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写真:“19世紀のベルギー” Belgium in the 19th Century by monovisions.com 

バイオリン商 デビッド・ローリーの回想録
第34話 ヴュータンとの出会い


私は初めの方の章で、ニコラ.F.ヴィヨームの所に間借りしているジャンセン氏が、音楽の集いを催していることを述べたが、そこで私はたくさんの大演奏家の演奏を聴く機会を得た。かのヴュータンに会えたのも、この内輪だけの音楽会であった
写真:“ベルギーのブリュッセル王立音楽院” Royal Conservatory of Brussels (Régence) - Brussels, Belgium by wikimedia commons


この有名な大家の名声は、たくさんの国々にまで知れ渡っていた。ベルギーのヴェルビエル地方に生まれたこの紳士は、あらゆる演奏家は言うまでもなく、ベルギー派の著名な人々にさえ君臨していた。ベルギーは非常に小さな国であったが、多数の著名な音楽家―そのほとんどはベルギー人ではあるが―を輩出してきた。

私がヴュータン氏と知り合った当時、彼はブラッセル音楽院のヴァイオリン科主任教授であった。私の思い出をたどると…かのグラスゴーで聴いた大演奏家の中で、彼が最初の人である。だから遠くから、それも正装した姿だけが目に焼き付いていた。

それはその日の午後だった。四重奏が今や最高潮に達していた時、 一人の紳士が入ってきて一座に挨拶をして、私の傍の椅子を引き寄せ、そのまま座って音楽に耳を傾けた。しかし彼はまっすぐに第一ヴァイオリンに向い合うように座っていた。
彼は第一ヴァイオリンからの視線をとらえる度に、合図を送っているようだったが、私は非常にわずらわしさを感じ、このようなことはたいへん不作法なことだと思った。この場の雰囲気が損なわれなければ、よっぽど彼に対してそのようなことはやめなさいと言ってやりたい程の思いであった。

しかもこの紳士が入ってくるまで、とてもうまく弾いていた第一ヴァイオリンが、とても神経質になり、四重奏が終わった時にはホッとするような様子すら感じさせた。終わるなり第一ヴァイオリン奏者は、立ち上がって私の隣人のところにやってきた。

てっきりその人が行なった行為に対して、クレームを言いに来たに違いないと思った。ところがあにはからんやで、私は余計にびっくりした。彼は自分の弾いた数小節の誤りを説明し、詫びを言い始めたのだ。

 しかしこの作品は、ベートーヴェンの後期の四重奏曲の代表的な曲の一つで、音楽を知っている人ならば、誰でも認める難しい曲の一つであった。
それゆえ熟練した演奏家にとっても、かなり難解な曲である事実を知っている私は、彼等がみごとに各パートをこなし、それぞれの技巧までも披露し、なおかつ立派に弾けたと思っていた。

写真:“アンリ・ヴュータンの像”  statue of Henri Vieuxtemps by wikimedia commons


私の隣の人は、私の考えとは明らかに違っていたのである。
彼は自分のヴァイオリンと弓を持って、第一ヴァイオリンの席に座り、前の第一ヴァイオリンは第ニヴァイオリンを受け持ち、四重奏が再び始められた。

それがこの曲をいかに奏でるべきかということを示す行為であることは明白であった。しかし第一楽章は非常に複雑で、素人の私の耳にはただ興味のないものであった。事実、それぞれ異なるパートを結びつけるための何の結合も主旋律もない、それぞれの小節の混ぜものにしか思えないものであった。

けれども新指導者の演奏は、巾といい輝きといい前の第一ヴァイオリンの音色とは比較にならない程の素晴らしさがあったが、全体の状況はたいして変わらなかった。

やがて美しく、そして明確な感じのする《スケルツォ》という短い楽章になったが、ここで初めてこの新しい第ーヴァイオリンの演奏に大きな違いがはっきりとみえてきた。

彼はこの楽章を速く弾くことはしなかった。ゆっくりと弾くさまは、半時程前に聴いた楽章とは全く別の作品のようにさえ感じさせる程の違いを出していた。

次いで天国の音楽《アダージョ》の楽章に入ったが、この楽章は私に音の荘厳ささえ感じさせるのであった。
そしてこの楽章と第一楽章の違いが余りにもひどかったので、ベートーヴェンのような大作曲家でさえこのような美しい音楽の序章として、第一楽章のような音の雑然さしかないものを持ってくるということが、私にはとても理解できないような気がした。


■ ヴュータンの演奏

最後に《終曲ヴィヴァーチェ》が始まった。この楽章は、今まで私の聴いたことのないような“火の如き情熱”を奏でていた。全体を通してその速度は、中庸が保たれていた。その結果、普通の《終曲ヴィヴァーチェ》によくありがちな、音楽の美しさを失わせることがない出来だった。

特に後者の例として、大演奏家による第一ヴァイオリンの場合、音楽そのものを生かそうとか、音そのものに関心を持とうとかという点がみられないばかりでなく、余りにも技巧的な誇示ばかりに心掛けている様子を見せつけられてきたから。この時には、すでにこの新しい第一ヴァイオリン奏者が、いくらかは名の通った人であることは明白であった。

私は、彼がいったいどこの何者なのか早く知りたい気持ちを抑えて、四重奏が終わるのをじっと待っていた。
写真:“アンリ・ヴュータン” Henri Vieuxtemps (1820-1861) by wikimedia commons


しかし私は、またしばらくの間、このやきもきした気持ちを抑えなければならなかった。というのは、演奏が終わると、彼は二、三の小節に戻って、彼自身のフレージングで第ニヴァイオリン奏者に対して弾いてみせた。
第ニヴァイオリン奏者は次にそれを試みたが、同じように弾きたいと思えば思う程、同じようには表現できなかった。事実、同じ数小節に対する二人の演奏の相違はほとんど信じ難い程であった。

ついに彼は、そのヴァイオリニストに我慢しきれなくなって、「どうして自分と同じように弾かないのか」と怒ってしまった。全度は第ニヴァイオリン奏者も、「自分がそう弾かないのは“ヴュータン先生”ではないからです」と憤慨してしまった。

これで私の謎は解け、私が今まで見、聴きしてきたことに説明もついたのであった。結局、このように弾けるのは彼をおいて他にないということは私も知っていた筈なのだが、よもやこのような場所で彼と会えるなど予期もしていなかった。しかし、主たる相違点は他にあったのである。

例えば彼は、何もしていない時には、どちらかと言えば重苦しい感じのする平凡な紳士然としているのに対して、演奏している時とか彼自身が興味を覚えた話題について話している時のその表情といったら、たちまち非凡な活気を帯び、 知的に輝きを増し、あたかも別人の如く見えるのだった。彼は中背より幾分か低い位で胸巾が広く、がっしりとした体格をしていた。

ジャンセン氏は彼に私を紹介しながら、ヴュータン氏こそが「セッソール」のストラディヴァリウスにひどく憧れて、これまでも数度となく購入の申し込みをしてきている人であると言った。しかしこの情報は、私にとって紹介された喜びを半減するものだった。

なぜなら私は、すぐに彼を強力な競争相手とみなければならなかった。
彼こそが万人の中でもこのようなヴァイオリンを手に入れて、さらにその美しい音色を評価できる人であると認めないわけにはいかないけれども、あえて私は彼がそのヴァイオリンの所有者になることは望みたくなかった。

しかし彼は、即座に手に入れられる立場にいた。所有者のジャンセン氏の心が動いて、楽器を売ってもよいとう気になれば……。その上、ジャンセン氏はヴュータン氏に対して限りない情景と愛着を寄せていたし、彼の才能を最も高く評価している一人であったから。

そのヴァイオリンを譲ることは、可能性のあることだと私は思った。それ故、何か複雑な感情を抱く私であった。

第35話~名手「ヴュータン」との出会い・その2~へつづく