント、ブーレー、メヌエットを踊ってもらいました。『ピエモンテ』のジーグにはオリジナルの振り付けがなかったので、ダンスの先生につけてもらったんです。盛りだくさんの振り付けだったので、テンポが速くなると踊れなくなってしまう。ジーグの8分の6の音符ひとつひとつにちゃんと動きがついているんです。演奏だけならすらっと演奏してしまいそうなところが、ハーモニーも複雑でしっかりしているので、そうではなくていいのだなと気づきました」

 

 

まだ知られていないバロックの魅力 

同シリーズの公演では、バロック音楽の名曲の背景には、まだ知らない世界が広がっていることが感じられます。

バロック音楽が生まれた当時の人々も、過去に作られたすばらしい作品を学ぶことで、新しい創造に取り組んでいました。

「私たちが知ることができる音楽は本当に頂点だった作品で、その中から幸いにも残っている音楽に触れられるんです。『諸国の人々』といっても、当時のクープランにとっては4つの国が代表的な存在だったということが見えて、面白いですよね。例えば、アルマンドはアルマン地方、ドイツ人という意味で、フランスから見たドイツ舞曲が描かれている。アルマンドの組曲の中には、エリザベス・ジャケ・ド・ラ・ゲール『ラ・フラマンド』という曲があり、これはオランダも含めたフレミッシュ人という意味。これが、他のアルマンドよりもずっと盛り上がり、複雑だし長くて、とても良い曲なんですよ。演奏機会も限定されますが、また弾きたいと思っています。

フランスの宮廷人は、自分のことを太陽王という王様がいるくらいで、自国以外に目も向けていなくて、イタリアの音楽も時代遅れだと言い、イタリアからはヴェルサイユ宮殿を作るための大理石を運び出しているだけ、という状態だったのに、エリザベスの遺産目録には、フレミッシュの前時代に発展した絵画が載っています。芸術的価値のあるものに、素直に心を開いていたようですね。

バロック音楽は、産業革命勃発以前に興った文化であり芸術です。楽器も手作りで自然の素材を大切に作られているので、それをできうるかぎり、再現し、再考して演奏しています。

人類の生活は、この数世紀でとても便利で快適になりましたが、身体はこの数世紀前と変わっていない。この種の音楽や演奏を聴いていただくことで、人類のある意味分岐点にいる私たちが、種々な意味で、原点に回帰しようとするそのひとつの手掛かりになれば幸いです」

 

同シリーズの公演チラシには、バロック音楽と同時代のオランダ人画家であるフェルメールの絵画が使われています。そこからは、イメージと音楽をリンクさせ、視覚にも訴えかける豊かな体験を提供している音楽家らしさが滲み出ていました。

終演後、熱狂的な聴衆のひとりである女性が、目を輝かせてこう語っていました。
「彼らの音楽には、何か生きているものがありますよね。私はあまりよくコンサートに行くわけではないけれど、次の公演も行きたいわ……!」

オランダでは、日本人演奏家の方たちの活躍で、少しずつバロック音楽ファンの裾野が広がっています。過去にも未来にも目をひらいて芸術を支えていくために、これからも応援したい活動のひとつです。

Text : 安田真子(2016年よりオランダを拠点に活動する音楽ライター。市民オーケストラでチェロを弾いています。)