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心に響く、レジェンドからのメッセージ

1984年から1993年まで、文京楽器が発行していた季刊誌Pygmalius(ピグマリウス)より、インタヴュー記事を復刻掲載します。当時、Pygmalius誌では古今東西のクラシック界の名演奏家に独占インタヴューを行っておりました。
レジェンドたちの時代を超えた普遍的な理念や音楽に対する思いなど、心に響くメッセージをどうぞお楽しみください。

 

第9回 篠崎 功子( ヴァイオリニスト)

写真: ピグマリウス第23号より
引用元:季刊誌『Pygmalius』第23号 1988年10月1日発行

篠崎 功子 / Isako Sinozaki

東京生まれ。幼少の頃から父、篠崎弘嗣にヴァイオリンを学ぶ。1956年シュタフォン・ハーゲン氏に師事。同年3月、第一回リサイタルを開催。1962年、桐朋学園大学音楽学部に入学。ジャンヌ・イスナール、齋藤秀雄両氏に師事。 1964年、NHK、毎日新聞社共催の第33回音楽コンクールにおいて、ヴァイオリン部門第一位。イタリアにおけるパガニーニ国際コンクール第三位入賞。 1970年、桐朋学園オーケストラのコンサートマスターとして、旧ソビエト他、ヨーロッパ13ケ国に演奏旅行。 1974年スペイン、75年東南アジア各地、78年南米・北米・ヨーロッパで公演を行なう。その問、ソロリサイタルの他に数多くの協奏曲のオーケストラ共演をしているが、他にも室内楽、現代作品の演奏を行ない、また、桐朋学園音楽学部・東京音楽大学で後進の指導にあたるなど、多彩な活躍をしている。

1.夢にまで見た楽器

ーさっそくですが先生は今までどのような楽器を使われてきましたか。

 

 分数の楽器は、当時なかったものですから、アマチュアの人が1/8位のを 1/16の大きさに削ってくれたものですとか。入江さんという方で、笠川さんの先生といわれている方が、その頃私どもの家に居候していたものですから、その方に作っていただいたりしました。1/2のはイタリアのものでしたかしら。

3/4になって辻久子さんが使ってらっしゃったフランス製の楽器で、私が3才頃に父が買っておいてくれたものを使ったりしました。

 フルサイズはアルバーニが初めてでした。その後ランドルフィを購入しましたけど、それを4~5年弾きましたでしょうか。もう少し太い音の楽器が欲しくて、父にせがんでリュポを買ってもらったんです。でもリュポを弾きこなせなくて。

といいますのは、ランドルフィの方は音色はいいのですけれど、音が細く、リュポはもっと音が通って音色の変化があって欲しいと思っておりました。演奏会の一週間位前になって、どちらの楽器を使おうか迷ったりしたことが随分ありました。

 そんなことが10年程続いたでしょうか。その当時ランドルフィでも日本ではいいほうの楽器でしたので、かなり長く使っていました。リュポは一目惚れで買ったのですが、演奏会のたびに囲りの人から良くないって言われ続けました。

 


ー音色についてはどのような考えをお持ちですか。

 

 難しいですけれど、音色の変化があって力のある音ということでしょうか…。パガニーニ・コンクールを受けに行った時に、ある未亡人の方でデルジェスを持っている方がいらっしゃって、その楽器を弾かせてもらいました。とても素晴らしくて、ホテルに帰って自分のランドルフィを弾いてみたらマッチ箱が鳴っているみたいで、本当に涙が出たものです。その楽器だけは今でも夢に見ます。その未亡人の方は、足を悪くして車イスに乗っていたのですが、囲りの若い人達もその楽器を狙っているみたいで、目付きが非常に怖かったですよ。(笑)

 音色というのは、楽器自体に表現能力の幅が大きくて、自分の中で音色を変えていければいいと思うのです。ただ、ストラドクラスになるとストラドの持っている個性があって、逆に冒険がしにくくなるという感じがあります。ランドルフィを弾いていた頃にはもっといろんなアプローチの仕方を試したりしていました。 強引に音を引き出そうとしたりとか…。 楽器が良くなれば良くなる程、楽器の個性に対して自分のエネルギーを使わなければならないと思います。

 


ー弓は何をお使いですか?

 

 トルテとペカットを使っています。ペカットは強く通る音、トルテは太くて重厚な音がします。ペカットは室内楽によく使います。太い音が欲しい時に曲によってトルテを使います。

 


―弦は何をお使いですか?

 

 指が余り強くないので、オリーブの細めのを使っています。ランドルフィを使っている時には、いろいろの弦をホールに持ち込んでは試したりしました。それは楽器の欠点をカバーする意味もあつたのですが、楽器をストラドに替えてからはオリーブを使っています。(このインタビュー後、ドミナントに変えられたという連絡をいただきました。)

2.日欧の土壌の違いを肌で

―先生はどなたにつかれたのですか? 

 

 中学三年までは父に習っていまして、中学の終わりに、シュタホン・ハーゲン先生につきました。シュタホン・ハーゲン先生は、当時読響のコンサートマスターでして、とっても素晴らしい方で、レッスンに行くと、どんな曲でも弾いて丁寧に教えて下さいました。ところがステージに上がるとブルブルに震えてしまわれる方で、個人レッスンの時はとっても素晴らしい方なのに、毎回ステージでは上がってしまう先生でした。

 父が桐朋と武蔵野音楽大学で教えていましたので、親から離れたくて芸高に進みました。

 

 芸高では兎束龍夫先生につきました。高校時代はヴァイオリンから離れてたりして他のことばっかりやっていたのですよ。生まれた時からヴァイオリンばかりでしたので、それから自由になりたくて…。もちろん芸高ですからレッスンはちゃんと受けていますけれど、なんて言うんでしょうか、今のアイドル歌手が引退して普通の生活をしたがるようなものでしょうか。
 

 その後、齋藤秀雄先生に習いたくて桐朋音大に進みました。父が桐朋で教えておりましたので、齋藤先生のことはよく聞いておりました。高校三年の時、齋藤先生の指揮した桐朋のオーケストラを聴いて、ものすごく感動したんです。まるで私にとっては別世界のようなものでした。それでどうしても齋藤先生に習いたくて桐朋を受けたのです。その時、学外から5人受けたのですが、受かったのは私一人でした。
 齋藤秀雄先生からは音楽的なことをずいぶん学びました。指導の上では怖い面もあるんですけど、何でも話せる先生でした。ですからコンクールに出るのも、まず齋藤先生に相談して、父には事後承諾だったんです。


ー一時的にせよヴァイオリンを離れたことで、音楽に対する考え方が変わりましたか?

 

 そうですね、「人間の幅」というのが音楽に対する考え方、解釈をも変えてゆくと思います。音楽ばかりやっていたのでは、本当の音楽はむしろわからなくなるのではないでしょうか。やはり普通の生活が出来なきゃだめだという感じがします。

 よく生徒さんのお母さん達の中にはヴァイオリンばかりやらせて、家の掃除、洗濯等やらせない方がおりますけど。(笑)生活の中のいろいろなことが出来た上で自分の音楽が表現出来るのがいいのではないですか。音楽はもっと広くて奥深いものですから、日常生活のレベルからも物事が見えるような、そうした視野も大切だと思います。

 私の場合、小さい頃からヴァイオリンしかなかったものですから、父も本を書くかヴァイオリンを教えるしかなくて遊ぶことを知らなかった人ですから、なおさらそう思うのかも知れません。


―新しく教材を出されましたね。

 

 父の書いた教本の改訂版です。父の教則本は、日本で子供の為の本が少なかったものですから、ヨーロッパのオーソドックスなセヴィシック、スケール、カイザーをまとめて、子供が使い易いように短く手直ししたものです。30年も前に出版されたものですよ。父が死んで28年になりまして、内容自体は変えていませんが、言葉使いを少し手直しした位のものです。テープも付いてますけれど、私は録音が嫌いで父にはよくテープを録るように言われたのですけれど、逃げ回わっていたんです。今回、最後の親孝行のつもりで吹き込みました。


―音楽教育について何かお考えがありますか?

 

 ヨーロッパにいた時に、リサイタルの翌日なんか外を歩いていると、その辺のおばさんとか朝市のお兄さんなんかが、気軽に「昨晩聴いたよ」なんて声をかけてくれたりして、その上に話の内容がすごく深いんですよね。生まれた時からの環境なのでしょうか。チーズ屋のお兄さんでしたか、昨晩のベートーヴェンの何番のソナタが良かったとか、日本の人なんか知らないような曲でも皆さん詳しくて、歴史的な土壊の違いを肌で感じ取ること 

が出来ました。日本ですと、せいぜいベートーヴェンはクロイツェルかスプリングでしょう。それ位、音楽が生活の中に入っているのだと思います。

 日本の場合は、まだまだ音楽が生活の中に溶け込めないでいるようです。西欧のように歴史的な段階を踏まえて発展してきたものでないですから、やむを得ない面もありますけれど、知られていない曲でもっともっといい曲があるのですから、そういった曲も音楽教育の中に採り入れていく時代になっていると思うのです。私達の習っていた時代は西欧音楽を紹介することに重点がおかれていたような気がするのです。これからの人達はもっと音楽そのものについて学ぶことが大切ではないでしょうか。

3.テクニックを超えたものを目指したい

―先生にとって音楽とは?

 

 自分自身そのもの。

 


―現代は演奏家の時代と言われています。同じ曲が毎年、全世界で何百何千回となく演奏されていると思うのですが、これからこうした傾向はどのようになってゆくのでしょうか?

 

 たくさん演奏される曲は、いい曲だからでしょう。楽器もそうでしょうけど、やはりいい物だからこそ残ってきて、いつの時代でも聴衆を集めることが出来るのだと思います。これからもずっと続いていくと思います。一つの曲でも演奏する人がその時代の感覚、思想を取り込んで演奏することが出来ます。いわゆる名曲にはそうしたことを許す面があるようです。傑作というのは、時代が変わっても現実の奥深い真実に根ざしながら、常に他者に対して開いているからだと思います。

 


―若い人達にメッセージをお願いします。

 

 確かに私達がヴァイオリンを習っていた頃に比べると皆さん、とっても上手に弾かれるのです。テクニックはただ表現の為の手段ですから、それ以上のものが必要でしょう。それは、実生活や様々な人生に出会うことにより学ぶことも出来ますし、音楽においては、その作曲家の生い立ちや曲の背景を調べる等して、より深い表現を目指すべきだと田心います。


ーこれからの活動は?

 

 ここ数年、新しい作曲家の方と関わる機会が多くて、ヨーロッパ、東南アジア等の現代作曲家の新しい譜面を見ながら、彼等と議論したりしました。それが自分が小さい頃からやってきた曲や演奏法の見直しになったりもし、非常に学ぶことが多かったのです。現代曲はかなり初めは苦痛でしたけれど、だんだんと面白くなってきて、これからも取り入れて行きたいと思います。ソロ、室内楽をやるかたわら、学校でも教えているのですが、時間の配分としてはソロが一番多いんです。自分の好きな時間に出来ますし。ただあまり華やかでなくていいですから、自分のペースで無理せずに長くやってゆきたいですね。

 


ーどうもありがとうございました。