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イギリス最初期の技法と職人たち

今回は初期ブリティッシュ・スクールについてご紹介します。
写真:“The British Violin” - British Violin Making Association, 2000, 24-25page "Old London Bridge" by Claude de Jongh, 1630 より一部引用

1650年~1700年頃

イギリスでは1650年頃からヴァイオリン製作が始まったとされていますが、当時はヴィオールの製作技術を流用したものが殆どで、現在のヴァイオリンとは異なる構造を持っていました。

例えばネックは通常、ボディ内部からブロックでしっかりと固定しますが、当時のイギリスでは“スルーネック(Through neck)”という、ネックを楽器胴体にそのまま差し込み、そして側板はネックの付け根に直接差し込んで固定する技法を採用していました。これはヴィオールの製作技法と共通するものです。

原始的な外観

また、当時イギリスではヴァイオリン製作に内型を使用する製作を行う習慣がなく、クレモナ派作品のような安定した構造強度と、正確なアウトラインを描くことが困難でした。そのため、外観上は原始的な印象を与える作品が多いのです。

裏板の内側には楽器のアウトラインに沿って刃物で溝が彫られており、そこに側板をはめ込んで固定します。これは北ヨーロッパの古い製作技法に見られる特徴の一つであり、ロー・カントリーズ(ベルギー、オランダ、ルクセンブルクを含む北海沿岸地域)のオールド楽器にも用いられていることがあります。

楽器モデルはガスパロ・ディ・ベルトロッティ(通称、ガスパロ・ダ・サロ)など北イタリアのブレシア地方の製作家に影響を受けたものが多いため、この時代の作品はダブル・パフリング(より装飾的な象嵌細工)をほどこしたものが多く作られました。外観こそ原始的で均整に欠けるものの、明るく甘い音色を持つ作品も多く存在しています。

ドイツからの移民 レイマン


この時期の代表的な製作者はヤコブ・レイマンエドワード・パンピロントーマス・アークハートなどが挙げられます。なかでもヤコブ・レイマン(before 1596-after 1658)はイギリスで最初にヴァイオリンを製作した職人と伝えられているが、彼はドイツからの移民でありました。

写真 左より
Viola by Gasparo di Bertolotti(da Salo), Brescia
Violin by Jacob Rayman, London
Violin by Edward Pamphilon, Essex
Violin by Thomas Urquhart, London

フュッセンからロンドンへ

レイマンの故郷であるフュッセン地方は、当時すでに弦楽器製作の一大生産地となっており、すでに国内の工房数は飽和状態でした。マイスターの下で見習い期間を終えた職人達が毎年輩出される中、彼らは独立する場所を他国に求めました。

こうした背景の中、レイマンもまたロンドンへと渡り、ドイツ・オランダからの移民が多く住んでいたサウスワーク地区、ブラックマン通り沿いに工房を構えたのでした。

現代的なデザインに

ブリティッシュ・スクールはリチャード・デューク(1718-1783)とその一派の台頭により、さらなる成長を遂げます。彼らはアマティシュタイナーなどのハイ・アーチで優美な曲線をもつモデルを積極的に取り入れたため、イギリスのヴァイオリンはより現代的なデザインへと変化したのです。

そして17世紀後半から18世紀にかけてヴァイオリン製作は、時の需要を得てより一層活性化するのです。

次回はシュタイナーモデルを用いたメーカーたちについてご紹介します。

文:窪田陽平